もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

僕はおにぎりが好きなんだな

■電車の中でおにぎりとか食べてる人、なんで?って思うんですけどあれはなんなんですか?

そのおにぎり、家で食べてこれなかった?あるいは会社着いてから食べられなかった?どうして電車の中で食べてんの、と。

 


俺は移動中しかおにぎり食べられないくらい忙しいんですというアピール?ぼ、ぼくは、移動中にもおにぎりが食べたいくらい、お、おにぎりが、す、好きなんだなというメッセージ?でもマジでおにぎりとかってその気になったら1分くらいで食えるじゃないすか。そのおにぎりをお前は家を出るまでのほんの1分の間になぜ食えないのか、あるいはなぜオフィスに着いてから食えないのか、さらに言うといっそ朝飯あきらめて昼に食えとも

思うんですけど、それができるなら最初からやってると思うんで、単純に朝ごはん食べないと元気が出ないマンなのかも知れない。

 


俺忙しかった時期ホントご飯食べる時間なくて出がけにコンビニで買ったおにぎり食べる時間もなくてデスクに置いたまま食べるタイミング失って、午後四時くらいに一瞬隙間が出来たから食おうと思ったけど、なんかその時間に食ってると目立って恥ずかしいからおにぎり持ってトイレ行って、個室で食ったんすよ。いじめられてたんかって感じなんですけどただ単に自分でなんか追い詰めてて。

慌てて食ったから喉に詰まって、あ、喉に詰まるってこういうことなんだって思いながらんが!んが!って漫画みたいに胸をどんどん叩いてた。息が出来なくてホント死ぬのやだって思った。で、そんな風に無理やり飲み込んでたから口の周りに海苔の破片が一杯付いてたらしく、席戻ったら同僚に「どうしたそれ?口の周り」と言われて「あ、うん」とか言いながら口を拭ってなかったことにしたって過去、なんか可哀想過ぎない?

 


みたいなおにぎりの食い方してたから、電車ん中でアホみたいな顔してもぐもぐおにぎり食ってるヤツ見ると、おにぎりは電車ん中で食うもんちゃうやろがい!便所で食うもんじゃろがい!とか思っちゃうんですけど、おにぎりは便所で食うもんじゃありませんね。

でもマジで電車ん中でケンタッキーのチキン食ってるヤツがいて、これはもう食う時間がないとなじゃないじゃん、って脱力通り越して怖くて泣いちゃった。

おっさんが氷結をビニール袋で包んだまま片手で持って、もう片方でチーかま持ってチビチビやってんのはさ、ギリギリ許すよ。くっせえけど。マインド的には便所でおにぎり食ってた俺と一緒な気がするんで。

 


あと大学2年くらいのとき、半年間くらい誰とも話さないで講義をめちゃくちゃ詰め込んで超授業受けまくってたことあるんですけど、金もないし節約のために実家通いだったから自分で梅干しのおにぎり2個作ってアルミホイルで包んで持ってってたんすよ。

だから未だに梅干しのおにぎり食うと、広い教室で、友達もいなくて、最前列座って一人で食ってたあの頃の記憶が蘇るからあんまり好きじゃないんすよね、ハハ、あの、ちょっと泣いてきていいですか?

 

 

 

俺の祖母はおにぎりを1合くらいの飯で握る人だったので、おにぎりを食うだけで腹がいっっぱいになった。何しろシャケのおにぎりを作れば切り身がまるまる一つ入っていたし、タラコのおにぎりはタラコがまるまる一腹入っていた。

コンビニや、おむすび専門店みたいなところで「ばくだんおむすび」みたいなのを見かけるたびに「これが爆弾なら、バアさんが作ってたのは核爆弾か」と心の中で思っている。

父と息子は大抵うまくいかない それはいつから始まっていつ頃終わるのだろうか

■息子とまたうまく意思の疎通が出来ず、喧嘩になる。反抗期とか来る前にこの

調子じゃマジでこの先思いやられるぞ。

ただ、ここ最近のこのうまく行かない感じは、落ち着いて考えると息子のせいではない。俺の余裕の無さだ。それもわかっていながら、その場で収めることが出来ずに苛立ちを息子のせいにしてしまおうとしてしまっている部分が自分でもあとから考えて恥ずかしいし、情けない。このままではよくない、と本当に思う。

 

1番はいままで自分は息子にあまりにも何も言わなすぎたのではないかと焦りみたいなものが生じたことによる。

こういう話をすると、ついに我が家にも教育方針どうのこうのという面倒臭くて後回し、先送りにしてきた内容と嫌でも正面から向き合わなくてはいけない時期が来たのかと暗澹たる気分になるわけだが、もちろんいつまでも避けて通るわけにはいかない。

