もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

猫が消え、犬が来る。

猫がいなくなってしまった。

俺が高校生の頃から実家にいた猫で、今年で17歳になるはずだった。
やってきたときはまだ生まれて数ヶ月程度の子猫で、実家の玄関近くに突然ふらっと現れた。
ガリガリで耳ばかり大きく目立ち、鼻の通りが悪いのかぐずぐず言っていた。うまく鳴くことができず、ただふがふがという鼻息の音だけが目立った。
母親がこっそり両手で包んで拾ってきたその猫は、買ってきた半生タイプの猫缶をあっという間に平らげた。
小さい体の割に食欲があるな、と感じた。名前をつけていいと言われた俺は「もんた」と名付けた。
小さかったもんたはばくばく食うようになってあっという間に大きくなり、見た目も「もんた」という感じになった。

先住猫が一匹、もんたのあとにもう一匹。
実家では三匹の猫が一時住んでいた。

最長老のミイは人見知りで、何年かかっても人に慣れることはなく、おまけに猫も嫌いだったので、ほかの猫との喧嘩が絶えなかった。
1日中家の中をどたばたと走り回ってはふぎゃあと大きな声で威嚇しまくり、それは朝でも夜でも、ところかまわず続いた。
あとから来た猫はぴーすけと言って、病気を持っていた。
医者に見せても詳しいことはわからなかったのだが、先天的な病気だったらしく、体はいつまでたっても大きならなかった。
しばらくすると体中の骨が変形しはじめ、満足に歩くことができなくなった。
歩くだけで痛いのか、悲しげによく鳴いた。食事も固形物が取れなくなり、缶詰をお湯で溶いてペースト状にしたものを注射器で口に流し入れた。

4歳になる頃、ぴーすけが逝き、12歳でミイも肝臓を悪くして亡くなった。
気高く孤高の存在だったミイだが、最後はおしっこもできなくなり、1日中座ったままおしっこを垂れ流すようになっていた。
その頃社会人になったばかりだった俺は朝うずくまったままのミイの顔に「いってきます」と言って家を出た。
すでにミイの目は焦点が合わないようになっていて、潤んでいるだけなのだが、まるで泣いているようにも見えた。
会社から帰るとミイの姿がもうなかった。
その日の夕飯はチャーハンで、ミイの世話や介護は母親に任せて何もしなかったくせに一丁前に涙だけ出て来るのが恥ずかしくて、顔を覆って泣いた。

二匹の同居猫が亡くなる時も、もんただけはいつでも元気であり続けた。
最初は全然鳴かなかったもんただが、体が大きくなるにつれて丈夫に鼻の通りがよくなったのか、最初はか細く「みい」と鳴き始め、
やがて大きな声で「なーお」と鳴くようになった。
ミイがなくなり、もんたも高齢になったが、声は小さな時のまま甲高く、いつまでも人懐こい、人間が大好きな猫だった。
初対面の人間の前でもすぐに足元に擦り寄っては「なーお」と甘えるような声を出すので、もんたは人気者になった。
エアコン工事のおじさんの前でももんたは「なーお」を繰り出した。「かわいいですねえ!」と言われていた。実際、かわいかった。

15歳を過ぎても元気なもんただったが、少しづつ老化は始まり、日課にしていた散歩の回数も減り、1日中家の中で寝たり、ぼんやりと横たわっていることが増えた。
寒い日に外に出たがるのでドアを開けると、二、三歩外に出て、外気を確認してはサッと家の中に戻るということを繰り返した。
「寒いんかい」とその度何度も突っ込んだ。

だんだんと起きているのか寝ているのかわからないくらいもんたの動きはスローモーションのように緩慢になっていた。
それでも起きている時に目をぱちくりとさせ、そのまん丸な目で足元に擦り寄り「なーお」と甘えた声で食事を催促する姿は我が家にやってきた、生後数ヶ月の頃と何も変わらなかった。
もんたは、かわいい爺さんだった。

もうもんたがいなくなって、二ヶ月近くになる。
いつものように催促された母が、どうせ家の周りをうろうろすれば気がすむだろうと外に出したきり、もんたは戻らなかった。
だいぶボケ始めていたとも思う。外に出て、帰り道がわからなくなってしまったのか、どこかで車に轢かれてしまったのか、若い猫と喧嘩になり怪我をしたまま力尽きたのか。
前向きな考え方をすれば、もの好きな誰かに拾われ、飼われているのかもしれない。ただ、17歳になる老猫をわざわざ飼うとも思えないし、第一首輪をしている。

あの年老いたもんたが、今も元気で生きているとは思っていない。
ただ、最後のお別れができないのは、こんなにも心が落ち着かないものなのだと初めて知った。
猫は死に目を見せない、とよく聞く。弱った姿を見せたがらないので、人知れず死期を自分で悟ると目につかない場所に行くのだと。
あの、大食らいの、甘えん坊の、どこか抜けているもんたが、最後の時だけ、そんな猫らしいことをするなんて、思いもしなかった。
お前は、みんなに囲まれて、そうして死んでいくんだと思っていた。
俺が寝る時、すぐに飛んで来ては布団の横に滑り込んだ来たお前が。
勉強をしている時に限って机の上に乗っかって、参考書の上で腹を出していたお前が。
海苔をかけたごはんや、ラーメンが好きなお前が。
人間みたいなお前が、どうしてこんなときだけ猫みたなことするんだよ。

今日、福岡に住む義父母からLINEが送られて来た。
豆柴を買ったのだという。
手のひらに収まってしまいそうなほど小さなその命の塊は、送られて来た動画の中で落ち着かない様子で周囲を見渡している。
続いて送られて来た動画では既に義母の髪の毛にじゃれつく様子があった。
撮影している義父の甘い声が聞こえる。その豆柴は見るもの誰をもとろけさせるような圧倒的な可愛さを持っていた。
名前は「小太郎」にするのだという。

全く関係がないことなのだけど、小太郎がやってきたことで、もんたは本当にもう、いないんだと俺は感じた。
母親はまだもんたのトイレも、餌入れも捨てられずに残している。家族が集まる時、もんたの話を誰もしない。触れることが、まだできない。

もんた、どこにいるんだよ。
お前がいなくて寂しいよ。たくさん生きてくれて、ありがとう。
俺たち家族と一緒にいてくれて、ありがとう。
お前みたいな猫、二度と会えないと思うけど、どこかで俺たちのことを見ててくれると思ってる。
家族の前では口にできないから、ここに書く。
さようなら、もんた。