もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

オラオラあーした

若い人の間では「エモい」という言葉が一般的になりつつある。先日職場の同僚の女性が今更だが始めてタピオカの店の行列に並んだ、という話をしていた。並んでいるとき近くに並んでいた制服姿の女子高生が「テンサゲ」「あたおか」という言葉を使っていて、その意味がわからず待っている間ずっとその意味を考えていたのだという。俺はどちらの言葉の意味もすぐわかってしまったのだが知らないふりをした。おじさんが知っている方が気持ち悪いと思われると感じたからだ。知ってる人も多いと思うが「テンサゲ」は「テンションが下がる」こと、「あたおか」は「あたまがおかしい」の意味である。特にあたおかについていうと「金属バット」という芸人がネタの中で使っていたことをきっかけに俺は意味を知ったので、そのあたりのルーツまで行き着くとさらに何こいつ?だったので自分で勝手に判断して黙っていた。特にそんなことを気にしなくても誰も俺が発言することなど気にしていなかったと思う。会社にはコーヒーが飲み放題のサーバーがあるのだが、位置関係的にやや設置されている台が低く、紙コップをセットしてレバーを下げると、サーバーのタンクに隠れてどの程度コーヒーがコップの中に入っているのか、見えにくくなる。その度俺は長さと音で判断し、見えないコーヒーを想像しながら「いまだ」という感じでレバーを戻して紙コップを引き抜く。9割方成功しているが時々やや少なかったり、思った以上に多くて自席まで持って帰るのにそろりそろりと気を使いながら戻ることもある。デスクワークがメインになった日などは日に10回近くデスクとサーバーを往復することもある俺としてはまるでコーヒーサーバと俺とのチキンレースだな、と思った。世界一意味のない戦いだ。異動の季節になり、会社全体が落ち着かない。組織単位で変わる予感もあり、大異動の前の先行異動みたいなものまでイレギュラーで始まっていてデスクからぽつぽつと人がいなくなっている。歯抜けのようにあちこち空き地が出来ていて、一人ずつ人が減っていく感じは不思議な感じで異動の時期になるといつもデスクにじっと座っているのが嫌になるので今日は早めに帰った。十八時前の電車の中は驚くほど混んでいて世間というのは夕方帰って家族と一緒に食卓を毎日囲む、という暮らし方の人もたくさんいるのだと当たり前のことを思った。

髪を切るときは。

子供と一緒に美容院に行った。小学生になったこともあり、そろそろ家でカットよりはプロに切ってもらった方がいいのかなとなんとなく思ったからに過ぎない。引っ越す前は1000円カットに行っていた。この街の1000円カットは異常に人気があり、平日だろうが土日だろうが店内から溢れ出て行列待ちという様相。子供は緊張からか俺の担当が何を聞いてもまっすぐ前を向いたまま口を真一文字に結んだまま。誰か庇ってんのか、と問いたくなるほどの取調室感。時々答えられる範囲の内容だとささやくように返答する。月並みな表現だが「蚊の鳴くような声」と言うのはよく言ったものだなと感じた。思い出したのは自分が子供の頃のこと。俺も小学生になってから父親が使っていた近所の床屋に行くようになった。夫婦で経営していて、親父はボディビルが趣味でちょっと岩城滉一に似ていた。おかみさんは丸顔で人懐こい感じのいかにも商店街によくある街の床屋、という感じだったのだが、俺も随分と長い間まともな会話をすることが出来ず、沈黙のまま髪の毛を切られるがままにしていた。ファッションなど遠い海の向こうの国の話だった当時の俺からしてみれば髪の毛は目に入らなければいい、と言う程度だったのだから仕方ない。美容院と違い床屋は予約制ではないので、必ず何人か待つことになる。待合室で普段家では読めないジャンプやマガジンと言った週刊の漫画雑誌を読んで待つことが多かったが、高学年に入って小説を文庫本で読む習慣がついてからは、必ず文庫本を片手に床屋に行くようになった。ある日その文庫本を置いて髪を切られているとおかみさんが「何読んでるのかな?」と言いながら表紙をめくった。その時読んでいたのはグロテスクな描写のあるホラー小説で、扉絵に気持ちの悪い挿絵があった。めくったところはちょうどそこで、俺は自分の嗜好性が疑われるのではないかと恥ずかしさで押し黙った。おかみさんは軽く笑ってそのまま髪を切り始めたが、俺からすれば自分が変質的な嗜好を持った気味の悪いガキだと思われたのではないかとそればかり考えていた。要はそうしたよく言えば繊細端的に言うと自意識過剰で人見知りな遺伝子と言うのはしっかりと息子に受け継がれている。それからまもなく俺は三つ上の姉が通い始めた美容院を紹介されて床屋へ行くことは無くなり、10年振りに戻ってみれば店は畳まれていて看板も取り外されていた。今日口を真一文字に結んでいた息子に家に帰ってから「今日どうだった?」と聞くと「うまく答えられなかった…」と張り詰めたように言うので思わず笑ってしまった。恥ずかしかったらしい。髪型は気に入っているようなのでまた行ってみたいと言う。彼が自分の意思で店を選ぶようになるまでしばらく世話になるかも知れない。

