もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

バンドやろうぜ 私がギターを弾くまで

忘れらんねえよ」というバンドがいて

「バンドやろうぜ」という曲を出している。

www.youtube.com

売れてないバンドの目線で書いたバンド賛歌である。

「音楽だけじゃ食べていけないから 今夜もバイトのまかない食べている 
なんという なんという素晴らしい日々だ 将来雑誌で話ができるよな」

という出だしのフレーズでグッと心を掴まれてしまった。

今でこそサラリーマン生活10年目でとなり、妻と子供二人と毎日へっぽこ生活をしている私だが
こんな私でもバンドをやっていた時期もあったりした。

プロになろうとか、そういうことを考えたことはなかったといったら嘘だが(嘘だけど)
それでも将来のことなどたいして考えずにバンドの練習をしていた、という時期が学生時代音楽を少しでもやったことがある方には
そんな一瞬が誰しもあったのではないかと思う。


中学2年生の頃、3歳上の姉が高校の美術の課題か何かで、ウクレレを作って持って帰ってきた。
姉は音楽や楽器の演奏に興味のない人だったので、そのウクレレはいつの間にか私のおもちゃになった。
とはいえ、素人がベニヤ板で作った代物で、おまけにお世辞にも美術のセンスがあるとはいえない姉が作ったものなので、
ウクレレなのになぜか四角く、逆に今思うとボディドリーみたいだけど、ただ単に丸く切るのが面倒臭かったんだろう。
おまけになぜか毒々しい黄緑色にペインティングされていて、とにかく冴えないものだった。

それでも私はなぜかそのウクレレを手に取り、毎日ジャカジャカかき鳴らして遊んでいたのだ。
チューニングなんか知らないので、不協和音以外の何物でもないのだけど、それでもなぜかずっとやっていた。

そんなある日。
母親が駅から電話をかけてきて、「荷物を運ぶのを手伝って欲しい」という。

面倒臭いなと思いながら駅まで行くと、なぜかギターケースを持った母親がいて
「これ、買ったから。今日から練習しなさい」
と渡してきた。
毎日家でウクレレをかき鳴らす私を見て、ギターに興味があると思ったらしい。
これにはびっくりした。ギターが欲しいなんて一言も言った記憶がなかったからだ。
おまけにギターというのは想像以上にデカくて重かった。

プロのギタリストや、バンドマンの音楽を始めるきっかけはもっともっとカッコイイのだろうけど、私の音楽とのファーストコンタクトは
母親のススメである。この辺り、私が永遠にカッコよくなれない出自であると思ってもらって構わない。

家に帰ってからさて、じゃあせっかく買ってもらったし、練習するか、と思ったものの、
母親が買ってきたのは初心者向けの聞いたことないメーカーのアコースティックギターと音叉と「初心者のためのフォークギター100」とかいう薄い楽譜だけ。
もちろん家に楽器演奏の経験者はいない。母親も「それ見ればわかるでしょ」と買ってくれた割には練習のことは何も考えていなかったらしく、放置状態。

冊子をめくっても課題曲となっているのは「22才の別れ」「純子」とか、「そもそも原曲を知らない」という曲ばかり。
かろうじてメロディのわかる「神田川」などを弾いてみるも、暗いし、アコギは弦が太くて硬くて指が痛いし、気が滅入る一方である。

しかも、今でこそデジタルチューナーという便利なものがあって、それを見ながら合わせていけば簡単にチューニングはできるけど、
音叉を膝にあててギターのボディに共鳴させ、それを聞きながら合わせていくやり方は独学でやろうとすると感覚がなかなかつかめず、
当時の私は音叉をぽーんと鳴らしては弦を鳴らし
「どこに合わせるんだろう‥ というか、どこが正解なんだろう‥」
と呆然としていた。

そう、私のイメージしていたのは「エレキギター」だったのだ。
ところが母親の買ってきたのはアコースティックギター。楽器の成り立ちから出る音から向いている曲からとにかく何もかも違っていた。
でも、何がどうちがうのかわからない。

そのまま私はギターを諦めた。
そして、実に半年以上そのまま私はギターを練習しなかったのだ。母親もがっかりしていたのではないだろうか。
とはいえ、その頃周囲に「ギターをやっている」という友人もおらず、原曲を知らない曲ばかりの教則本1冊ではどうすることも出来ない。
今でこそパソコンがあればいろいろと違っていたと思うが、約20年前の当時の我が家にはパソコンがなく、今のように知らない曲をユーチューブで
検索したり、楽譜をダウンロードしたりも難しい時代。
とにかく、どうしたらよいかわからなかった。

中学3年になった頃、私は一つのバンドに強烈に心を奪われる。

Dragon Ashである。

今でこそメディアへの露出はそれほど多くないが、私が中学3年だった1999年当時Dragon Ashはバンド編成からヒップホップ色の強い楽曲への転換期で
じわじわとリリースごとにランキング順位を上げ、いわゆる音楽番組への出演はしないものの、チャート形式の番組では上位へ何度もランクインして
PVがよく流れたり、ファッション誌や音楽雑誌の表紙が何でもかんでも彼らになったり、一大ブームになりつつある時期だった。

