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もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

ベッドの上でなんか食ったろ

ベッドの上が危ない状況にある。

 

子供達がおもちゃを寝る前に持ち込むからだ。
長男は主にトミカを、長女はぬいぐるみなどの人形を持ち込んでいる。

一応妻の方でも一個だけ、と決めるよう言ってくれているのだが、前日やそのさらに前の持ち込み分なども加算されているため、いつのまにか寝室はちょっとしたプレイスペースとなっている。

会社から帰ってきて寝ようとすると、暗闇の中恐る恐る進む僕の足の裏にトミカが食い込む。
思わず上げそうになる声を抑えて長女と長男が折り重なるように占領しているベッドにゆっくりと膝を着いて上がる。
膝に硬いものが当たり、「いてっ」と言いたい気持ちを無理矢理抑えて拾い上げるとそれはマクドナルドのハッピーセットのマリオである。1アップキノコじゃなくてよかった。あれだとピロリロリロンと音がしていた可能性もある。

なんとかベッドの端まで行き、枕を探す。無い。
本来僕の枕があるべき場所には息子のトイストーリーの枕がある。暗闇の中手探りで探す。やっとつかんだそれは、娘のために買った、ディズニープリンセスのものである。おかしいな、と仕方なくスマホの画面をつけて探すと息子が僕の枕を使って寝てている。
何のために枕を買ってやったんだ!とやや乱暴に枕を引き抜き、その頭の下にトイストーリーをすり替えて入れてやる。

なんかじゃりじゃりする。

こいつら、ここで何かお菓子食ったな。なんだろう、硬い。じゃがりこ
体をわずかな隙間にねじ込み、暑がりで寝相の悪い子供達が弾き飛ばした掛け布団を引き上げ、天井を見上げる。

ふと、脳内にSMAPの「夜空ノムコウ」の一節が流れ出す。

「あれから 僕たちは 何かを信じてこれたかな」
「あの頃の未来に 僕らは立っているのかな」
「このままどこまでも 日々は続いていくのかな」

思い返せば疑問ばかりの歌である。それに対するアンサーはこの一節のみだ。

「夜空の向こうには もう明日が待っている」

カーテンをめくって外を覗く。
時刻は午前2時。窓の向こうには賃貸マンションの薄暗い共同廊下と駐輪場が蛍光灯に照らされて、不健康そうにじっとこちらを見返しているだけだ。
それでも明日は待っている。明日も平日。仕事が僕を待っている。
GOOD NIGHT

笑うな

息子は笑われることを過剰に恐れている。

幼児はやることなすこと面白いので、親としては何ら他意はなく「あはは」と笑ってしまう瞬間というのが多々あるのだけど、そういった

「自分が意図した訳でもないのに、不可抗力的に起こってしまった笑い」

というものに対して絶対に許さない、という強い意志を感じる。
この間もレジのおもちゃを使ってお買い物ごっこをして遊んでいたのだが
タコの人形を持ってレジの読み取り部分にかざした時に「ピッ」とか言うのかなと思いきや、電子音のような調子で「タコッ」と言ったので面白くて笑ったら号泣である。
「笑わないで!」
と絶叫。僕は呆然としたまま「もういい!勝手にして!」叫んで走り去った息子に置き去りにされてしまった、というわけだ。そして僕は途方にくれる、とはよく言ったものである。

要は自我が芽生えた、という一言に尽きるのかもしれないが、
その話を以前元保育士だという知り合いに話したら
「プライドが高いのかもしれないね」
と言われた。
プライド、というところまで深く考えたことはなかったものの、
当の僕自身がやはり随分と長いこと人に笑われるのが嫌いな方で
今でも正直自分の気分次第では不機嫌になったりする。
そのあたり毎回もうこの歳だから変わらないとわかっていつつも損だなあ、
嫌だなあと思っている。

例えば思い出すのは小学生の頃のことだ。
「うたり」という音楽劇を学芸会で学年全体でやることになった。
僕はエカシというおじいさん役で、扮装として綿で作ったカーネルサンダースみたいなまっしろなヒゲを付けていた。
おわかりかと思うが、小学生というのは基本的になんでもすぐ笑っちゃうので、同級生がもじゃもじゃの白いヒゲを付けている時点で基本はもうアウトである。
ところが僕はしごく真面目にこの劇に取り組んでしまい、それも自分の見せ場でソロで歌を歌うシーンなんかもあったものだから、ますます笑いゼロの感覚でいたところ、練習中歌っていたら同級生に爆笑されて、思わず「笑うな!」と怒鳴って本気で怒ってしまったことを思い出した。

今ならわかる。
それは笑っちゃうよね、と。
そして笑われているのは自分ではなくて、同級生がもじゃもじゃのヒゲをつけておじいさんのふりをして歌っているという状況についてなのだ、ということも。
さらにいうと、この「笑われている」状況をうまく立ち振る舞うことで、自分自身も面白い人だと思ってもらえるのだということも。
まあ、最後に関しては今でも頭では理解しつつも、未だにうまくできないことの方が多いのだけれど。
それでも今では怒りよりも先に恥ずかしさが来るので照れ臭そうに笑ったり、「いやあ…」とか言葉を濁して場を凌ぐことも出来るようにはなった。