君の父の日が思い出になる前に。

父の日という口実で両親と妻と子供達を連れて外食をする。父親が楽しかったのかレモンサワーとハイボールをやたらと頼み、鮭チャーハンを頬張りながら喋るので
米粒が俺の方に飛んできたりした。ここは昔ダンススクールだった、と母親が言ったが俺は違うよ、ここは一階が昔ケーキ屋で、そのケーキ屋がイベントスペースみたいに貸し出しをしてたじゃないか、だから俺の小学校の卒業式の後の謝恩会をここでやったろ?と言うと違う、ここはダンススクールでそこにお義母さんが通ってたじゃない、ねえ?と父親に同意を求めたが酔いの回った父親からすれば、死んだ自分の母親が通っていたダンススクールも、20年以上前の俺の謝恩会の会場も、どっちでもたいして変わりは無いようだった。夕方外食に出るまでは雨が止む気配も無いので一日中家にいて、娘と人形遊びをしていた。リカちゃん人形の顔が記憶の中より現代風にアレンジされていて可愛かった。着ている服はボロボロとなり髪の毛は娘によってカスタマイズされて、マーカーか何かで緑色になりかかっていた。進行は娘に任せていたので言われるがままに人形を動かす。「今日はこれからスーパーに買い物に行きましょう」「そのあとセリアを見に行くのよ」「あとで猫ちゃんを見に行くのよ」これは俺たち夫婦が家族でイオンに出かけた時のコースであり、普段の生活行動が人形遊びに反映されるのだと思うと今後娘が友達と遊ぶ時とか、その家の家庭の事情とか経済事情とか文化的背景とかそういうものがすべて投影されてくるんだなあと思った。俺の会社は従業員数もそれほどいない中小企業なのだが母体となる親会社がありそこから時々出向してくる人間がいる。当然彼らと俺たちの収入は桁が違っており、見ているもの着ているもの食べているものすべてが違う。無理矢理参加させられた会社のプロジェクトで一緒になった、それも数回あったミーティングのうち1回だけお飾りで出席したような重役と打ち上げの席で隣同士になったことがある。会社の近くの学生も来るような安い居酒屋を会場に選んだ幹事の気の利かなさに俺すら辟易したが、普段こんなところで飲むこと無いであろう重役は「まあこういうところもたまにはいいよな」などと自分を納得させるようなことを一人でぶつぶつ言っていてこういう人の人生も大変だなと思った。その際そいつは「元気が足りない」などと俺の頭を小突いたので「パワハラですか?」と俺は言った。こういうやつは休みの日に家族と車でイオンに言ってフードコートの銀だこを食うのに行列に並んだり、無料の、すえた臭いのする、破れた箇所をガムテープで補修してあるようなプレイスペースで子供を遊ばせたりする子育てはしなくてすんだのだろうな、と思う。お子さん、人形遊びしますか?人形はどんなことを話してますか?リカちゃんの履いてる靴はルブタンですか?水で9割増しに薄めてるようなサワーとダイソーの入り口脇に置いてあるような出所不明の赤ワインが並んだテーブルで、それでもアルコールが入ってりゃどうせ酔うくせにと俺はその重役のグラスに無言で酒を注ぎ続けた。

