もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

散歩

1時間くらい散歩をした。年齢を重ねてみると、生まれ育ったこの街がとても寂しく、小さく映った。国道沿いにやけに幅の広い歩道が広がり、小さな鉄工所や塗装工場が点在し、それ以外には東京だというのにやたらと駐車場の広いチェーンの牛丼屋や弁当屋のロードサイド店やコンビニがぽつんぽつんと並ぶのみ。JRの駅を続く道を折れると背の低い戸建ての住宅が続き、やがて街で唯一の商店街が見えてくる。個人商店はほとんどがシャッターを閉じ、昔から続いているのは居酒屋かパチンコ屋くらいで、あとはチェーン店に全て入れ替わってしまっている。行き交う人の大半は日本人ではなくなり、すれ違いざまに聞こえる言葉だけを聞いていると自分が異国に紛れ込んでしまったようだ。年寄りと猫ばかりだった商店街はもうここにはない。あるいはそんなもの、最初から俺の頭の中にしかなかったのかもしれない。

スッキリ

昔学生の頃ちょっといい感じになった女の子と1回だけセックスした時のこと。終わったあとその子が「あー、スッキリした!」と言っていたのがすごく印象に残っている。二十歳くらいのときのことだから余計に強く覚えているだけかもしれないけど、何に驚いたかというと、女の子でもセックスするとスッキリする、という感想を持つのだということだった。聞いてみると最近していなかったのでずっとしたくて悶々としていたので、久しぶりにできてすっきりした、ということだった。まるでスポーツの試合を終えた後のように彼女は清々しい顔をしていて、それはそれでとても魅力的だったんだけど、彼女はそのまま留学することになったので、二度と出会うことはなかった。

余所者

俺は東京生まれ東京育ちだが、自分のことを都会の人間だとか東京人だと強く感じたことはない。それは地元が東京とは言え、端っこも端っこの下町であることが強く影響しているし、そもそも東京なんて別の土地出身の人間による集合体みたいなもので、東京そのものの「意思」とかもはやないじゃん、という気持ちが強いからなんだけど、社会人になって色々な土地出身の人と会ったり話したりしていくうちにやっぱり地域性ってのは馬鹿にできねえな、と思うことがあった。海外出張に行った時のこと。俺以外の人間が全員大阪出身の人間だったんだけど、この3人がもう3人ともずっとふざけてるわけ。最初は言っても大人だから乗ってあげてたんだけど、もう疲れちゃって後半無視してた。東京の人は冷たいとか言われるのはこういうことなんだろうか。いや、疲れるでしょ。若干「俺たちのこの面白さについてくるのは大変やでえ」みたいな感じだったし。あれなんだろね。やっぱ無意識的にさ、自分と近い出自の人同士が集まると余所者って排除したくなるんだろね。怖いね。戦争の根源だね。

10億

人生に余裕が欲しい。実は預金口座に10億円あるんだけどサラリーマンをやっている、というような状態になりたい。歯を食いしばって上司の叱責に耐えているけど、後輩たちに「大丈夫だから」なんつって「先輩…」なんて言われてるけど俺10億持ってっから、実は余裕だから、となりたい。それでもサラリーマンは続けたい、俺はどうなってもいいんだ、お前らのことを守るから、なんつって実は10億あるから、本当にクビになってもいいから、という状態になりたい。そのためにはまず10億を手に入れなくてはいけない。どこに10億あるのか、まずはそれを調べよう。

誰?

長谷川博己に似てますね、と言われて嬉しかった。そうかなあ、なんて満更でもなかったが、お前、若い頃の宇崎竜童に似てるな、とか言われるし。かと思えば昔は綾野剛にちょっと似てたね、なんて言われていいじゃないの、なんてまた悦に入っているとエグザイルのNAOKIに似てるよね、と言われて、え、俺誰なの?となっていたところ、最新版ではちょっと瑛太に似てると思ってたんだよね、と言われて「俺、誰に似てるの?」って聞いちゃったよね。