 

妻は自分がそうだったからか、とにかく「なるようにしかならないでしょ」みたいなところがあって、俺はもちろんそれもそうだな、なんて思っていたんだけど、ここのところどうしてもいろんな面で「比べる」ということを俺がしてしまう機会が増えて

「あれ、そうは言っても、あれ?このままじゃ、やばくない?子供があとで苦労しない?」

なんて焦りを勝手に内面で感じ始めるようになった。クソほどありふれた、どこにでも転がっているような家庭の悩み、親になると同時に誰もが直面する問題その一、みたいなもんだろう。わかってる。わかってても当事者はいつだって深刻で真剣だ。

だが妻と自分の温度差があることもわかっていて、一度何かの機会にそうした点について話したとき、露骨に嫌な表情をしたことがあった。もう嫌な思いはしたくないと思って、それ以来切り出すことに臆病になった。結果として今に至るまで息子の教区方針と呼べるものは何も我が家では会話に上ることもないまま、来年小学校に入るという段階になっても、ひらがなとカタカナをすべて満足に読み書きできるか怪しいレベルでしかない。

 

今日そんな誰にも言えないでいた「このままでは息子は出遅れてしまうのではないか」という焦りと苛立ちが爆発してしまった。

同じことを何度も息子に言い聞かせ、要求し、それができるまで遊んではいけない、と言ったのだ。今までそんな風に言ったことはないので、息子も戸惑い、結果的には泣き言を言い始め、最後には本当に泣き出してしまった。ここで引いてはいけない、と俺も譲らないでいたら、向こうも徹底抗戦の様相となり、結果的に何も進まなくなってしまった。

 

下手くそ。

今まで親としてまともに子供と向き合ってなかったくせに、いきなり父親ヅラしだすからこうなるんだ。頭の中で自分がそう言う。顔を伏せて泣いたままの息子を見て途方にくれていると頭の中では自分を責める言葉と息子の将来の不安が入り混じってどうにかなりそうだった。

 

妻が今日は自分が息子と1日過ごすから、娘と遊んできてほしい、というので、ぼんやりしたまま娘と近所のショッピングモールへ出掛けた。彼女は彼女で空気を読んでいるのか、いつも以上におどけたりして、俺を笑わせようとしているのが見て取れて、4歳に気を使わせて、俺は何をやってるんだ、と余計に落ち込んだ。

 

妻からLINEが入り、夕飯は済ませてくるからそっちも勝手に食べてほしいとのこと。遠くまで遊びに出かけたのかな、と思っていたら、すぐに画像が送られてきた。シンデレラ城の前でポーズを取った、満面の笑みの息子の写真だった。

 

夜、帰ってきた息子は興奮冷めやらぬ、と言った感じで矢継ぎ早に今日あった出来事を話し始めた。身長が伸びたから、ビッグサンダーマウンテンにも乗れるようになったこと、乗ったら怖くて叫んでしまったこと、俺に約束していたお土産のチョコレートを買ってきたこと。

そして、ついでのように

「パパ、今日ごめんね」

と言った。

 

俺の親父は手をあげる人でもなかったし、何かと口うるさい、というタイプでもなかった。どちらかというと子供のことよりも自分のことで忙しく、興味の対象の中心は自分なのだろう、と小さい頃から理解していた。

母親は節目節目で俺に対して、きっと言いたくなかったであろう言葉を言っていた。

絵を描くのが俺は好きだった。小学校でイラストを描くクラブ活動をしていたが、俺が褒めてもらえると思って持って行った絵を見て「いつまでこういう幼稚な絵を描くの」と言った。そのときはもちろんショックだったけど、その指摘はあっていたと思う。

英語の勉強を始めたとき、わからなくて愚痴っても「こんなのは誰でも知ってる」と横についてくれたのは母だった。

受験勉強が辛い、と泣き言を言った時、大学に行きたくないなら専門学校に行きなさい、と言い、実際学校ガイドを買ってきて渡してくれた。

中学校の時に通信教育を申し込んでくれたのも、塾を見つけてきてくれたのも母だった。

要所要所で進路に関わることをバックアップしてくれていたのだ、とあとで気がついた。そのときそのときで、俺は自分でそれを選択したような気分になっていたが、母がお膳立てをしてくれていたに過ぎなかった。

それを決められたレールだのとは思わない。自分では何も考えることすらできなかった自分に選択肢を増やしてくれたと思っている。マザコンだな、とは思う。ただ、素直に感謝出来るという話だ。