この二千万円を私にください。

玄関を出る。非常階段の踊り場に蛾のぶつかったあとがこびりついていて鱗粉が朝陽を受けキラキラと輝いていたりしたが美しいと思う訳でもなく俺はただうわぁ、と思った。生きた証がそのまま暴力的な形で叩きつけられるように残されていて名も知らぬ蛾にお前はこれくらい生きた証が残せるほど全力で生きているのか、と言われたような気がしないでもなかったが俺は触れないように注意深く避けて通った。不潔だから。蛾だし。3月に引越しをして実家に戻った。戻るまで気がつかなかったが、地元の駅前には明かりがない。JRが通っているからそれなりに栄えても良さそうなものだが絶望的に活気がなく、陰気な暗さに飲み込まれている。ホームから見える景色にここが自分の地元だと証明できるようなものが一つもない。鳥貴族 漫画喫茶 王将 マック セブン ファミマ アコム みずほ銀行 コージーコーナー ビアードパパ ダイナム なか卯 松屋 ケンタッキー ドトール タリーズ。どれだけ数があろうが取り替え可能で売り上げが悪ければ明日にでも撤退するような全国展開のチェーンばかりでこの駅前の風景を隣町と入れ替えられても俺は数日間は気が付かない自信がある。駅前のアドボードは長い間空白のままで誰も出稿しない。下手くそなパネルクイズの解答者のように飛び飛びに歯抜けで入っている広告は全て医者だ。歯医者、産婦人科、整形外科、皮膚科。父親の話では毎年数千人単位で中国人が引っ越して来るらしい。駅前で聞こえる会話はほぼ異国の言葉で見かける日本人の年齢ほどう見ても70アッパーだ。俺の前を歩く小柄で白髪の飯塚幸三みたいなジジイが隣を歩く老人よりふた回りは若そうな中年女の肩を抱き寄せて脇道に入った。地元では一軒だけの駅前にあるラブホテルに続く道だった。この国では老人たちが盛んに性を楽しんでいる。俺たちがスマホの中の誰かが違法アップロードしたセックス動画を熱心に見ている間も彼らは誰かと繋がっている。ホームからも見えるそのホテルの看板は、ここにしかない。俺はここが自分の故郷だとはっきりわかる風景を、確かにそこに見つけた。

