父と息子は大抵うまくいかない それはいつから始まっていつ頃終わるのだろうか
■息子とまたうまく意思の疎通が出来ず、喧嘩になる。反抗期とか来る前にこの
調子じゃマジでこの先思いやられるぞ。
ただ、ここ最近のこのうまく行かない感じは、落ち着いて考えると息子のせいではない。俺の余裕の無さだ。それもわかっていながら、その場で収めることが出来ずに苛立ちを息子のせいにしてしまおうとしてしまっている部分が自分でもあとから考えて恥ずかしいし、情けない。このままではよくない、と本当に思う。
1番はいままで自分は息子にあまりにも何も言わなすぎたのではないかと焦りみたいなものが生じたことによる。
こういう話をすると、ついに我が家にも教育方針どうのこうのという面倒臭くて後回し、先送りにしてきた内容と嫌でも正面から向き合わなくてはいけない時期が来たのかと暗澹たる気分になるわけだが、もちろんいつまでも避けて通るわけにはいかない。
妻は自分がそうだったからか、とにかく「なるようにしかならないでしょ」みたいなところがあって、俺はもちろんそれもそうだな、なんて思っていたんだけど、ここのところどうしてもいろんな面で「比べる」ということを俺がしてしまう機会が増えて
「あれ、そうは言っても、あれ?このままじゃ、やばくない?子供があとで苦労しない?」
なんて焦りを勝手に内面で感じ始めるようになった。クソほどありふれた、どこにでも転がっているような家庭の悩み、親になると同時に誰もが直面する問題その一、みたいなもんだろう。わかってる。わかってても当事者はいつだって深刻で真剣だ。
だが妻と自分の温度差があることもわかっていて、一度何かの機会にそうした点について話したとき、露骨に嫌な表情をしたことがあった。もう嫌な思いはしたくないと思って、それ以来切り出すことに臆病になった。結果として今に至るまで息子の教区方針と呼べるものは何も我が家では会話に上ることもないまま、来年小学校に入るという段階になっても、ひらがなとカタカナをすべて満足に読み書きできるか怪しいレベルでしかない。
今日そんな誰にも言えないでいた「このままでは息子は出遅れてしまうのではないか」という焦りと苛立ちが爆発してしまった。
同じことを何度も息子に言い聞かせ、要求し、それができるまで遊んではいけない、と言ったのだ。今までそんな風に言ったことはないので、息子も戸惑い、結果的には泣き言を言い始め、最後には本当に泣き出してしまった。ここで引いてはいけない、と俺も譲らないでいたら、向こうも徹底抗戦の様相となり、結果的に何も進まなくなってしまった。
下手くそ。
今まで親としてまともに子供と向き合ってなかったくせに、いきなり父親ヅラしだすからこうなるんだ。頭の中で自分がそう言う。顔を伏せて泣いたままの息子を見て途方にくれていると頭の中では自分を責める言葉と息子の将来の不安が入り混じってどうにかなりそうだった。
妻が今日は自分が息子と1日過ごすから、娘と遊んできてほしい、というので、ぼんやりしたまま娘と近所のショッピングモールへ出掛けた。彼女は彼女で空気を読んでいるのか、いつも以上におどけたりして、俺を笑わせようとしているのが見て取れて、4歳に気を使わせて、俺は何をやってるんだ、と余計に落ち込んだ。
妻からLINEが入り、夕飯は済ませてくるからそっちも勝手に食べてほしいとのこと。遠くまで遊びに出かけたのかな、と思っていたら、すぐに画像が送られてきた。シンデレラ城の前でポーズを取った、満面の笑みの息子の写真だった。
夜、帰ってきた息子は興奮冷めやらぬ、と言った感じで矢継ぎ早に今日あった出来事を話し始めた。身長が伸びたから、ビッグサンダーマウンテンにも乗れるようになったこと、乗ったら怖くて叫んでしまったこと、俺に約束していたお土産のチョコレートを買ってきたこと。
そして、ついでのように
「パパ、今日ごめんね」
と言った。
俺の親父は手をあげる人でもなかったし、何かと口うるさい、というタイプでもなかった。どちらかというと子供のことよりも自分のことで忙しく、興味の対象の中心は自分なのだろう、と小さい頃から理解していた。
母親は節目節目で俺に対して、きっと言いたくなかったであろう言葉を言っていた。
絵を描くのが俺は好きだった。小学校でイラストを描くクラブ活動をしていたが、俺が褒めてもらえると思って持って行った絵を見て「いつまでこういう幼稚な絵を描くの」と言った。そのときはもちろんショックだったけど、その指摘はあっていたと思う。
英語の勉強を始めたとき、わからなくて愚痴っても「こんなのは誰でも知ってる」と横についてくれたのは母だった。
受験勉強が辛い、と泣き言を言った時、大学に行きたくないなら専門学校に行きなさい、と言い、実際学校ガイドを買ってきて渡してくれた。
中学校の時に通信教育を申し込んでくれたのも、塾を見つけてきてくれたのも母だった。
要所要所で進路に関わることをバックアップしてくれていたのだ、とあとで気がついた。そのときそのときで、俺は自分でそれを選択したような気分になっていたが、母がお膳立てをしてくれていたに過ぎなかった。
それを決められたレールだのとは思わない。自分では何も考えることすらできなかった自分に選択肢を増やしてくれたと思っている。マザコンだな、とは思う。ただ、素直に感謝出来るという話だ。
俺は、母が自分にしてくれたことを息子や娘にしてやりたいと思っている。やりかたはこれから失敗したりを繰り返すことになるかもしれないが、母だって嫌になったり投げ出したりしたくなったことがあったに決まっている。それでも続けてくれたおかげで、俺は決してたいしたものではないが、なんとか自立して、家庭を持てるようにはなった。
ここで折れてはいけない。投げ出してはいけない。始まったばかり、始まってさえもいない。
息子が「パパ、ごめんね」と言ったとき、息子が謝ることは何もない、と思い
「こっちこそ、ごめんね」と言った。
始まってしまったからには、やるしかない。親として、きちんと親になるのはこれからになるのだ、と最近強く感じている。