もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

ファスト映画

朝ニュースを見ていたら
「ファスト映画」を作成し、動画サイトに投稿していた人が捕まった、
と報道されていた。

あ、見たことある。

会社から帰ってきて夕飯を食べた後、
風呂にすぐ入る気がしなくてソファで寝っ転がってるだけの時間に、
スマホYouTubeを見てるとき
なぜか最近俺はその「この映画を10分でまとめました」という動画を
さらに早送りしながら見ていた時期があったのだ。

自分の時間も満足に持てない、
好きなことも何もできない、
何もしないまま一日が終わってしまう。

そういう焦燥感の中で、この動画を見ると
本来はこの時間では知り得なかった情報を入手できた、
有意義なことをした、と脳に錯覚させられていたからなのかもしれない。

今にして思うと、まさにそれこそが「無駄」な時間だった。
さっさと風呂に入って、寝るまでの間に普通に映画を観れば良いのだ。
一日で見終われなかったとしても、二日に分けて見れればいい。

だけど、風呂に入ることすら、それすら「しんどい」と思う時間、
あの時間の隙間に、「ファスト映画」のような時間を搾取する存在が忍び込むスキができる。

ドラマや映画は倍速で見ている、という人の話を聞く機会も少なくなくなった。
効率的だし、その行為について、どうこう言うことはできないな、と思う。
俺は頭も硬いし考え方も古いので、そんなの情緒が無いだろう、とか思ってしまうんだけど
俺の中のひろゆきが「それってあなたの感想ですよね?」と論破してくる。
あらすじさえわかればよい。
物語を見る目的は、つきつめればその一点に尽きる。
だから、倍速でドラマや映画を見る人たちに、ある時から俺は何も言えなくなった。

なぜなら、俺たちには圧倒的に時間が足りていないから。

時間がない、は言い訳で
時間は作るものだ、という人は、そのように生きてほしい。
立派だと思う。素晴らしいと思う。

同時に、羨ましいな、とも思う。
金を持ってるんだろう。
時間も作れるんだろう。
体力があって、体はどこも悪くないんだろう。
友達も恋人もいて、親も元気なんだろう。

今、「時間がない、は言い訳」と言い切れる人は、本当にこの国に何%いるのだろう。
俺たちには時間もないし、
時間を生み出す気力もない。

時間はない。娯楽は多い。
コンテンツは過剰に生産され、供給され、消費され、日々スピードを増している。
今に始まった話ではないが、もはやそのスピードを意識することすらできない。

需要があるから供給があるのであって、ファスト映画が日々生きる上で
本当に必要だった人もきっといたのだろうな、と思った。

俺が妻に「俺、あれ見たことあるんだよ」と言ったら
「何で見るの?どうせすぐ忘れちゃうでしょ」
と言ってきた。

この人はいつだって核心を突くな、と思った。
そうだ、10分で見たものは、10分よりも早く忘れる。
きちんと見た映画を、ドラマを、本の方が、俺は覚えている。

どうせいつかはすべて忘れてしまうのだから
脳にインプットする意味のあるものを見よう。読もう。