 

俺は、母が自分にしてくれたことを息子や娘にしてやりたいと思っている。やりかたはこれから失敗したりを繰り返すことになるかもしれないが、母だって嫌になったり投げ出したりしたくなったことがあったに決まっている。それでも続けてくれたおかげで、俺は決してたいしたものではないが、なんとか自立して、家庭を持てるようにはなった。

ここで折れてはいけない。投げ出してはいけない。始まったばかり、始まってさえもいない。

 

息子が「パパ、ごめんね」と言ったとき、息子が謝ることは何もない、と思い

「こっちこそ、ごめんね」と言った。

始まってしまったからには、やるしかない。親として、きちんと親になるのはこれからになるのだ、と最近強く感じている。

メロン風ゲロの匂い

■元を取るかのようにAmazonプライムで映画を見まくっている。

 

最近見たのは「ファイトクラブ

もっと早く見ればよかった。俺はこの映画でエドワード・ノートンという俳優を知ったのだが、髪が短く若いこの頃の彼は浅利陽介によく似ていて、見ている間中そのことばかりが気になってしまった。今にも「からだすこやか茶〜!」と絶叫しだすのではないかとヒヤヒヤした。それは嘘です盛りました。

 

■息子が蓋をきちんと閉めていなかったので、俺のリュックサックの中で盛大に三ツ矢サイダーが溢れていた。

公園でだるまさんが転んだをやっているときから何かおかしいな、というのは実はあった。

というのも、なんかメロンっぽいゲロのにおいが鼻先に香るなあ、と思っていたのだ。

てっきり息子の口臭だと思っていた。疑ってごめん。でも、それ以上にお前のせいで被害は甚大だ。

真っ先に確認したのはやはりスマホだ。これが水没してたらブログだって書けない。あとエロい動画サイトがこっそり見れなくなる。これはなんとしても避けなければならない。

周りのカバーは濡れていたものの、中のスマホは無事。それを確認してから今度は財布。こちらも若干周囲が濡れていたが、クレジットカードやお札は無事。よかった。次に万が一でいつも持ち歩いているメガネ。ケースは濡れているものの中身は無事。ふーよかった…と、タプタプと液体がたまっているリュックの底に沈む何かが見えた。恐る恐る手を差し込み、取り上げるとそこには、ぐったりとした革製のキーケースの姿があった。

「おい!お前、しっかりしろ!」

と思わず叫んで呼びかけてしまうほど、その姿はまさしく「ぐったり」という感じで、俺は初めて無機物が「死んだ」という逆転の構図を目にした。合掌。

慌てて子供達を連れて家に帰り、ないふり構わず洗剤で洗ってみたり、消臭剤をぶちまけてみたりもしたが、彼が息を吹き返すことは無かった。鼻先を近づけるとメロン風ゲロの匂いが強く香る。彼を持ち歩くことは今後厳しいだろう。

 

なんだかその一件で嫌になってしまい、午後はずっとベッドに横になって寝ていた。自分でもどうかしてると思ったが、どうすることもできなかった。なんだか気持ちが沈んでしまい、子供にも八つ当たりしてしまった。蓋が閉まっているかどうか、確認すべきだったのは俺だ。学生の頃からずっと使っていたキーケースだった。それは確かだが、こんなことはよくあるこだろう。子供が原因でものを壊されたり、怪我したり、俺たちそうやって親になってくんじゃねえか、なあそうだろう?叔父貴…なんて思っていたが、ダメだった。

ベッドに横になっている間にいつのまにか寝てしまい、ふと気がつくと窓の外から猛烈な雨音が聞こえてきた。子供の面倒は全て妻に押し付けて、俺は今日一日寝かせてもらった。どうにも起き上がる気力が出なかったのだ。

ついさっき起きてきた。子供たちに特に気にした様子はなかったが八つ当たりした手前、俺は気まずい。明日は息子を連れて剣道に行かなければならない。メンタルの弱い親父で悪かった。リュックもキーケースも死んで、ゲロみたいなメロンみたいな最悪のにおいになってしまったが、お前のせいじゃなかったよな。八つ当たりしてごめん。お前は子供の渡してきたジュースのペットボトルの蓋を確認できる大人になれよ。

 

■っていう文章をオアシスの「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」を聴きながら書いたら、何か今日一日、本当に何一つ生産性のあることをしていないにも関わらず、何かを成し遂げたような気になったので、音楽ってすげえな。結論、音楽はすげえ。

 

 

あの日見た2ブロックを僕らはまだ知らない

■表記が雑な人は信用ならない。

 


