もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

花束みたいな恋をした

映画を見た。

 

若い時って時間がたくさんあるのにどうして焦っちゃうんだろう、と思った。

 

菅田将暉演じる彼氏が二人で楽しく、ずっと暮らせるようにとやりたいこと諦めてやりたくもない仕事を始めたり

 

付き合い始めた頃の二人にとって忌むべき嘲笑の対象であった彼女の両親が言っていた言葉に捉われて仕事にのめり込んだり

 

その社会人2年目みたいな窮屈さが、呼吸が苦しくなるくらいわかってしまい、とても辛かった。

 

何から何まで好きなものがあてはまっていた二人にとって違っていたのは

 

好きなものを楽しむためには好きでもないことを我慢しないといけない、と思っていた男と

 

二人がよければずっと楽しく好きなものに触れていたいと思っていた女だったってことなんだろうと思った。

 

あまりにも好きで、好きなものが似過ぎていて、だからこそ決定的に違っている部分が見えるのに時間がかかってしまったんだな。

 

最後に馴染みのファミレスで向かい合って別れ話をしたときに

男がやっぱり別れたくない、恋愛感情が無くなっても夫婦になってる人たくさんいる、と言った時に

またそうやってハードル下げるの?と言う女。

 

一緒にいることが目的になっている男と、

それではもはや一緒にいる意味がなくなっている女。

 

どうしてこんな根本的な大事に思う部分が、最初にわからなかったんだろうと思ってしまう。

思ってしまうけど、最初にそんなこと気がついていたら二人は付き合ってもいなかったわけだから、二人は最初からこうなることが決まって長い時間を過ごしていたんだろうと思った。

 

昔の自分達を見るように、見知らぬ若いカップルの会話を聞くファミレスのラストシーン、

自分達が積み重ねた時間を思い出して耐えきれずに泣く二人。飛び出たファミレスがジョナサンで嬉しかった。

俺も妻と付き合ってた頃よくジョナサン行ってたから。

 

ちょっと思い出しただけもそうだったけど、

きっと誰にでもある大事な記憶のどこかに触れてくれるような映画だった。

何の意味も無い時間の積み重ねを、丁寧に、こうやって具体的に形にしてくれてとても嬉しかった。