もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

記録

会社をサボる。

前日に上司に承認を取って有給を使って休んでいる。衝動的な逃亡でも、社会への抵抗でも、身体的精神的に限界が来た末の無意識の行動でもなんでもない。正規の手続きを踏んで正しく休んでいる訳で、俺は単純に社会人としての権利を行使したまでで、悲しいくらい俺は社会に順応している。

 


3月に東京に引っ越す前まで10年近く住んでいた千葉県の街に来た。

自宅からの最寄駅でいつもとは反対方向の電車に乗る。テレビ東京の番組でそんなのをやっていたはずだ。誰も見ていないが、反対方向に乗る。案の定ガラガラで、苦もなく座ることが出来る。首都圏を走る電車で平日の午前中に座れることなどまずない。

腰を落ち着けて、スマホを取り出す。Ankerのワイヤレスイヤホンを取り出して何を聞こうかと思案する。つらつらとライブラリを見ながら、目に留まった空気公団を流す。ガラガラの車内、窓から射し込む12月の日差し、荒川を渡る時に見えた低い家々の町並みなどを見ながら、こんな時に聞く音楽として、空気公団はかなり「正解」に近いのではないか、と思う。

誰かに問いを出された訳でもないのだが。

 


気温は一日ごとに変化しており、今年はいつまで経っても安定しない。特に平日は家と会社の往復になることも多く、自宅から駅まで歩いて2分、会社の最寄駅から事務所までは駅直結という環境下だと、そこそこ寒い日でも電車の中と事務所内が必要以上に暑いことを思うとついついボリュームのあるアウターを着ることをためらってしまう。先週急激に冷え込んだ際、ついにダウンを取り出した。今日も少し迷って、結局薄手のコートを羽織り、それとは別にマフラーを鞄に入れておくことにした。寒くなったら巻こう。首元さえ冷えなければ風邪を引かない。中学1年の時に女子の体育を担当していたライオネル飛鳥みたいな女性教師が言っていた言葉をなぜか今でも覚えていて、このくらいの時期になると折につけて俺はこの言葉を思い出す。

千葉県にあるこの街は、程よく栄えていて、程よく田舎で、人出が多くもなく少なくもない。初めてこの場所を訪れたのは中学生の頃で、俺は初めて出来た彼女と映画を見に来た。仮にも東京生まれ東京育ちというのに、初デートで渋谷や原宿などには行けず、都心とは反対方向の電車に乗った。思えばこの頃から俺は反対方向の電車に乗りたかったのかもしれない。その時見た映画はディカプリオかなんかが出ていた「メキシカン」とか言う映画だった気がする。とにかくクソみたいな映画だった。しかも今調べたら主演はディカプリオじゃなくブラッドピッドだった。滅茶苦茶だ。何にも覚えていない。

その映画を見てから1ヶ月も経たないうちに俺は一方的にフラれた。公園に呼び出されて別れてほしいと言われた。理由として言われたのは、私は実はメジャーデビューしているバンドのボーカルと付き合うことになったからだ、と言い出したのだ。これにはショックよりドン引きが勝り、こんな女になぜ俺は舞い上がっていたのだろうかと、そのことにもショックだった。未練が無かったかと言えば嘘になるが、とにかくそんなアホみたいな虚言を使ってでも俺と別れたかったのだなと思うと、俺もかわいそうだし、彼女もかわいそうだ。世の中には残酷な嘘が溢れ返っている。

 


改札を抜け、十年間通った駅前を通り、駅から五分ほどの場所にあるショッピングモールへとたどり着いた。

俺が休みを取った理由の一つは映画だった。どうしても「ジョーカー」が見たかったのだ。ネットを見たらこのショッピングモール内にあるTOHOシネマズでジョーカーを上映するのは今日が最後だった。劇場で見ることは諦め、あとでDVDか配信で見ればいいかと思っていた矢先のことだ。これも何かの縁だろうと勝手に決めた。普段あまりどんな映画を見た、という話題の出ないような職場なのだが、なぜかジョーカーだけは皆見たようで口々に見た見たと言い合っており、なぜこれだけ見たいと思っている俺がジョーカーを見れず、お前らが見ているのだ、と行先不明の怒りを勝手にたぎらせていた。

上映時間は午後からで、一日一回のみ。ネット予約すると席はほぼ埋まっておらず、ゆったりと観れそうだった。早めに家を出たので、本屋をぶらぶらと見る。子供が生まれてから、意識的に時間を作らない限り、無目的に本屋をうろつくなどということが出来なくなった。独身の頃、こうした時間がどれだけ贅沢なものかわからずに無為に過ごしていたことを後悔した。そこで平積みになっている爪切男の「死にたい夜にかぎって」を見つけて立ち読みする。ネットで評判は以前から見かけていたので、気にはなっていた。案の定読んでいてすんなり馴染む印象で、自分の好きな文章だと感じたので最初の数ページを読んで購入を決める。最近多いのだが、こうしたショッピングモール内の大型書店には文房具店が併設されているのでふと思い出し、フリクションボールペンの3色入りを買った。600円もすることに驚いた。替え芯は経費としてたのめーるで会社に買ってもらっているのだが、なんとなく外身は自分で購入した方がいいだろうと思ったためなのだが、やはり外身も含めて経費で買って貰えばよかった、とレジに並んでから後悔した。

