もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

そらのがっこう

上司が異動した。目立った人ではなかったが、静かに部下をサポートしてくれようとする人で、俺はやりやすかったし、有難い存在だった。年齢的には一回り上だったが、子供の年齢は俺とそれほど変わらなかったので、昼飯を食うときには子供の話も時々した。いつだったか二人で商談に出かけた帰りに入った寂れた中華屋でついていたテレビで子供の虐待のニュースが流れていた。五歳の女の子が反省文を強要されていた。暴行され、衰弱し、亡くなった。昼間明るい陽射しが差し込む、常連らしきジジイが眠りそうになりながら麻婆豆腐を食っているような中華屋で、そのニュースだけが白白と流れていた。現実と繋ぎ止める唯一の窓は今時どうやって映っているのか怪しいような油にまみれたアイワの20インチのブラウン管のテレビだった。上司はしばらく黙り込むと水を運んできたカタコトの女に言ってチャンネルを変えさせた。「あの話、聞きたくないんだ」と言った。俺は親にも教師にも周りの大人たちにも裏切られ絶望した中で死んでいった子供たちの魂が、どうか笑顔でいられる場所にたどり着きますようにと願った。空の上には生まれてすぐに命を落とした子供たちの魂が集まる学校があって、そこではきちんと子供たち一人一人と向き合ってくれる教師がいて、友達と楽しく遊び、そして家に帰ると優しく笑顔の両親がいて、彼等は安心感に包まれて眠りにつく。そんな当たり前の毎日を過ごせる場所がある。そらのがっこう、そんな場所がありますように、と願った。上司は土曜日子供のサッカーの練習の付き合いでここ何年も自分が休めるのは日曜日だけなんだよ、と愚痴ったが少しも気にしている様子はなかった。俺は空の上にはサッカーチームもあればいいなと思った。