もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

誰かの心に残ると言うこと

会社の先輩が亡くなった。

 

俺より5歳ほど年上だったからまだ四十半ばくらいだったと思う。

数年闘病し、症状が快方に向かっていると言う噂を聞き始めた矢先だった。

子供が3人いて、末っ子はまだ幼稚園だと聞いた。

 

会社でお別れの会があり、訪れるとたくさんの社員がいた。

献花をし、簡易的な祭壇の上に置かれた写真に向かって手を合わせる。

ここ数年、テレワークのみで仕事をしていた彼とは画面越しでしか会うことが出来なかった。

年齢の割に童顔で、いつも洒落た着こなしをしていた。髪の毛も長く伸ばした上にゆるいウェーブがかったパーマをかけていて、若い頃はさぞモテたんだろうな、と思わせるような人だった。

見た目に違わずチャラく、いつもすれ違う時には軽い調子で声をかけてくれた。それなのに真面目で細かいところにも気がつく人で、人のことを悪く言うところを見なかった。

そんなことを思い出しながら手を合わせていたら、直接仕事で一緒になったこともないくせに、俺の中に残ったその人とのほんのいくつかの断片的な記憶が一気に蘇り、脳内で瞬くように浮かんできた。鼻が内側から押し出されるようにつんと痛み、押し寄せるように涙腺から涙が溢れそうになる。

こいつ、何で泣いてんだよと思われないように慌てて指で目元を拭う。俺なんか、俺ごときの記憶の共有しかないものが、一丁前に泣いていてはいけないと思った。

総務が用意したパネルには、新入社員だった頃の彼の写真から、無くなる直前の、坊主頭の彼までの写真が時系列で飾られている。

茶髪のロン毛が、落ち着いた髪色とミディアムヘアになり、最後には坊主へと変わっていく。

家族写真に映る彼の顔は、少し痩せたようには見えるもののまだ生気を保っており、今にも「あれ、お前また太ったろ?」と俺の脇腹を掴んで言い出しそうだった。

 

出口前に奥様がいて、訪れた人たちに挨拶をしてくれていた。俺はこういうとき、どんなふうに話すのがスマートなのか、年齢の割に社会経験がおぼつかないのでわからず、前の人の作法を見ていればいいものの、涙が出ないように目をかっぴらいて抑え込むのに必死なまま、俺の順番になった。

すでに散々悲しみ、全てを受け入れて覚悟した上で明るく挨拶をする奥様に向かって、俺は向き合って立ち止まったまま、しばらく何も言えずに立ち尽くしてしまった。

奥様も俺が誰だかもちろんわからないまま、それでもにこやかに「本日はありがとうございました」と向こうから声をかけてくださった。

俺は声が震えないようになんとか

「たくさん声をかけていただいて、

飲みにもたくさん連れて行っていただきました。

本当にお世話になりました」

と言った。

奥様は「すみません、連れ出してしまって。なんか飲みに行った先で変なこととかたくさん言ってませんでしたか」と笑いながら言う。

ああ、あの人にはこんな素敵な奥様がいたんだな、と思った。だからあの人も、ずっと頑張れたに違いない。ずっと彼を支えた奥様がにこやかに笑う前で、ほんの少し、彼の人生に触れただけの俺は涙を抑えきれずに声を震わせたまま

「本当にありがとうございました」

とだけなんとか言うと、頭を下げてそのまま逃げるように部屋の外に出た。

誰かの心に強く残るには、回数や頻度だけではない。ほんの一瞬でも、数えるほどの会話でも、誰かの心に何かを残すことは出来る。

彼と2人で飲んだ時のことを、そこで話してくれたことを、他の誰も知らなくても、俺はずっと覚えている。

好きな人ばかりどんどんいなくなっていく気がして、俺も本当に辛いけど、あなたの言葉を覚えているから、もう少し頑張ってみます。

本当に、ありがとうございました。