もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

写真が撮れない

SNSに上げるんだと思うんですけど、みんな写真めちゃめちゃ自然に撮りません?

いや、俺もアカウントは持ってるんですよ、Twitterもインスタも。
でも写真が撮れないわけ。
自分の子供の写真とかは折につけて撮ってますよ。
でもそれは「親たるもの子供の写真の一枚や二枚!」
みたいな義務感が全くないのか?と問われると自信がない。
いや、純粋にかわいいと思って撮ってますよ。

ただ、なんていうんですかね。
大義名分が無いと、外ではスマホで写真撮れないんですよ。

それがね、どういうわけだかみんな普通に撮るじゃない。
「心が動いた瞬間」に自然にシャッター切るじゃない。
そういうところ、すき。

でね、俺はそれができないのよ。
あ、面白い、と思ってもさ
周りの人にそれを撮ろうとしている自分を見られるのが嫌、っていう。
「ふーん、あ、そういうの面白いと思っちゃうんだ。写真撮っちゃうんだ。それをツイッター?インスタ?に上げるんでしょ。いいね、欲しいの?」
とか思われてるんじゃないのかっていう。

え?中2?なんなら小6?

みたいな自意識のせいで本当に写真撮れないんですよ。生きづらい人ってかわいそう。
そういえば仕事の人と雑談してるときに、話題に出た共通の知り合いであるちょっとエキセントリックな人の話題になって
仕事の人がすごく自然に「生きづらそうな人」ってワードを出して、なんかショック受けちゃった。

あーやっぱりそういう風に映るよね〜って思ったけど、多分その話題に出てたエキセントリックな人は全然生きづらく無いだろうなと俺は思った。
なぜなら良い悪いにかかわらずきっと「自分」がめちゃめちゃある人だから。

むしろ俺みたいに「周りにどう見られるか」でこの歳になっても写真ひとつ撮れない人の方がよっぽど生きづらいでしょ!そうでしょ!かわいそうだね?by綿谷りさ
みんな同情してよ〜何このおじさんさっきから怖くない?

あと普通にシャッター音ってすごいデカイし、迷惑かなとか盗撮してると思われると嫌だなとかいくつもの感情が重なって俺の指はスマホを立ち上げない。

以前ブログで写真をあげてた頃は完全に「ブログのためだッ」って言い聞かせて写真を撮ってたのでなんとか撮ってたけど、
ブログに写真をあげなくなってからは本当に撮る枚数が減った。
だから俺のiPhoneは64GBだけど特に容量に不足することもなくさくさく動いているしスクロールを軽くすっと動かすだけであっという間に2014年くらいまで遡れてしまう。

ミラーレスのカメラを買ったこともあるけど、ほとんど出動したこともない。
一般の人に比べて異常に写真の数が少ないのかなと不安になることもある。

そういえば両親が写真を撮ってくれていた小学生くらいまでは写真がたくさんあるのに
思春期に入り親と過ごさなくなった中学生から大学の卒業間近まで俺自身の写真はほとんど無い。
自撮りとかガラケーでやってたような気もするけど、そうしたガラケーももうほとんど充電しても中の電池がダメになっているのか起動しない。
失われた俺の10年。女子はきっと友達どうしでお互い写真を撮りあったりして自分たちのカワイイ時期を小さな画面の中に収めていっていたのだろう。

年始からまたインスタを始めてみた。
妻の実家に行ったとき田舎の風景を撮っていたら、何か「これはインスタを再開しろという暗示なのでは?」という気持ちになったためだ。

田舎はいい。周りに誰もいないので、写真が撮り放題だからだ。
都会は常に周りに誰かいる。誰もいないかなと思ってあたりを伺っているときほど余計に人が出てくる。

とにかく写真を撮るなら誰もいないところで、何も考えずに、なるべくなんの意味もないものを撮るしかない。
俺が写真を撮る意味は、そこにある。