社会人になってこういう場でうまく切り替えせるかが人間として地が出るな、と感じることも多い。器の大きさというか、幅というか、余裕がない人はこういう思わぬ場で恥ずかしさが怒りに向かったり相手への拒絶に結びついてしまうけど、そもそもこういう場もうまく切り替えせる人は、こうした事態を失敗だとか、自分を否定されたとは感じないからなんだろう。自己肯定感の薄い人ほど、こういう時に焦りを感じるのだと思う。

そう考えると息子は自分自身に自信が持ててないのかな、とちょっと気になったので意識的に「笑ったのは馬鹿にしたわけじゃないよ」ということを伝えているのだけど、こういったニュアンスは4歳には伝えにくい。
なので、もう余計なことは考えずに笑ったあとは「面白い!面白いなあ、まーくんは!」と褒めている。すると息子も嬉しそうにもう一度同じことを繰り返し言ったりするので、単純に「楽しい」という感情をポジティブに伝えてあげることが、一番わかりやすいのかなと思っている。

ちなみにきょうだいでも性格はやはり全く違っていて、妹のさーちゃんは全く笑われることに動じない。というか、むしろウケを狙っているフシもあって、一度受けるとしつこいくらい繰り返す。そして自分自身でも笑う。ゲラなので他人の言うことにも自分の言うことにもウケている。得な性格だな、と「笑うな!」と怒って泣く兄を見ると余計に思う。

あると食べちゃうから

昔母親が
「お父さんたら、あると全部食べちゃうから、出す量を減らしてくれっていうのよ」
と少し怒ったような呆れたような口調で言っていた。

僕が中学生くらいの時だったから、父親としては中年太りが始まってきて
体型や健康を気にしている頃だったのだろうと思う。

母親はそんなに量を多めに食事に出す人ではなかったが、
確かに父親も残すということをしなかった人なので、
出されたものは全て平らげていた。

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地元がアド街ック天国に出た

先日僕の生まれ育った町がアド街ック天国に出た。

一人暮らしを始めるまでの26年間住んだ町ではあるが、正直なところ
「どうやって一時間持たせるんだろう」
と素朴に疑問の思えるほど、魅力に乏しい町である。

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子供の名前を考えていた時期があった。

子供の名前を考えていた時期があった。

長男がもうすぐ5歳。
長女はもうすぐ3歳。

今年は揃って七五三である。

なんだかもうだいぶ前のことのようだが、
子供の名前を考えていた時期が、あった。

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いのおくん

妻がいのおくんにハマっている。

Hey!Say!JUMPの伊野尾慧くんである。
ひらがなで「いのおくん」と書くと昔ゲームであった「くにおくん」みたいだな、と今気がついた。
あと「どおくまん」みたいだなとも思った。どおくまんってなんだっけ、とググったら漫画家だった。

とにかくハマっている。

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歩くのが遅い

人に合わせられない。
抜きん出ているとか、出る杭は打たれるとかと真逆で、普通のことすらできないという意味である。

そもそも、三人以上になると会話が出来ない。
自分はしゃべらなくてもコミュニケ−ションが成立するからだ。
かと言って一人の世界を構築するでもなく、ただそのままそこにいる。
スマホを取り出してその場で相手を拒絶するほどの勇気も度胸もない。
聞いているんだか聞いていないんだかわからない程度の距離感で、ただいる。

大抵の場合
「どう思う?」とか
「ねえ?」とか
話を振ってもらえるのでそのときには返事を返す。
大人の世界はやさしい人が多い。
もし僕が逆の立場ならば「話す気ないなら帰れよ」と思う。
僕は僕以外の僕みたいな人間には滅法厳しい。

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津村記久子が好きなだけ

津村記久子という作家がいる。

わざわざ書くまでもない有名で人気のある作家さんだと思うが、一応書くと
10年以上OLを続けながら小説を書き続け、芥川賞を受賞してからも普通に勤め人をしながら作家活動を続けていた人だ。
最近ようやく会社は辞めたようで、今は作家活動に専念されている。

僕は津村記久子さんが好きだ。

もう信仰みたいなものなので、新刊が出たら妄信的に全て買っている。
文庫になるのが待てないのでハードカバーで新刊で買っている。
つい最近も買ったばかりで、ここ最近の生きる喜びは彼女の新刊「浮遊霊ブラジル」を
通勤途中の電車の中で読むことであると宣言しておく。

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遠慮させてくれ

遠慮するなと人は言うが、遠慮する。

僕はいくらでも遠慮しておきたい。
遠慮するのは楽なのだ。
図々しいことの方が難しいし、大変だ。
第一疲れる。

日本人なので遠慮しておくと
「あの人は謙虚でいい人だ」
「身のほどをわきまえている」
などの好印象を持たれやすいのもありがたい。

なんのことはなくて、要は「面倒臭い」だけなのだ。

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あんまり覚えてないや

色々と覚えていない。

悪意はない。
本当に覚えていないのだ。

自分が「覚えておかないといけない」と思うもの以外はそもそも目に入っていないのかわからないが、
とにかく覚えていない。

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