もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

いくつになったら

退勤時にエレベーターの中で、普段ほとんど会話を交わすこともない同僚たちと乗り合わせた。軽く視線だけで会釈をする。

途中の階から乗り込んで来た顔見知りらしき社員が

 


「お、今日野球、これからか」

 


と親しみを込めた口調で彼らに話す。

 


「お前ら、みんなリュック背負ってるからすぐわかるな」

 


全くその集団と関係は無いが、俺もリュックを背負っていた。すみません、俺何の関係もないんです、と申し訳ない気分になる。

するとその中の一人が言った。

 


「●●さん、久々にどうですか?」

 


話しかけられた●●という社員は

 


「俺はもういいよ!腰やっちゃうよ」

 


エレベーターの狭い空間の中で男たちの笑い声が弾ける。社交辞令、ノリ、空気を読む、コミュニケーション、健常、非健常という言葉が頭を過る。いつか出来るようになるんだろう、と思っていたら、出来ないまま大人になってしまった。

 


1日の仕事を終えて、それだけでぐったりと疲弊し、帰りに乗る電車の混雑具合を想像してげんなりしている俺と同じ時間帯に会社を出て、これから野球をしに行こうとしている男たち。きっと会場には年下の社員に呼ばれた若手の女子社員が応援に行っているのだろう。試合を終えて、そのあと全員で飲みに行くのだろう。男性ホルモンが有り余ってる。

まるで、遠い世界、海の向こうの国の話のようだ。俺の会社にはきっと俺が知らないもう一つの世界があって、そこでは俺が知らない言語で会話をし、円滑なコミュニケーションが図られているのだろう。

俺はこれから地下鉄に乗って自宅に戻り、家族が寝てしまった家でテーブルの上のラップのかけられた飯を電子レンジで温め直し、一人でスマホAmazonプライム・ビデオを見ながら食う。食ったら食器をきちんと洗い、生ゴミをまとめて捨て、風呂を沸かして入り、発泡酒を飲んで寝る。

その生活を、その繰り返しの人生を、選択したのは自分だ。俺は自分の思う形の幸せを、自分の出来る形で手に入れたんじゃないか。

わかっているのに、俺はどうして彼らから目を逸らしてしまうんだろうか。一階に到着するなり、足早に出口を目指してしまうんだろうか。

 


俺は先天性の視野狭窄で、今のところ進行もしていないが治るということはない。

眼底写真の黒ずんだ視神経を指差して眼科医は「ここの神経、死んでるね」と言った。

 


見た目からわかるものではない。全く見えないわけでは無いから、もちろん一人で歩くことは出来る。ただ、人の多い場所に行くと

途端に歩くのが怖くなる。四方八方から人が来ると、そのほとんどが見えていない俺は、終始目をあちこちに動かし、それでも足りなければ首を左右に大きく降って人を避けながら歩かねばならない。

全身に力を入れて歩く、とても疲れる。

新宿のようなターミナル駅だと、乗り換えだけで頭痛がひどい。今も緑内障になり失明する可能性は消えていない、と言われている。

四年前に股関節を怪我して以来、目に見える障害はないものの残る違和感と未だに検査、毎日朝晩行うストレッチと筋トレ。完治は無いと宣言された。死ぬまで続くのだ。10月にレントゲンとMRI。俺のスケジュールは病院が抑えている。

 


動ける人間 がいて、動けない人間がいる。

数年前のことだが、乗っていた電車で目の前人が倒れた。

スーツを着た初老の男性で、恐らく脳に何か起きたのだと思う、何の前触れもなく、いきなり背中から倒れ込んだ。車内にバーンと物凄く大きな音がして女性の悲鳴が上がった。

俺はすぐ目の前の座席に座っていたにも関わらず、動けなかった。離れた場所に、男性がかけていた眼鏡が飛んでいって転がった。レンズが割れていた。

 その時、男性の元に一人の若い男が近寄ってきて「大丈夫ですか?」と軽く身体を叩き、頰に触れながら話しかけた。動きは俊敏で、倒れて瞼が半開きになっている男性の顔を視線を逸らすことなくまっすぐ見ている。俺は、その半開きのままビデオの一時停止のようになった顔が、割れた眼鏡が怖くて、動けなかった。

若い男はどこにでもいそうなチャラそうな格好をしていたが、男性にずっと話しかけている。別の男がやってきて、何やら二人で話し合う。電車はそこで駅のホームへ入り、俺は降車駅だったので電車を降りた。駅員はいいないか、とホームでおどおどと辺りを見回す俺の横を若い男が走り抜けていった。ホームにいた駅員お呼びに行くところだった。

 


何が健常、非健常だ。

お前はただの見て見ぬ振りばかりで自分が責任を引き受けるのが嫌で関わりを避けてきただけの人間だろう。

自分の作り上げた狭い世界でしか生きられずにそれ以外の人間を排除することだけ考えている。周りが見えずに今日も奥歯を噛み締めている。歯を強く噛み締め過ぎて顎関節が外れたこともあった。噛み締めた歯で舌が裂ける。血の味がする。

俺の視野が狭いのは比喩でもあり物理的な問題でもある。その狭い世界から、臆病者は今日もおどおどと首を出したりひっこめたりしながら這うように進んでいる。

 


狭い視野の周囲で、大きな男たちのリュックが見える。

エレベーターが開く。男たちは全身から生命力みたいなものを立ち上らせながらどやどやと降りて行く。俺の言う「お疲れ様でした」は誰の耳にも届かない。