もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

俺たちはいつまでも元気じゃない

病院に行ったら、何年も俺のことを診てくれている医者が腕に包帯を巻いていた。見るからに動かしづらそうで、痛々しい。動きもどこかぎこちない。一通り診察を終えてから最後に「骨折されたんですか?」と聞いてみると、犬に噛まれて神経がちぎれたのだという。色々聞きたくなること満載の返答に驚いてしまって俺は驚くことしかできなかった。医者相手に「お大事に」ということも出来ず、驚いたまま何も言わずに診察室を出てしまった。なら聞くなよ。それで思ったのは、医者も病気もすれば怪我もする。人間なんだからいつか死ぬ。俺より15歳以上年齢的にも上の人なので、死ぬ可能性は俺より高いかもしれない。だが、医者なので、俺のことも診てくれている。なんというか、まだ俺の年齢だと自分が日常的に接する人間(祖父母など除く)の死に接することがほとんどない。例えば自分を担当してくれている美容師が次に行った時にいないとか、会社の同僚が亡くなるとか、馴染みの飲食店の主人が死んで店を閉じるとか、生きているうちにそうした人の死に伴う自分自身への影響、というものは今後どんどん出てくるはずだ。もちろん美容院なら後任が引き継いだり、会社なら別の部の人間があてがわれたり、飲食店ならほかの誰かが別の店を開店させたりして、結局社会は回っていく。誰かが死んで、そのまま永久に流れが止まってしまうなどということはありえない。悲しいようで、当たり前のことを俺たちは頭ではわかっていても、時々不思議な気分になることもある。あるいは、そんな当たり前を受け入れられずにいつまでも同じ場所に止まったり、最悪の場合はそこで過去の中に生きたまま戻れない人も、死んだ人と同じ世界に行く人もいるのだと思う。俺たち自身もいつまでも元気でも健康でもない。明日死ぬかもしれないし、今日死ぬかもしれない。でも俺たちは疲れている。今日一日を死ぬ気で生きることすらできないほど疲れている。