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もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

歩くのが遅い

人に合わせられない。
抜きん出ているとか、出る杭は打たれるとかと真逆で、普通のことすらできないという意味である。

そもそも、三人以上になると会話が出来ない。
自分はしゃべらなくてもコミュニケ−ションが成立するからだ。
かと言って一人の世界を構築するでもなく、ただそのままそこにいる。
スマホを取り出してその場で相手を拒絶するほどの勇気も度胸もない。
聞いているんだか聞いていないんだかわからない程度の距離感で、ただいる。

大抵の場合
「どう思う?」とか
「ねえ?」とか
話を振ってもらえるのでそのときには返事を返す。
大人の世界はやさしい人が多い。
もし僕が逆の立場ならば「話す気ないなら帰れよ」と思う。
僕は僕以外の僕みたいな人間には滅法厳しい。


職場の同僚と昼ご飯を食べに行く時なんかは今でも辛い。

話すことと言えば大抵仕事の話かスポーツの話が9割だ。
申し訳ないがどちらも不得意分野の僕は
「へえ」とか「そうなんですか」とか毎日言ってばかりである。
聞いたことある話にも驚いている。それが今の僕ができる最大限の防御だからだ。

思うに会話と言うのはもう運動神経のいい悪いみたいなもので、
訓練してある程度までは上達するのかもしれないけど一定以上のものを求め始めると、それこそ無理な運動が身体を痛めるように、
心や精神に深刻な負担をもたらすような気がする。

会話が運動であるならば
僕はアスリートどころか市民ランナーにも草野球チームにも入れないが、競技人口の少ない種目を応援していきたいと思う。

人にあわせることで大事なことの一つには、歩くスピードがあるように思う。

僕は歩くのが遅い。
いつからこのスピードであったか思い出せないが、気が着いた時には歩くのが遅くて、どこへ行くのにも約束の時間に間にあわせるためには人より早めに家を出なくてはならない。

もちろん急ぐことはできる。
早く歩こうと思えばできる。走ることだってできる(当たり前なんだけど)
ただ、ものすごく疲れるのだ。
疲れるということは、無理をしているということで、つまりはやるべきではないということだと判断して、
自分は早く歩くべきではないと認識するに至る。

わざとゆっくり歩いているつもりはない。
無理をせずに自分のペースで歩くと、途端に周りの人とペースが合わなくなるのだ。
通勤時には毎日それを痛感する。
どんどん人に抜かれていき、自分がこのまま取り残されてしまう焦燥感に毎朝襲われる。
頑張って早く歩こうとすると、慣れないの息が切れる。人にぶつかる。挙句の果てには舌打ちされる。
悪循環だ。

子供の頃は自分のペースで歩いて、そのペースと一緒に歩く友人がそばにいた。

小学生の頃仲のよかった友人のことを思い出す。
家も近所で、学校からの帰り道が一緒だったので、毎日のように二人で喋りながら帰った。
何を話していたのかもう思い出せないが、話題はいくらでもあって、話が終わらずに僕と彼は、彼の家の周りをぐるぐると回りながらしゃべり続けた。
それなら家に入ればよかったのに、と今でも思うが、なんとなくそのときの気持ちはわかる。
歩きながらおしゃべりをするときの、なんとも言えない高揚感は得難いものがある。

彼はやがて転校し、中学校で再開した時にはすっかり雰囲気が変わっていた。
よくない仲間とつるむようになり、中学卒業後に就職をした。
その頃僕は彼と話す共通の話題を、すでに一つも持ち合わせていなかった。
それ以来連絡を取ることもなく、会うこともなかった。
数年前、彼が亡くなったという話を共通の友人を介して知った。まだ30になるかならないかというくらいだったと思う。

彼の歩くスピードは、もしかしたら僕よりずっと早かったのかもしれない。
きっと、僕の歩く速さに、合わせてくれていたのだ。

彼はさっさと僕の見えない場所まで歩いて行ってしまったが、僕はとぼとぼと、だらだらと、今のペースでしばらく歩いていく。