それは例えばドラえもんをドラエモンと書いたり、さまぁ~ずをさまーずと書く人のことである。

 


それと、30過ぎて香水の匂いをプンプンさせてシルバーアクセ付けてる男と、髪型を2ブロックにして肌が浅黒い、ゴキブリみたいに黒光りする先っぽが尖った革靴を履いた営業マンも俺は信用していない。

偏見だ。だが、偏見の中に真実は存在する。有限の時間の中で俺たちに与えられた時間はほんのわずかだ。残り少ない時間を有意義に過ごすために偏見は存在する。

 


今日も俺は商談の中で営業マンの革靴をチェックすることを怠らない。それは俺を裏切らない。

例えば先日

「アイスブレイクはこれくらいにして」

と勝手に話し出したてめえの雑談を勝手に切り上げて本題に入り始めた営業がいたんっすわ。枕はこのへんにしてっててめーは落語家か。歌丸の爪の垢でも煎じて飲んどけ。R.I.P UTAMARU。なんだよアイスブレイクって。てめえの話がつまらねえから俺たちがアイスになってるってわかってんじゃねえかFUCK!って感じで「俺の営業トークを見とけ!」感が凄くて生理的に無理~ってなったんで適当に放っといたんですけど、1ヶ月も立たずに転職したらしく、そいつと商談進めてた同僚は後任の営業がほとんど引き継ぎされてなかったらしく苦労してた。

で、そいつは見事な2ブロックで革靴の先っぽが尖っていた。

なあ新人、見るべきものは手元の見積書じゃないぜ。営業の革靴の先っぽだよ。何?尖ってたって?せいぜい気をつけな。

 

 

 

■俺流無季自由律

おっさんはググらないよね

わからないままにするんだ

ググれカス

 

 

 

■買ったばかりの革のバッグの革の匂いがきつい。

電車で俺の隣に誰も来ないのはこの革の匂いがキツイからだろうか。それとも俺の体臭が革の匂い以上にキツイからだろうか。後者だとすると泣いちゃうんだけど。

 


子供の頃よく遊びに行った荒川の河川敷では川の反対岸になめし工場があり、悪臭がいつもしていた。俺はその匂いがどうしても耐えられなかった。俺の実家は靴屋で、革靴もたくさんあったので、店内がいつも革の匂いに包まれていた。中学生くらいの頃、進路を考え始めたタイミングで俺は親父に俺は店を継げないと言った。革の匂いでゲロを吐くからだ、と。祖父、父と2代続けた靴屋ではあったので、俺なりに緊張しながら伝えたつもりだはあったんだけど、親父は特に気にした風もなく「そうか」と言っただけだった。

俺の心配など全く不要で、時代遅れの商店街のちっぽけな靴屋は淘汰され、俺が高校生の頃にあっけなく潰れた。俺が店を継げない、と言った頃既に店を畳むつもりだったのだろう。

潰れた店の跡地に喫茶店の大手チェーンが入り、テナント料で親父は仕事をせずとも暮らしが出来るようになった。

毎朝モーニングをその喫茶店で食べるようになり、性格は見る見る明るくなった。別にいいんだけど、そんな姿を見ると「俺が緊張して店は継げないって言った時の気持ち、返せよ」って言いたくなる。

いくつになったら

退勤時にエレベーターの中で、普段ほとんど会話を交わすこともない同僚たちと乗り合わせた。軽く視線だけで会釈をする。

途中の階から乗り込んで来た顔見知りらしき社員が

 


「お、今日野球、これからか」

 


と親しみを込めた口調で彼らに話す。

 


「お前ら、みんなリュック背負ってるからすぐわかるな」

 


全くその集団と関係は無いが、俺もリュックを背負っていた。すみません、俺何の関係もないんです、と申し訳ない気分になる。

するとその中の一人が言った。

 


「●●さん、久々にどうですか?」

 


話しかけられた●●という社員は

 


「俺はもういいよ!腰やっちゃうよ」

 


エレベーターの狭い空間の中で男たちの笑い声が弾ける。社交辞令、ノリ、空気を読む、コミュニケーション、健常、非健常という言葉が頭を過る。いつか出来るようになるんだろう、と思っていたら、出来ないまま大人になってしまった。

 


1日の仕事を終えて、それだけでぐったりと疲弊し、帰りに乗る電車の混雑具合を想像してげんなりしている俺と同じ時間帯に会社を出て、これから野球をしに行こうとしている男たち。きっと会場には年下の社員に呼ばれた若手の女子社員が応援に行っているのだろう。試合を終えて、そのあと全員で飲みに行くのだろう。男性ホルモンが有り余ってる。