HSP

雨が降っていて、雨粒がベランドの手すりに当たって砕ける音がブラインドの向こう側から聞こえている。部屋の中では9月も下旬だというのにエアコンが除湿モードで設定されており、空気清浄機が弱モードで稼働し続けている。俺以外は動くもののいない空間の中でキーボードに文字を打ち込み続ける。ブログを外で書くことが昔はできたが、今はできない。カフェで書こうと思っても、大抵は話し声や他人のキーボードの打鍵音などで集中できず、イライラしてろくに作業もしないうちに帰るということが続いている。自分のこうした部分を正確だと思っていたが、ネットで色々調べたら「HSP」という単語に出会って、少し楽になった。いくつも当てはまる項目があり、間違いなく自分はそうした特性を持っているのだとわかって安心したという感じだった。何を持って正常か、という話になると頭を使うのが疲れるので人に任せるが、多かれ少なかれ、こんな世界で生きていかなければいかない限り、俺たちはどこか壊れているし、最初からなにか欠落している。

リハビリ

日々弱っていく体、というものはなかなかに衝撃があるもので、俺は脚に障害を持っているのだけどリハビリを一定期間怠るとすぐに症状が悪化する。30半ばでこの有様、というのはどうにもこうにも時々目の前が暗くなる事実を突きつけてくる。このまま治らないということはわかっているし、もう何年も前に自分の中で折り合いをつけたつもりにはなっていたが、怖いものは怖い。脚がもつれるたび、俺はあと何年走れるのか、俺はあと何年歩けるのかを自問する。以前進行性の病気を持った人のブログを読んでいた。致死性の高い病気で、完治する方法がまだないとされるものだ。ブログの執筆者はそれでも日常を明るく生きていた。最新のエントリーが数年前の日付のまま止まったそのブログを見て、俺はいつ日常が簡単に、無慈悲に、残酷に閉ざされるのかということを知った。俺の文章もいつが最後になるかわからない。どれだけ言葉を重ねても、何も伝わらず、どこにもいかない言葉たちが白い画面にこびりついていく。

無理

時間があっても何もできないときがある。そんなときに無理して何かをやっても大抵の場合ろくなことにはならない。余計に疲れて自己嫌悪に陥ることもしばしばだ。「忙しいというのは言い訳」「時間は自分で作るもの」みたいなことを言ったりしますが、この際言っときますね。「うるせえ」

小説

小説の公募に狂ったように応募し続けていた時期がある。ちょっとした賞が少し選考を進んだり、小さな賞を取って少額の賞金がもらえたり、結果を見ながら一喜一憂していたあの頃はとても楽しくて、今でも時々思い出すことがある。結局たいした結果も出せないまま、その挑戦は1年足らずで終わったが、もしかしたら、あれが俺が自分の人生の中で「何者か」になろうとしていた、最後だったのかなと思うこともある。今俺は今できること、目の前にあるものを右から左へ流すだけで精一杯で、それ以上のことに手が出せない状況になりつつあるが、今後のキャリアや家庭環境の変化を逆算して考えてみれば、そうした状況がますます強くなることは考えるまでもないことで、このままがずっと続くのか、と果てしない気分になる。それは諦観とも少し違っていて、絶望でもなく、虚無というほどでもない。茫洋とした、寂しさと、畏怖が入り混じった、どこまでも先の見えない空間に浮いているような心もとない気分だ。その頃に自分が書いた小説を読み返すと、主人公たちは皆人生に飽き飽きしていて、生きづらそうに人生の端っこを歩いている。今の俺がもし何かを書き出したら、その物語の主人公は、どんな気分なのだろうか。彼もまた、俺と同じような、心もとない気分で、想像主である俺を見上げるのだろうか。

サンリオピューロランド

後輩の女の子と取引先に商談に行った。7歳くらい下の子なので、話題の糸口が見つからないままそれでも適当に間を埋めるべく話し続けたところ、「鉄道博物館にこの間行ってきたんです」と言い出した彼女は、嬉々として鉄道について語り始めた。テレビを見ていると鉄道が好きな若い女性も最近はいますよー的な話題を時々見かけるが、身近にいたのかと不思議な気持ちになった。そういう子も見た目は本当に最近の若いおしゃれな女の子である。「お子さん連れていくと喜ぶと思いますよ」と大人な話題にまで持っていくあたり節度も持ち合わせている。我が社は優秀な人材を採用している。よろしい。「俺はね、娘連れてサンリオピューロランドとか行ってみたいんだよね」「あー」いや、そっちは興味ないんかい。