フードコードに入ってサブウェイでえびアボカドとポテトと飲み物のセットを買う。いつもそうだが、自分にとってのベストな組み合わせというものを思いつかないので、作ってくれるお姉さんに「お任せでいいです」と言う。かわいいお姉さんだった。席に着いてよくよく見てみると、えびアボカドは中身がお世辞にもきれいとは言えないレベルで崩壊しており、かつ「パンは焼きますか?」と聞かれたので「お願いします」と言ったはずなのに、全く暖かくもなく、ひんやりとしていた。あの子、かわいいだけだな、と俺は思った。

 


先週会社でパソコンを打ちながらふと、このままだと感受性が死ぬ、と思った。4月から通っている美容院の担当の女性はいつそんなに行っているのかと思うくらいミュージシャンのライブや演劇を見に行ったり、旅行にも行くし美術館や個展なども見に行っている人だった。聞くと休みは週一日なのだと言う。「一日二箇所行ったりしないと間に合わなくないですか?」と聞くと「午前中ライブ行って、夕方からお芝居見に行ったんですけど、ちょっと静かなお芝居だったんで、そのままずっと寝てました」と言うので笑ってしまった。他にもせっかく買った好きなアーティストのアナログ盤を買って満足したのでまだ聞いていなかったり、そういうことをよくしている人のようだ。俺も村田沙耶香の「コンビニ人間」を立ち読みしてすぐ買ったのに、読んだことを忘れてもう一度買ったことがあるので、なんとなく気分はわかる。少し違うけど。読み進めているうちに「この展開、前に似たような小説があったなあ」などと思いながら結構な分量読み進めていたのだから情けない。

とにかく、その美容師の話をいつも髪を切ってもらいながら聞いていると、結局忙しいから、疲れているからと言うのは言い訳に過ぎないと感じるようになって、妻にも無理を言って少しずつ一人で今まで行きたかった場所や、見たかったものを見に行くことにした。

先々週はその流れの中で渋谷に「象は静かに座っている」を見に行ったし、その次の日には流通センターで行われた文学フリマにも行った。普段からTwitterでフォローしているようなインターネットの世界の有名人たちも出展をしていることを知っていたので、純粋にそこで販売される本が欲しいという思いが半分、そうした人たちに実際に会えるかもしれない、というミーハーな思いが半分という感じだった。こうしたイベントに行くのは初めてだったので、どんな感じかわからなかったものの、流通センター駅からは同人誌と思われる薄い本を持った人をたくさん見かけた。落ち着いた雰囲気の人が多く、意外に思ったのは男性よりも女性が多いな、ということだった。あとTwitterでフォローしている中トロ議長を見かけた。あらかじめ買いたいと思っていたものは決まっていたので、入り口でガイドブックをもらってブースの位置を確認すると早足でそれらのブースを周り「これ一部ください」と決め打ちで次から次へと片っ端から買っていった。立ち読みもせずに突然現れては購入するので、ブースで立っていた人も「○○さんの知り合いですか?」とほぼ100%の確率で聞いてきた。「あ、いえ、全然知り合いではなく、勝手にTwitterでフォローしてまして…」などと答えるときの、圧倒的な自分の何者でもない感じにいたたまれなくなってしまった。最初はTwitterの人に会える!と思っていたものの、いざブースの前に立つと恥ずかしくて「これください」以外は何も言えなかった。おまけにブースには当たり前だが複数人立っているので、誰が誰だかわからないし、本人なのか、売り子だけをお願いされた知り合いの別人なのかもわからない。相手は芸能人ではないので、サインや握手をしてもらうわけにもいかないし結局そのままになってしまった。

人で混み合う会場を抜けてさっさとモノレールに乗り込む。普段仕事でもこのあたりは時々来ているが、休みの日に来るこの辺りの景色はまた違って見える。仕事で来るときは灰色に濁って見えるようなコンテナの積まれた港湾地帯だが、その先の東京湾の水面が陽の光を受けて反射し、きらきらと輝いて見える様も見えるようだ。その景色を見て元キリンジ堀込泰行のソロプロジェクトである馬の骨の「燃え殻」という曲のPVを思い出した。もともと燃え殻は好きな曲だったが、同じ名前でTwitter発という小説を刊行した人が出てきて、それそれと読んでみたらやっぱりよかった。やはり、好きなものはどこかで繋がっている。