まるで、遠い世界、海の向こうの国の話のようだ。俺の会社にはきっと俺が知らないもう一つの世界があって、そこでは俺が知らない言語で会話をし、円滑なコミュニケーションが図られているのだろう。

俺はこれから地下鉄に乗って自宅に戻り、家族が寝てしまった家でテーブルの上のラップのかけられた飯を電子レンジで温め直し、一人でスマホAmazonプライム・ビデオを見ながら食う。食ったら食器をきちんと洗い、生ゴミをまとめて捨て、風呂を沸かして入り、発泡酒を飲んで寝る。

その生活を、その繰り返しの人生を、選択したのは自分だ。俺は自分の思う形の幸せを、自分の出来る形で手に入れたんじゃないか。

わかっているのに、俺はどうして彼らから目を逸らしてしまうんだろうか。一階に到着するなり、足早に出口を目指してしまうんだろうか。

 


俺は先天性の視野狭窄で、今のところ進行もしていないが治るということはない。

眼底写真の黒ずんだ視神経を指差して眼科医は「ここの神経、死んでるね」と言った。

 


見た目からわかるものではない。全く見えないわけでは無いから、もちろん一人で歩くことは出来る。ただ、人の多い場所に行くと

途端に歩くのが怖くなる。四方八方から人が来ると、そのほとんどが見えていない俺は、終始目をあちこちに動かし、それでも足りなければ首を左右に大きく降って人を避けながら歩かねばならない。

全身に力を入れて歩く、とても疲れる。

新宿のようなターミナル駅だと、乗り換えだけで頭痛がひどい。今も緑内障になり失明する可能性は消えていない、と言われている。

四年前に股関節を怪我して以来、目に見える障害はないものの残る違和感と未だに検査、毎日朝晩行うストレッチと筋トレ。完治は無いと宣言された。死ぬまで続くのだ。10月にレントゲンとMRI。俺のスケジュールは病院が抑えている。

 


動ける人間 がいて、動けない人間がいる。

数年前のことだが、乗っていた電車で目の前人が倒れた。

スーツを着た初老の男性で、恐らく脳に何か起きたのだと思う、何の前触れもなく、いきなり背中から倒れ込んだ。車内にバーンと物凄く大きな音がして女性の悲鳴が上がった。

俺はすぐ目の前の座席に座っていたにも関わらず、動けなかった。離れた場所に、男性がかけていた眼鏡が飛んでいって転がった。レンズが割れていた。

 その時、男性の元に一人の若い男が近寄ってきて「大丈夫ですか?」と軽く身体を叩き、頰に触れながら話しかけた。動きは俊敏で、倒れて瞼が半開きになっている男性の顔を視線を逸らすことなくまっすぐ見ている。俺は、その半開きのままビデオの一時停止のようになった顔が、割れた眼鏡が怖くて、動けなかった。

若い男はどこにでもいそうなチャラそうな格好をしていたが、男性にずっと話しかけている。別の男がやってきて、何やら二人で話し合う。電車はそこで駅のホームへ入り、俺は降車駅だったので電車を降りた。駅員はいいないか、とホームでおどおどと辺りを見回す俺の横を若い男が走り抜けていった。ホームにいた駅員お呼びに行くところだった。

 


何が健常、非健常だ。

お前はただの見て見ぬ振りばかりで自分が責任を引き受けるのが嫌で関わりを避けてきただけの人間だろう。

自分の作り上げた狭い世界でしか生きられずにそれ以外の人間を排除することだけ考えている。周りが見えずに今日も奥歯を噛み締めている。歯を強く噛み締め過ぎて顎関節が外れたこともあった。噛み締めた歯で舌が裂ける。血の味がする。

俺の視野が狭いのは比喩でもあり物理的な問題でもある。その狭い世界から、臆病者は今日もおどおどと首を出したりひっこめたりしながら這うように進んでいる。

 


狭い視野の周囲で、大きな男たちのリュックが見える。

エレベーターが開く。男たちは全身から生命力みたいなものを立ち上らせながらどやどやと降りて行く。俺の言う「お疲れ様でした」は誰の耳にも届かない。

親知らずを抜く日

■また新しいキーボードを買った。

俺はいつもスマホで文章を書いているので、ワイヤレスのキーボードを買ってある程度の長さがある文章書くのを乗り切っている。

新しいキーボードを買う度に新しい文章が書けるような気がする。

子供が新しい鉛筆を買ったら字が上達するのではないかと思うように。

 

 

 

