もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

日常を生きるということ

■この間陶芸体験を家族でやってきた。

先生が横について、土から道具から全部貸してくれて、自分たちはただただこねたりひねったりのばしたりするだけでOK、というお気楽な体験である。

 


これが思っていたよりも面白く、もともと粘土遊びが好きな娘はもとより息子も熱心に取り組んでおり、我々夫婦も子供のことそっちのけで黙々とこねくり回す始末。後半ほとんど子供の面倒は先生に見てもらってた。悪いけど。まあ、お金払ってるし。

 


土や道具を準備したり、その後片付けだの、実際に窯で焼いたりだのまで自分でやるとなると相当大変なのだと思うのだけど「土をこねて形にする」という、陶芸でいうところの1番「美味しいところ」だけを味わうことが出来たので「あれ、楽しい」と無心に土をいじりながら思った。ちなみに俺はマグカップ、息子と妻は茶碗、娘は小皿を作っていた。

家族の中では娘が1番飲み込みが早く、さっさと小皿を2枚作ってしまうと、退屈そうに悪戦苦闘する俺たちを尻目に「ねえ、つまんないんだけど」などと言い出すのだから将来が怖い。息子はその親も公認の要領の悪さから「先生ー」と何度も先生を呼びつけて教えてもらい、挙げ句の果てにはほとんど先生に作品を仕上げてもらっていた。一人で進めていたら作りかけの餃子が爆発したような形の独創的な皿が焼きあがりそうだったので、それはそれで勿体無いような気もしたが。

俺の作ったマグカップはやけにデカくて、おまけに「これあがマグカップです!」って全身で主張してるような「概念としてのマグカップ」みたいな形だったので、思わず笑ってしまった。

 


しかし今回の体験で、俺は退職後、蕎麦を打ったりし始めるジジイになってもおかしくないな…と改めて実感した次第。蕎麦打ち、陶芸、あとは散歩しながらカメラで風景撮影して、新聞に投書でもすれば完璧だ。我ながら関わりたくない。「我が青春の●●」とかってタイトルで書いた随筆集自費出版するんでしょ?絶対世の中に一言物申すじゃん、その人。もう言ってるって?うるせえな。

 


焼き上がりまでは半年ほどかかるそうだ。

忘れたころに届く作品たち。

俺のマグカップはきちんと飲み物を受け止めてくれるだろうか。