「母です。最高傑作が撮れました。」

電車で向かいの席に座った女の子が持つバカデカいバッグには英語で学校名とチアリーディングと書いてあってなるほどねと思った。彼女は真顔が笑顔みたいな顔をして楽しそうにスマホに一生懸命に打ち込んでたりして、彼女の隣で窮屈そうにスマホを覗き込んでる腐臭のしそうな汚ねえ中年リーマンにどうか心まで侵食されないでと願うばかり。圧倒的な「正しさ」の具現化みたいな存在を見てしまうと朝陽を浴びたドラキュラみたいに砂になってしまいそうな気分になる。それくらい彼女の「ただただ生きているのが今楽しい」と言わんばかりのあの全身から発せられる強さは俺の心をねじ伏せた。実家の両親に頼まれてインターネットを開通させた。スマホにしたいと言われて携帯ショップに一緒に付き添って行ったりアカウントとかIDとかパスワードとか、今まで彼らの人生の中では無縁だったであろう概念の説明を時間をかけて何度も一生懸命やってきたが、人間興味がないもの覚える気が無いものは何が何でも覚えない。俺は色々諦めて「わからないことがあったらとにかく電話してくれ」と言った。親子の会話が、増えた。子供の頃俺は一人では何も出来ないクソガキで電車に一人で乗ったのも何と大学受験の時だったし、その時は道を間違えるといけないから、と受験校まで親に付き添ってもらって下見をしに行っていた。クレイジーというか過保護というかマザコンと言うかバカというかまあそう言うクソガキだった。そんな俺が両親を引き連れて携帯ショップに行って店員の言うことを噛み砕いて説明し直したりプロバイダの開通やら開通工事の立ち合いやらモデムとルーターの設定やら挙げ句の果てには映画が観たいと言う両親の要望に沿って父親をAmazonプライムの会員にまでしたりと八面六臂の大活躍である。オモチャを手に入れたようにスマホをいじくり回す父親と嬉しそうにテレビの前でプライム会員向けの映画を「なんでも見れちゃうねえ」とリモコンを離さない母親を見て人間は成長するとともに出来ることが増え、老いるとともに出来ないことが増えていくという言葉を思い出した。いつか母が俺の手を引いて通った病院を俺が母の手を引いて訪れる。それは決して悲しいことではない。俺のスマホの待ち受けは今、母がスマホで撮った実家の猫のあくびの写真だ。

そうだね、君は一生女子だからね。

電車は今日も個人情報を自分から垂れ流す無邪気で無防備な人々が溢れていて俺に色々なものを見せてくれる。朝から風俗情報を熱心に読み込む豪傑サラリーマンにはむしろ尊敬の念を抱いてしまったし冴えない小柄な薄毛のおっさんがGUCCIの財布をメルカリで真剣に探しているのを見た時はそのプレゼント先に想いを馳せたし韓国アイドルみたいな化粧をした若い女が内容など一切見ずにインスタの投稿に端から端までいいねを押していく様子にSNSでバズるとか炎上するとか実は誰も気にしてねえんじゃねえかと思ったりした。「黒人の指って太いから手マン超気持ちいいんだよ」と言っていた女は今頃いつか行きたいと言っていたワーキングホリデーに行けただろうか。あの女も見事なオルチャンメイクだった。世界中の男とセックスでもして世界制覇を達成している頃だろうか。そういえば昔テレビでリリー・フランキーが「もっとみんな世界中の人と仲良くした方がいい。例えば、世界中の巨乳と付き合うとか」と言っていて、俺はこの人天才だな、と思った。ラブ&エロス。きっとそうなれば本当に世界は一つになるに違いない。人類皆兄弟って、そういう意味?目の前を右脚をギプスでグルグル巻きにした制服姿の女子中学生が器用に松葉杖を使いこなして普通に歩く俺より早く追い抜いていき、紫陽花の前で立ち止まって覗き込んだ。母親らしき女性が少し先から声を掛けると笑顔で顔を上げてまたひょこひょこと松葉杖で歩き出す。今日も俺はこんな子が少しでも生きていることが楽しいと思える世界であればいいと思う。