■ 会社を休む。

いつもと違う時間帯の街、電車、カフェ。

普段見かけないタイプの人たちがそこにいる。みんな今ここにいるのはどうしてで、ここからどこに行くかなんて知らない。言葉を交わすこともない。ほんの一瞬同じ空間にいて同じ時間を過ごすだけ。

俺はこれから歯医者に行って親知らずを抜く。格好つかねえな。

 


■親知らずを抜いた。

抜いた歯をまじまじと見ていたら持って帰るかと聞かれたのでもらって帰ってきた。自分の一部だ。もらって帰っても誰にも文句は言われない。銀歯は被せてあるし、奥の方は黒く、虫歯になりかかっていたようだ。自分の肉体から無理やり位引っこ抜いたそれは、ついさっきまで生きた身体の一部だったが、今は骨の欠片に過ぎない。俺の親知らずは上に生えていた割には珍しくさきっぽがくいっと曲がっていたらしい。歯医者は少々抜きにくかったようだ。引き抜かれた親知らずは夕方のニュースで紹介されそうな「ど根性ダイコン」みたいな形をしていて、歯根の部分が妙にひん曲がっている。まるで楽しそうにダンスしてるみたいだ俺の親知らずは歯の奥で34年間楽しそうに、ダンスをするみたいに生えていた。そんな風に思うと、俺はこの骨の欠片が、俺のどうしようもない34年間を一緒に生きてくれたこの一部が、少しは愛おしく感じた。けれど、ほかに使い道も無いのでそのうち捨てます。

ワンダフルライフを探して

■ここ最近Amazonプライムで子供達がちびまる子ちゃんばかりを見ている、という話を数日前に書いたばかりだったので、原作者であるさくらももこの訃報に、驚きとともに不思議な気持ちになった。

あまりにもちびまる子ちゃんばかり最近見ているので、さくらももこのことも気になって、最近ネットで色々検索していただけに、その人が急にいなくなってしまったという事実に、なんとも心もとない気持ちになったのだ。

つい最近彼女が更新したブログも読んだ。他愛ない日常を綴っていて、どこにでもいるふつうの女性なのだと思っていた。30年続いているアニメはこれからも続いていくし、さくらももこの名前もきちんとみんなの記憶の中に残って行くだろう。

ドラえもんサザエさんクレヨンしんちゃんちびまる子ちゃん。何十年も続くアニメの原作者たちは、皆いなくなってしまった。それでも作品は続き、我が家の子供達のように、今日も新しいファンは増え続けている。あなたたちの生んだ作品は、私たちの中にずっと生き続ける。ありがとう。

 

 

「ワンダフルライフ」という映画を思い出した。20年近く前、単館上映された映画で、今は押しも押されぬ大監督の是枝裕和が撮った映画だ。

死んだ人が天国に行くまでの間に、天国まで持っていける生前の記憶を、たった一つだけ選んで持っていける、というお話なのだけど、これって今考えるとすごく残酷だなって思った。今死ぬとしたら俺は多分家族の記憶を持って行くと思うんだけど、妻や子供達の記憶を持って言ったら、自分が子供だったときの父や母や姉と過ごした、幼い頃の楽しかった記憶は失われてしまう。そのどちらが自分の人生において大事だったかなんて決められない。もちろん、どちらも大切な記憶だ。

家族との思い出だけが自分の人生ではない。今はもう会うこともないであろうたくさんの人たちとの記憶も、自分を形作る上で大切な記憶の一つ一つになっている。人生の記憶の棚卸しを、自分の人生の最後にさせられるなんて、それこそ地獄に行くような作業だ。おまけにそのうちほとんどの記憶は持って行くことができない。

由利徹だったと思うのだが、映画の登場人物の一人がスケべなジジイで、散々女関係の話をした挙句、最後に選んだのは連れ添った奥さんとの温泉旅行だった、というシーンがあった。散々話した女の話は照れ隠しで、結局ジジイにとって最後に一つだけ持って生きたかったのは、いつもずっと一緒だった奥さんとの、ありふれた温泉旅行、その何気ない日常だった、という表現が印象に残っていて、今こうして自分が結婚して、子供を持って、歳を重ねてみると、最後に大切にしたいのは結局そういうものなのだろうな、と納得できるようになった。

ありふれた日常の一瞬の中に、いつまでも忘れられない永遠がある。

中島らもがそんなようなことを言っていたような気がする。違うかも。

俺たちはそんな瞬間を探しながら、きっと生きている。

 

 

つまんでやろうか

■なんのためにブログを書くのか、あるいは読むのかということを考える。

 