購入した中で一番気になっていたのは三輪亮介さんという人が「夫のちんぽが入らない」で有名なこだまさんたちと出していた「生活の途中で」という本だったが妻が仕事から戻るのを待って入れ違いで子供をお願いして家を出たこともあり、俺が会場に着いた14時過ぎには既に売り切れていた。やっぱり人気なのだ。でも以前出していたブログをまとめていた本は在庫が残っていたので、それを買った。

モノレールの中で「やがてぬるい季節は」を開く。とんでもない情報量。字の洪水だった。好きな文章だった。巻末に文章の中に出てくる固有名詞についての説明を付けているのだが、その中のほぼ全てが通っている美容師との話題の中に出てきたものばかりで、自分の共感するものというのはどこか似た者どうしで繋がっているのだな、と感じていたら三輪さん自身もそうした体験をしたことを書いていて「自分の好きなものどうしがつながっていくのはうれしい」という主旨のことを書いていた。字を読むのは少し大変かもしれないが、あの美容師には三輪さんのことを教えたい、と思った。

 


ジョーカーは予想に反さず安定して良かった。

劇場内はほとんど客がいなかったが、カップルが2組ほどいて、物語が進めば進むほどカップルが見にくる映画じゃねえだろ、という気分にはなったものの、そもそもカップルで見に行く為の映画、というものの方が少ない訳で、誰がどんな映画を見に行こうと勝手なのだから気にしている自分の方がおかしい。一番後ろのど真ん中の席を取ってみたら、一番後ろの席に一人で見にきた女性客が結構多く、等間隔で離れて座っていた。ホアキン・フェニックスのファンで何回も見に来ているのかもしれない。想像以上にジョーカーの日常を執拗に凄惨に描いていて、傍から見ればただ単に自分の境遇を誰かのせいにしたかっただけの逆恨み殺人犯でしかないのだけど、どうしてもそこに同情をしてしまう自分がいるのもまちがいない事実。道化師仲間の小人の男性だけは「君だけはいつも優しかった」と殺されなかった。あとほんの少しでも彼の人生に「まとも」な人間がいれば、と思う。彼が最後の一線を越えるまで必死に、健気に努力をしていただけに、感情の発露がある瞬間からの変貌が、切ない。

 


映画を観た後は集中して見ていたせいか、どっと疲れてしまい歩き回る気力もなかったので無印良品をちょこっと見て、最近買ったサコッシュとほとんど同じようなものが990円で売られていたの見てへこんだ。俺が買ったものは5千円していたから。990円で十分だったと思う。

どこかで座ってゆっくり本を読みたかったのでスタバに入り、ショートサイズのラテを頼む。冒険出来ない人間なので出先でスタバに入ると100%何も考えずにこれを頼んでいる

レジに並ぶと俺の前に制服を着た高校生くらいのカップルがいて、店員が支払いを「ご一緒でよろしいですか」と聞くと「いえ、別々で」とあっさり答えていたのがなんかよかった。もしかしたら付き合っているのではなく、ただの友達同士だったからかもしれない。社会人になってそれなりに年月が経ってしまうと女性と飲食店に入るのであれば、男性が奢るもの、という意識が自分の中にはまだある。世代で括るようなことでもないかもしれないが、昭和の終りかけの頃に産まれた世代はまだその意識があるのかも知れない。

窓際の席に座ると、ちょうど日が沈みかける時間帯で、窓の外はモールの入り口になっているので、噴水のある広場と、大きなクリスマスツリーが見えた。三輪亮介さんの「やがてぬるい季節は」をもう一度開く。読んでも読んでも終わらない。今日の日記は彼の日記に完全に影響されて書いている。暗くなるにつれて徐々にツリーのライトアップが浮かび上がってくる。明るかった頃には気がつかなかったが、かなり多い量の電飾が施されていて、結構明るい。何人かの人が立ち止まってスマホで写真を撮っている。こういう写真はいつ見返すのだろう。あ、そうそうこれ、ショッピングモールのクリスマスツリーだあ、きれいだな、とかやるのだろうか。後輩と昼食を食べに行った時にも普通のチェーン店なのに出てきた食事をスマホで撮っていて、「何かにアップするの?」と聞いたら「記録です」と言っていた。とここまで書いて、それは写真か文章かの違いでしかなくて、俺のこのブログと彼のスマホの写真はなんら変わらないということに気がついてしまった。それ書いてどうすんの?記録です。そう、記録に他ならない。それ以上でも、以下でもない。窓際なので長時間座っていると足元から冷えてくる。キリのいいところまでブログの下書きを書いて店を出ることにした。2時間近くいてわかったけど、スタバではノートPCを広げている人は多いけど、俺ほどタイピングしている人はいなかった。みんな何をしているのだろうか。