もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

新聞おじさん

会社帰り、夜の9時とか10時頃。

電車の中で新聞を読んでいるおじさんというのが、少なからず存在する。

彼らは1日の終わりに何を読んでいるのだろうか。


新聞って基本は朝読んでいくことで意味があるものかと勝手に思い込んでいた。

もちろん夜に読んだって構わないし、むしろ朝の慌ただしい時間帯に読める量というのはたかが知れているから、
経済面だけ朝読んでそれ以外は帰り道にゆっくり読む、というスタイルvが根付いている人もいるのだろう。

ところがである。

新聞の困るところというのはやはり大きいというところであって、
どれだけ新聞読みのプロであるところの彼らとて、会社帰りのリラックスした時間、空間の中で
朝の出勤時の緊張した空気の中で小さくコンパクトに折りたたんで新聞を読む、
あのスタイルを貫くものは少ない。

出勤時はそれこそ、8つ折りくらいにして小さく小さく、必要なところだけを読んでいた彼らも
退勤時は我が家のごとく新聞を大きくヴァッサヴァッサと広げて読むことが多いように見受けられる。

その際のバサバサ具合の影響を私は受けやすいのだ。
なぜか私の近くのおじさんが新聞を読み始め、そのおじさんたちがことごとくこのヴァッサヴァッサを仕掛けてくる。

生ぬるいインクの香りが鼻腔をつき、紙面が私の顔面を舞う。
そこまでしてきょうび新聞から何を得たいのか、と聞きたくもなるが、彼らにとっては新聞こそメディア、我々の世代がグノシーだスマートニュースだから
スマホ片手に話題を拾うのと同じ感覚なのだと思えば、我が身を振り返って我慢することもできるというもの。

どうせ朝と夜にわけて読むなら、最初から新聞も朝と夜で構成が分かれているといい。
何なら袋とじ構造に印刷してもらって、朝は表を読んで、夜は袋とじを開きながら読めるようになると、おじさんたちも楽しいだろう。
何の変哲もない、真面目なニュースも、とたんに怪しい響きを孕むようになるに違いない。

とはいえ、実際にそんなことになったら、袋とじを開けるために、今以上に帰りの電車の中でバサバサと新聞を振り回すおじさんたちが
増えるに決まっているのだけど。