もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

あると食べちゃうから

昔母親が
「お父さんたら、あると全部食べちゃうから、出す量を減らしてくれっていうのよ」
と少し怒ったような呆れたような口調で言っていた。

僕が中学生くらいの時だったから、父親としては中年太りが始まってきて
体型や健康を気にしている頃だったのだろうと思う。

母親はそんなに量を多めに食事に出す人ではなかったが、
確かに父親も残すということをしなかった人なので、
出されたものは全て平らげていた。

食べる量を減らすには、自分がセーブするのではなく、
そもそも提供する量を調整せよ、という命令なわけである。
自分の意思が弱い人間としてはいい作戦だ。
そもそもの絶対量が少なければ食べる量は強制的に少なくなる。

特にうちの実家は自営業で店の二階が住居だったので、
父親は食事の時間になると二階に上がってきて、三食母の料理を食べていたので
その食事でコントロールさえできれば、余分なものは食べられないわけだ。

この話をなぜ思い出したかというと、僕自身が最近食べ過ぎてるかも、
と思うようになったからである。

我が家では妻が夕飯を用意しておいてくれているので
外で食べて帰ることがわかっている時以外は基本帰宅してから夕飯を食べる。
帰りが遅くなった時はその分お腹も空いているのでがつがつと貪るように食べてしまうこともあり、
ストレスもたまっていておなかも空いている、という最悪の状況なので普段以上に食べてしまうのだ。
それこそつい最近。ひなまつりの日に妻がちらし寿司を用意してくれていたのだが、
酢飯にしなかったあまりのご飯見たいのがラップでくるんで置いてあって、
それまで自分で出して食べてしまった。これは本当に自分でもケモノのようだったと反省しているのだが、
ふと「ここにごはんがあったから食べちゃったんだよなあ」と自分は悪くないアピール、自己弁護をしていたのだ。

そうか、これが父親の言っていた「あると食べちゃうから」理論なのだと腑に落ちた。
いらないわけではない、用意もしてもらっているからありがたくいただきたいけど
あるとある分全部食べたいから少なくしといてね、と父親なりに気を使っていたのかもしれない。

でもこの間カレーライスだった日に食べ終わってから僕に用意されている皿が
普段使っていたものよりも一回り小さいことに気がついた。
以前使っていたのは白い大ぶりのものだったのだが、その日用意されていた皿はミスドでもらった
ポンデライオンの、すこし小ぶりなお皿だったのだ。
当然盛れる量はお皿の大きさに比例するので、少なめになる。
だが、僕はお皿に気がつかずに食べていたので、特に気にすることもなくお腹いっぱい食べたつもりになっていた。

ここ最近太ってしまった、ジムに行かなければと騒いでいるのを当然妻は知っている。
知った上で、遅い時間にごはんを食べる時、いかにストレスなく、それでいて量を食べ過ぎないようにするか考えてくれたのかな…と思うと
妻に頭がさがる思いだったけど、なんとなく「え?あ、気がついてなかった。ちょっとちっちゃいお皿だったね。ごめん」と言われそうな気もする。

どっちだとしても、夜遅くに食べるカレーライスは、食べ過ぎないに越したことはない。