もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

髪を切るときは。

子供と一緒に美容院に行った。小学生になったこともあり、そろそろ家でカットよりはプロに切ってもらった方がいいのかなとなんとなく思ったからに過ぎない。引っ越す前は1000円カットに行っていた。この街の1000円カットは異常に人気があり、平日だろうが土日だろうが店内から溢れ出て行列待ちという様相。子供は緊張からか俺の担当が何を聞いてもまっすぐ前を向いたまま口を真一文字に結んだまま。誰か庇ってんのか、と問いたくなるほどの取調室感。時々答えられる範囲の内容だとささやくように返答する。月並みな表現だが「蚊の鳴くような声」と言うのはよく言ったものだなと感じた。思い出したのは自分が子供の頃のこと。俺も小学生になってから父親が使っていた近所の床屋に行くようになった。夫婦で経営していて、親父はボディビルが趣味でちょっと岩城滉一に似ていた。おかみさんは丸顔で人懐こい感じのいかにも商店街によくある街の床屋、という感じだったのだが、俺も随分と長い間まともな会話をすることが出来ず、沈黙のまま髪の毛を切られるがままにしていた。ファッションなど遠い海の向こうの国の話だった当時の俺からしてみれば髪の毛は目に入らなければいい、と言う程度だったのだから仕方ない。美容院と違い床屋は予約制ではないので、必ず何人か待つことになる。待合室で普段家では読めないジャンプやマガジンと言った週刊の漫画雑誌を読んで待つことが多かったが、高学年に入って小説を文庫本で読む習慣がついてからは、必ず文庫本を片手に床屋に行くようになった。ある日その文庫本を置いて髪を切られているとおかみさんが「何読んでるのかな?」と言いながら表紙をめくった。その時読んでいたのはグロテスクな描写のあるホラー小説で、扉絵に気持ちの悪い挿絵があった。めくったところはちょうどそこで、俺は自分の嗜好性が疑われるのではないかと恥ずかしさで押し黙った。おかみさんは軽く笑ってそのまま髪を切り始めたが、俺からすれば自分が変質的な嗜好を持った気味の悪いガキだと思われたのではないかとそればかり考えていた。要はそうしたよく言えば繊細端的に言うと自意識過剰で人見知りな遺伝子と言うのはしっかりと息子に受け継がれている。それからまもなく俺は三つ上の姉が通い始めた美容院を紹介されて床屋へ行くことは無くなり、10年振りに戻ってみれば店は畳まれていて看板も取り外されていた。今日口を真一文字に結んでいた息子に家に帰ってから「今日どうだった?」と聞くと「うまく答えられなかった…」と張り詰めたように言うので思わず笑ってしまった。恥ずかしかったらしい。髪型は気に入っているようなのでまた行ってみたいと言う。彼が自分の意思で店を選ぶようになるまでしばらく世話になるかも知れない。