もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

正しい街

ホームレスを見かけなくなった。

もちろんいなくなったわけではないはずだけど、普段俺が出歩いている場所で出会うことがなくなった、という意味だ。

子供の頃までは俺の両親も周りの友人も俺自身も彼らのことを「こじき」と読んでいた。
もちろん子供だったので言葉の意味や歴史的な背景など特に考えることもなく、言葉の発音としてただそのように呼んでいただけだった。

俺の地元は下町なのでそうした人が駅の周辺に普通にいて、それによってどうこうということもなくなんとなく住む場所をお互い線引きして共存していると言う感じだったように思う。

祭りがあるとそうした人が自転車の整理をしたり、誰に頼まれたわけでもなく横断歩道に立って交通整理をしたりしていた。
俺の父親は商店街で店を営んでいたのでそうした祭りの手伝いなどに行き、彼らが手伝いなどをしていると食べ物と酒をお礼に渡していた。彼らはそうしてその日の食事を手に入れて、祭りの進行にも特に支障もなかった。商店街の運営する出し物の周辺に少し距離を空けてテキヤも出ていた。たこやきを買うと8個全部タコが入っていなかったり、まあそういうこともあったがなんとなくいろんな人がゆるやかに共存していたのだと思う。

駅前から彼らがいなくなり、駅前にできたタワーマンションの住人の苦情が元で駅前で何十年も前から実施されていた祭りの会場が中学校の校庭に変更された。法律が変わってテキヤが出店できなくなり、焼きそばもたこ焼きも、ヨーヨー釣りもスーパーボールすくいも型抜きも、正規の販売権を得ているかわからない怪しいお面もアホみたいに高い袋詰めの綿飴も買えなくなった。

交通整理や自転車整理を買って出ていたホームレスが亡くなった、という話を聞いた。
通りすがりに殴られ、その怪我が元で亡くなったと言う。彼の死は新聞でも小さく報道された。

世の中の流れによって、街が変わっていくのは仕方がないことなのかもしれない。
それで俺の街が小綺麗になったのかといえば、全くそんなことはなかった。
余裕と活気のない、薄汚れた、相変わらず小汚い街のままだった。

正しい街になったのか。わからないふりをして生きている。