世の中にはプロの書き手という人がそれこそ星の数ほど既に存在していて、その人たちによる極めて精度の高い、研ぎ澄まされた文章というものが流通している。

限られた人生の時間の中でそれらを読むだけでも十分人生は価値のあるものになって行くだろうし、得られる情報としても事足りるとは思う。

それでも俺は自分の文章をブログの場に書くし誰かの書いた文章を読んで見たいと思う。

 


個人のブログというのは、基本的にはどこにでもいる、なんの変哲もない「自分と変わらない」無数の人たちが、実はこんな日常を、こんな思いで過ごし、こんなことを考え、そしてこんなことをした、という日々の記録だ(もちろん専門性の高い有益な情報を厳選したブログだってたくさんあるけど、そういうプロに近い人ではなく、ふつうの人が、ふつうの暮らしの中で思ったことを書いている、いい意味で「無益」な文章の方が俺は好きなので)

 


それを読むことで、「自分にはなかったけど、こんな考え方があるんだな」とか「悩んでいたけど、こんな風に向き合っている人がいるじゃないか」とかって新しい考え方に気づかせてもらえるし、あるいは現実問題として直面しているシビアな状況と向き合うための勇気を与えてくれる、背中を押してくれるきっかけになったりもする。

ブログってそういう存在なんだと、最近すごく思うようになった。

 


休み休みだけどそれでもここでブログを書き続けて約4年経つ。書く内容や文体もコロコロ変わっているけれど、またブログをきちんと書いて続けたいなと思う意識が強くなってきている。他に特に趣味もない自分だから、大切に続けていきたいなとも思っている。

酒を飲んで酔っ払って書いているわけではないのだけど、改めてそう思ったので書く。

 

 

 

■子供がやることと言うのは、やはり親からしてみればなんでも面白いし、愛おしい。

6歳の長男は幼稚園でひらがなの練習を何度もやらされているようだが、誰に似たのか生来の面倒くさがりできちんと練習をしない。練習帳を見たが、最後まで反復練習のマスを埋めきっているひらがなが一文字も無い。以心伝心か、俺の不安を感じ取ったように義両親がどっさりとひらがなの練習ドリルを送ってきてくれた。見た目は仮面ライダーなどでデコレーションされているものの、開けばそこはもちろん練習ドリル。無数のマス目に「あ」「あ」「あ」とか書き続けるのが相当苦痛らしく、結局ほとんど使っていない。こっそりチェックしようと思って中を見て見たところ、「あ」だろうが「ぬ」だろうが、マス目には彼の名前の中に含まれる「ま」という字が途中から強引に介入し、何度も練習されている、という状況を目の当たりにした。主張しまくる「ま」。あちらを開いても「ま」、こちらを開いても「ま」である。彼は何しろ6歳になっても我が家の「甘えん坊将軍」の座を妹に明け渡す気はないらしく、「ママぁ」と一日中ママを呼び続け、ひどい時は「ママママママ!」とマを連呼し続けることで己の存在を強烈に誇示してくる

とのことで、彼にとっては「ま」という音そのものが恐らく大事なものなのだろう。

「ま」は前から何度も練習し、彼の中での「自信のあるひらがな」No.1なのである。いや、わかるけど。書ける字何度も練習しても意味ないだろ、という説教は彼には通用しない。マス目を「ま」で埋め尽くされた練習ドリルを手に俺はどよんと顔の左上に縦線が何本か入って行くのを感じた。どこかから「後半へ続く」というキートン山田の声がした気がした。

 

■長女は今年4歳になったのだが、天真爛漫な反面極めて感情の起伏が激しい。彼女は暴力で全てを支配しようとする。特に兄である長男へは手加減一切なしのストロングスタイル。長男のへっぽこ具合も重なり、しょっちゅう彼は妹に泣かされている。長女の最近の脅し文句は「あとでぶん殴ってやろうか?」だ。最近は「硬いの持ってきてやろうか?」というのもランクインしており、先日俺が彼女が寝ているときに近くで屁をこいたら「硬いの持ってこようか?」という謎の寝言を発したのは、どうもこれだったらしい、ということが判明した。

つい最近彼女の兄への脅し文句に、一つあたらしいワードが加わっていた。

「つまんでやろうか?」

そう言って親指と人差し指でくいくいっと何度かつまむような仕草を見せるのである。怖。つまむって何。その後長男は実際につままれて大泣きしていた。

ファッキンジャップくらいわかるよ馬鹿野郎

■昨日レザボアドッグスのこと書いたらもう一度見直したくなってAmazonプライムでレンタルして見たんだけど、冒頭の意味ない会話のシーンでとにかくやたらとファッキンなんとかって言ってるのだけは凄くわかるのと、日本語訳で「超デカチン」とか出てて、まあそういう意味なんだろうけど、翻訳した方の

