もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

4/21 クラウドファンディング

8時起床。見計らったように娘が起きる。ベーコンエッグを作る。今日は今まで一番卵がとろとろに出来た。自分でも美味しそうだと思う。

 


仕事。今日はよく電話がかかってくる。

ほんの5、6件電話のやりとりをしただけなのに、めちゃめちゃ疲れている自分に気がつく。3週間ほど妻以外の大人と口頭でまともなやりとりをしていないからだ。メールのやりとりがメインで電話は多くても一に2件程度だったから気が付かなかったが、大人ときちんと考えながら話をすると疲れる。まずい。退化してる。

今日初めて取引先に「Web商談ってしてますか?」と聞かれてしまう。巷で話題のZOOMとか言うのを使って商談してるらしい。すみません、アナログな会社なもので…と、一丁前にテレワークしてるくせにまだ導入出来ていないことを謝る。結局資料を送ってもらい、それを見ながら電話で商談。相手は俺の電話をスピーカーで聴きながら数名で会議室で話をしている。こっちは声だけ。一人。めちゃめちゃ恥ずかしい。1時間くらいその電話商談は

続いて、終わったらもう他の仕事する気しないくらい疲れていた。

夕方屋上に上がって洗濯物を取り込む。街への人出は少な目だった。外は暖かかった。

今日はちょっとしたトラブルが発生し、その対応で時間がかかったために運動の時間が取れなかったなんとか19時過ぎに区切りをつけて夕食。

今日の献立はいつもなんでもいい、と妻に任せていると機嫌が悪くなるので一生懸命一緒に冷蔵庫の中を見ながら俺も意見を出した。

コンビーフとじゃがいも、玉ねぎの炒め物、キムチと蒸しささみの和え物、エビとブロッコリーと卵のサラダ、桜海老の味噌汁、ごはん。

どれも美味しい。

夜に息子の勉強を見る。公文、うんこドリル、九九のおさらい。九九は順番に行っていくとわかるのだが、いきなり途中から聞かれるとまだ答えられない。

三の段を3かける1からは言えるが、3かける5は?と聞くとダメ。

昔やった公文の国語を見返していると、「今欲しいものを書いてみよう」という特に決まった答えがない系の問題があって、そこに息子は「ナイフ」と書いていて、そっと目を閉じた。

 


娘とお風呂に入る。最近は背中を洗ってくれる。背中を一人で頑張って洗ってる、と言ってからやけにその点をかわいそうに思ってくれているらしい。ちょっと前までハマっていた鬼滅の刃はもう飽きたのだという。今は何が好き?と聞くと「トイレの花子くん」という。

親はこうやってこどもの話題についていけなくなる。こどもの頃わからなかった「親は自分のことなんか何もわかってない、知らない」というメカニズムがだんだんわかってくる。

子供の興味は移ろいやすく、流行り廃りが早い上にその範囲が狭いようで広い。それに反比例するように親の世代はいろんな物事への許容度が狭く、興味が薄くなっていき、目の前のことしか見えなくなりがちだ。

 


あしなが育英会と、医療従事者へフェイスシールドを送るクラウドファンディングに本当に少額だけど寄付する。

何もしていない自分のせめてもの罪滅ぼしというか、少額でも何か形になるものをすることで得体のしれない罪悪感からの免罪符が欲しかっただけ、というのが正直なところだと思う。普段からもっとすべきだったのに、こんなときだけやりやがって、と自分でも思う。

すでに相当額集まっている寄附金の数字を見て、いつだってこうやって俺たちはなんとかやってきたはずじゃないか、誰にも頼れなくても、俺たちは俺たちで支え合えるじゃないか、と静かに思う。