打ち込む指の先が温かいのはもう何時間も画面を見つめていたから。

2年前にGUで買った790円のTシャツは総武線の中で窓ガラスに映ると首元が伸びていた。外が暗くなって車内の様子が映し出された真っ黒な窓に映る男は自分の想定より三割増しで老けた中年で隠しきれない疲労が積み重なっていた。自分より一回り年下のバンドの曲を35にもなってYouTubeからclipboxで1円も使わずにダウンロードしては周りから自分の身を守るようにAmazonで買ったクソ安い中華製イヤホンを耳にねじ込んで音量を上げて聞く。近くに立った若い女が俺の方を見てさっと身を交わしこちらにサンドバッグみたいにデカイ鞄を押し付けるようにして位置を変えた。俺は今や電車の中で女にそんな扱いを受ける存在になった。特に年齢関係無く、俺が気が付いていなかっただけであるいは最初からそうだったのかも知れない。下げた視線の先に何年も前に子供と行ったショッピングモールで子供を宥めながらろくに試着もしないで買ったたいしてサイズの合わないアディダスのスタンスミスが黒ずんでいる。どこかで踏んだガムが取れずに爪先にこびり付いている。会社の同僚が履いていた靴を思い出して恥ずかしくなったことを思い出す。どんな街のどんな店で買ったのか、いくらしたのか、それを履いてどこに行ったのか。そんなことを聞くことも出来ず、俺は自分の足元の靴を隠してしまいたかった。まるでゴミのようだった。iPhoneの音量を上げても頭の中から聞こえる声は聞こえたままだ。中吊り広告が炎上して、TwitterのTLにまたいろんな人のいろんな声が流れてくる。朝の電車の中の俺たちは、もはや何にでも怒りたくて仕方がない。ギリギリのところで空気がパンパンに詰まった袋をみんなが握りしめて息を殺して詰めあってるところに針があればたちまち破裂してしまう。善意の顔をして、あるいは感謝の顔をして、時には正義の顔をして、俺たちの日常の中に巧妙に針は仕込まれる。その針に気がついて破裂したのは自己責任だと言わせるために。論点をすり替えて悪意の針は責任を他者へ転嫁して行く。人の良い、その分少しだけこの世界では抜けている人間たちが、自分でも気が付かないうちに罪悪感だけを背負って死んで行く。両親はいつのまにか老いていくし自身の疲労は回復しなくなっていく。自分が手にしていると思っていたものも、手に入れられると思っていたものも、もうとっくに手に入らないとわかっているのに諦めきれない。自分と折り合いをつけられずに足掻いていることを何年も続けて、それでもまだどこかで自分に期待している自分がいる。鏡の中に映る自分の顎に生えた無精髭に白髪が混じる。ほんの数年前のことのようで、もう自分には縁の無い世界になってしまった出来事が対岸でぼんやりと光る。四ツ谷で乗り換える頃にはすっかり乾ききった眼球に映るホームの灯りがしらじらと残酷に映る10時過ぎ、もう目が覚めないでずっと寝てしまいたいと思う夜は一度目ではない。

 

 

遠い国の女の子の親になるということ。

いまAmazonで買い物するとこんなチラシ入ってくるんすよ。

 

目の前の子供食わせるのも精一杯だわ。

 

大体Amazonで最安値の、明らかに中国人が自動翻訳で説明文書いてるようなスマホのケーブル買う奴にこんなチラシ入れてくんじゃねーよ。ジェフ・ベゾス。なあ。ベゾス。セグメントだろセグメント。ベゾス。

 

俺の子供の親に、どっかの先進国の金持ちなってくんねーかな。

そっちの方が幸せなんじゃねーか。

 

もはや、彼らと俺たち、生活の苦しさというレベルでは、たいして変わらないんじゃないかと思うのは、おれの思い過ごしじゃない。

 

俺たちは、豊かだと錯覚させられた貧しい国、精神の戦場で生きている。

日本は今も、戦時中だろ。

 

 

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人脈とか言い出すと

終わった。

 

出会いに感謝!系のやべー社長とか地元大好きマイルドヤンキー共も大概だが。あの人たちってフェイスブックん中だけに存在する都市伝説?

 

そのあたりの方々どんどん相席屋とかペアーズでも使って出会ってって欲しい。

 

そんで夏にナイトプール行ってハロウィン渋谷でやって欲しい。マジで。やれよ。

生きるのが怖い

クソみたいな事件や事故しかない。

安心や希望を感じる材料が無い。

不幸を知りたく無いからテレビもネットニュースも見れない。

子供達が生きている未来が怖くて仕方がない。

こんな世の中に産ませてしまってすまない。

本当に申し訳ない。

社会の一端を間違いなく俺は担っていた。

少しでもお前らが幸せに生きれるようにしたかったのに。

ごめん。