もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

息子のうんこ事情

息子のうんこが流れない。

いきなりのうんこの話で申し訳ない。

今回の話はずっと、ずっっっとうんこの話なので、今お食事中の方、
もしくはカレーを食べている方、
もしくはうんこアレルギーの方、
そして、うんこを食べている方も読むのを控えていただきたい。

しかし、私にとって目下の悩みは息子のうんこのことなのだ。

水洗便所に大をして、それが流せない。
もはや禅問答のようだが、本当のことである。

もともと息子5歳は便秘気味だ。
うんこは平均3日に1回で、長い時は5日ほど溜め込む時もある。

さすがにまずいか、という頃になると彼の様子は日常生活からおかしくなる。
挙動不審になりがちで、怒りっぽくなる。食欲もなくなり、ヨガの「猫のポーズ」のような姿勢でやたらと前後に体を揺すったりなどの奇行が目立ち始める。
これは彼の「サイン」であり、この状態のときにいくら「トイレ行こう」と言ったところで無駄だし、最近語彙が増えて来ているので私などは
「行くわけないだろ!変なジジイ!」と罵詈雑言を浴びせられる。
ひどいと思いませんか、変なジジイって。志村けんですら変なおじさんですよ。

限界が来ると彼は号泣し、絶叫しながら最終的に排便する。
その際に「ごめんなさい、ごめんなさい」と叫ぶことも多い。
彼にとって排便とは「罪」なのだろうか。

ところが排便さえ済ませてしまえばすっきりした表情で誇らしげに自分の出したブツを「見て!」などと言ってくる。
そのブツが問題なのだ。

私も幾多のうんこをしてきたし、それなりに充実した排便のあとにはなかなかのブツをクリエイトしてきた自負もあったのだが、息子のそれを見てからは完全に創作意欲を失った。
彼のうんこの前では私のうんこなど、月とスッポン、ピカソとカルチャーセンターでババアが書いた水彩画である。

私の目には直径5センチくらいあるように見えるどす黒い物体が、便器の中でとぐろ巻いているその姿。
思わず「昇り龍…」とつぶやいたとか、つぶやかなかったとか。

とにかく息子はまだ自分で尻が吹けないので「まったく、これが文字通りケツを拭いてやる、ということだな…」などと言いながら息子の
むきたまごのようなお尻をウエットティッシュで拭いてやる。

肛門を確認しても、特に切れたり、出血したりする様子もない。
この小さなお尻の、さらに小さな肛門からどうすればあんなうんこが出てくるのかと不思議に思い、ふと便器に目をやると、先ほどの昇り龍がまだ便器の中で牙を剥いてこちらを睨みつけている。

おかしいな、流し忘れたかな…などと思いながらもう一度レバーを押すと…

龍は依然としてそこでこちらを睨みつけたまま微動だにしないのである。
動かざること、山の如し。
私は焦った。

え?これどうすんの?うんこ流れないんだけど!TOTOさん!?TOTOさーん!???

トイレのトラブル500500というワードは覚えていたものの、
「子供のうんこが流れないのですが…」
森末慎二ことクラシアンを呼ぶわけにもいかない。

私は意を決するとキッチンに向かい、コンビニでもらったプラスチック製のフォークを持って再びトイレに戻った。

流れないのはその巨大さゆえであると看破した私は、ブツを解体することにしたのである。
ビニール袋から取り出し、フォークを手に息を整える。そして、静かに私は便器の中にフォークを差し入れた。
その姿は巨大なドラゴンに伝説の剣を手に立ち向かう勇者にも似ていた。

おそるおそるフォークを近づけ、切っ先がうんこに刺さる。

かたっ!

硬いの?うんこ、こんなに硬いの?こりゃ肛門痛いわ。泣くわ。

私は息子に同情しつつ、そのままフォークを持つ手に力を入れた。
ぐぐっと刺さるフォーク。
そのままゆっくりとフォークはうんこを切り裂いた。

その感触。
私にははっきりとその感触をどこかで感じたことがあった。

ああ、これ…。

これ「しっとり系のガトーショコラ」と同じだ…。

切り刻まれたうんこはあっさりと流れていったものの、私の中には
「うんこの硬さは、ガトーショコラと同じ」
というトリビアが、流れずに留まり続けるのである。