 


「うーん、スラングでチンコって意味なんだけど、ただチンコって訳するんじゃ芸がないなあ。しかも大きいって強調してるからな。でっけえチンコ?うーん、もっとオゲレツな感じの方が不良の雰囲気が出るかなあ。大きいチンコ大きいチンコ…あ!デカチンって言うよな。じゃあデカチンをさらに強調して超デカチンって訳そう!」

 


みたいな葛藤を垣間見ました。

この訳をしたのが女性の場合、それはそれで俺のレザボアドッグスも裏切り者を探し始めるかも知れませんね。以上!解散!

 

 

 

■ファックと言えばですね、大学の友人にとにかくやたらと「ファックだな」って感想を述べる女の子がいたんですけど、今にして思うとなかなかクレイジーですね。

 


「ゼミまで間空くから学食行く?」

「あーマジファックだな」

 


とかめちゃめちゃスナック感覚に使ってたんで麻痺しちゃって気にならなかったけど。

彼女は大学一年で出会った時にも既に手慣れた手つきで煙草も吸いこなしていたし、今では結婚して子供も産まれていますが旦那と単車でツーリングに出てたりとカッコいい女性です。

ちなみに旦那さんももちろんいい男なんですが、俺は一緒に飲んでる時に一回殴られたことがあるので、割と夫婦揃ってクレイジーなのかも知れません。こういう時「マジファックだな」って使うとカッコいいですかね?

 


■そう言えば高校ん時にもファーストキッチンのことをファッキンって略す女の先輩がいたんですけど、思い返すと俺の周りにはやたらとファックを使いこなす女性がいたな。てか今思ったんけどファーストキッチンって松屋の理念である「あなたの食卓でありたい」のほぼ直英訳バージョンじゃない!?

だからなんなんだ。なんなんでしょう。マジファックだな。

フォーエバー竹野内タイム

■ふと思い立って歯石を取ることにした。

 

日々歯を磨いていて、歯の裏側にエグい量の歯石が付いているのがずーっと気になっていたのだ。先週美容院で髪を短めに切ったらスイッチが入ってしまい、この機会にあちこちメンテナンスしとくか、という感じで歯医者に行くことにした。ちなみに、この「自分をメンテナンス」って言葉は前に意識の高そうな知り合いの女性が使ってて、いいな、と思ったんでパクりました。いいよね?みんな、メンテしてる?

 

でね、全然治療と関係ないんだけどその歯医者が竹野内豊に似てるわけ。自分でも寄せてるのか知らないけど鼻の下とアゴにヒゲまで生やしちゃってさあ。

もうそればっかり気になっちゃってあとは頭入らないのよ。

 

説明する竹野内。

マスクをする竹野内。

小さい棒の先っぽに鏡がついてるやつを掴む竹野内。

削る竹野内。

覗き込む竹野内。

 

治療が終わって鏡を見たら、俺反町になってんじゃねえだろうな!?歯科助手が全盛期の広末になってんじゃねえだろうな!?ってくらいフォーエバー濃厚な竹野内タイムを過ごしてたんだけど、鏡を見ても相変わらずしょぼい宇崎竜童みたいな中年がいるだけでした。俺のビーチボーイズっぽいところと言えば歯石取るのに歯科助手に管で水めっちゃ口の中にぶっかけられながら唾と一緒にがぼがぼ吸われてたところだけでした。じゃ、俺は先行って歌広でFOREVER歌ってるんで、あとで合流してくださいね。

 


■金髪長身青い目マッチョの超絶イケメン白人男性と黒髪の日本人女性が駅でめちゃくちゃ仲よさそうに手繋いで歩いてたんですね。

で、エスカレーターで降りるときなんか完全に向かいあって腰に手回しちゃってね。ナイスアメリカ!って感じだったんだけど、この「文脈」だけで言うと、俺の隣にも金髪巨乳美人がいてもおかしくないなって思って通り過ぎたんですけど、おかしいですね。ここのところ忙しくておかしくなっちゃったのかも知れない。何「文脈」って。

 


■大学くらいの時ってレザボアドックスみたいな格好憧れるじゃないですか。御多分に漏れず俺も細身の黒いジャケットに黒い細いネクタイ締めて黒い細身のパンツ穿いてこれはもうキマっちゃったなとか思ってたら当時まだ実家だったんですけど母親に「葬式?」って言われるのはあるあるに入れていいですか?