カッコイイ。
この音楽はどうやって作ってるんだろう。

何もかもわからなかったが、一つだけわかっていたことはあった。

絶対アコースティックギターだけでは、この曲は演奏できない。

インターネット環境のない家庭に住む中学生、という存在がこの情報化社会でどれだけ無力な存在か。
当時の私にとって情報源は書店しかなかった。
近所の本屋で今まで近づいたこともない音楽関連のコーナーに行き、いろいろ読んでみる。
どうもDragon Ashの曲はギター以外にもベースという楽器とドラムという楽器がいて、一つの曲で別々のフレーズを弾いて、合わせているらしい。
その別々のフレーズをどう弾くかは「バンドスコア」というものに書いてあるらしい。
近所の本屋にDragon Ashのバンドスコアはなかった。

意を決して、母親がギターを買ってきたという二駅隣の駅ビルに入っている楽器屋へ行くことにした。
私は自分のためていた小遣いでエレキギターを買うことにしたのだ。

何を買ったらいいかなんて当然わからないが、とにかく値段は3万円以内でないと買えない。
選ぶというよりは、その値段で買えるギターを選んだ。
「試しますか?」
と長髪の金髪の店員に言われた「あ、あ、はい」となぜか入ってしまいめちゃくちゃ後悔した。試すもなにも、何も弾けない。その頃の私はコードもろくに押さえることができない状態だったのだ。

私の眼の前で金髪が突然ぎゅいんぎゅいんとギターを弾き出した。
うまいのかどうか、正直わからない。
わからないが、なんか指がとにかく早く動いていた。
今思うとメタル系が好きな人だったのだろう。当時の僕には刺激が強すぎた。
店員は一通り弾くと「ふむ」みたいな感じで私に「はい」と渡してきた。
私はとりあえず受け取り、弦を押さえることもなく、そのままじゃーんと弾いてみた。
それでも歪ませたアンプから聞こえる音は私を感動させるのには十分だった。

併設された楽譜売り場にDragon Ashのバンドスコアもあったので、それも一緒に買った。
オススメされたピックも買った。
ギターの手入れが必要なのだと言われ、初めてギターの弦を変えないといけない、という基本的なことを知った。
そして、音を出すにはアンプという大きいスピーカーも必要なのだと知った。
入門用のアンプ、ギターとアンプをつなぐシールドと呼ばれるケーブル、替えの弦や、ボディの手入れ用のワックスやらを買ったら、持っていたお金はほとんどなくなった。
それでも、当時の私は最高に興奮していた。
ここから何か、新しい自分が始まってしまうような予感さえあった。

家に帰って、バンドスコアを開く。
何本目の弦の、どの場所を押さえれば、原曲と同じ音がするかが、そこには書かれていた。
「これだよ!これこれ!これ知りたかったんだよ!」
天才なら耳コピでもしてたんだろうが、そんなものできるわけない。
凡人はここまでしてもらって初めて弾けるようになるのだ。
CDを少し聞いて、止めてはスコアを見ながらギターをちょっと弾く、ということを繰り返した。

その頃本屋で買った「BADGE」という雑誌の特集でアンプの歪ませ方特集みたいなのがあって、
「こういう音作りをしているバンドの時はアンプのつまみをこの値に設定するとよい」
みたいなのが描いてあったので、そのままにして弾いてみると、確かにちょっとだけDragon Ashっぽかった。
そのまま、練習してばかりのフレースを弾いてみた。

CDで聞いたのと、同じ音がした。気がした。

「弾けてる!CDと同じに弾けてる!!」

嬉しくて、学校から帰るなりずっとギターを弾いた。
エレキギターの弦はアコースティックギターに比べると柔らかくて、それほど指も痛くならずに練習できたし、何よりボディが薄いので、弾きやすかった。

やっとギターを弾くのが楽しくなり始めた頃、クラスメイトの中でもいわゆる「イケてる」メンツが楽器に興味を持ち出した。
その中の何人かはバンドを組むことにしたらしい。
私の通っていた中学校は軽音楽部がなかったので、学校での練習はできない。
彼らはいわゆる外の「スタジオ」というところで練習をしているらしい。

中学生だけで、そんな「スタジオ」に…。

真面目な優等生(自分で言うのもアレですけど)だった私はそこになんとなく「不良」の匂いを感じてしまった。
とはいえ、どことなく悪そうなDragon Ashに惹かれたのは、自分には全くないものを彼らが発していたからでもあり、
要は中学生特有の症状なのだろうけど、そういうものへの憧れがとにかくあったのだ。

自分もちょっとやってみたい。
私は彼らの中でも比較的話すやすいやつに「実は俺もギター弾いててさ…」と打ち明けた。

そしてしばらく経った頃、
「ギター、やってるんでしょ?今度さ、ウチでみんなで集まって遊ぼうと思ってるんだけど、来ない?」
そう彼らの中の中心人物に声をかけられるのである。

つづく