もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

地獄

会社の同僚である女性と昼食時に話す機会があった。

俺より少し年上で小学生の男の子と二人のママでもある。


子供の友達の親と親同士で会う機会があったらしく、その席で一人の父親が
「女子高生は芸術だから」
と言ったのだという。


場は白け、女性陣は一斉に引いて行くのがわかったのだそうだ。
その場の雰囲気が眼に浮かぶ。
その父親の奥さんという人はあまり気にしている様子もなかったそうだ。

そしてその父親は「子供は女の子じゃなきゃダメだ」と力説していたのだと言う。

なんと言うか、日常の中にそうした異常な人間が紛れ込んでいるという事実をうっかり知ってしまうと、
具合が悪くなる。


どれだけ気をつけていても俺たちの思う安全なんてしょせんこんなものじゃないか、と思い知らされた気がするからだろうか。

地獄も、悪魔も、すぐそこにいる。
俺たちはいつでもすぐに逃げ出せるようにしなくてはいけない。

イカ2貫

スシローに行った。


夜に車に乗って外食に行く、というのは俺が子供の頃の記憶だとかなり特別なもので、
何らかの記念日とか、何か自分にとってすごいこと(賞をもらったとか、スイミングで進級したとか)がないと
連れて行ってもらえなかったと思う。


特になんのお祝いでも記念でもなかったけど、そういう夜に車で出かける、という特別感みたいなものを
子供達にも感じてほしいと思って、車の運転も得意ではないのに頑張った。


夜なのに加えて雨が降っていて、おまけに最近まともに車に乗っていなかったからフロントガラスが汚れていて
汚れたところに雨がついて、ワイパーを動かしたら油膜みたいにギラギラと濁り出してしまい、死ぬかと思った。


お寿司自体はおいしくていっぱい食べてしまったのだけど、お店が混んでいるのに加えてどうみても働いている
店員さんの数が少なくて、注文しても全然こない上に、オーダー品を知らせるシステムの調子が悪くて何度も頼んだものが
通り過ぎてしまった。


俺と息子が食べたかったイカがこなくて、仕方がないので店員さんの呼び出しボタンを押した。
だいぶ待ってからやってきた店員さんに説明しているときに
「このイカ2貫が済みになってますけど、まだきていないんですよ」
というと店員さんも
イカ2貫ですね」
と繰り返し、間違いなく俺と店員さんの頭の中には千鳥のノブが浮かんでいた。


店員さんが行ってしまった後に妻が「イカ2貫」と繰り返すように呟いた。


帰りのフロントガラスは雨で綺麗になっていた。

けんか 

子供と喧嘩ばかりしている。

自分の親もこんな風に毎日自己嫌悪に苛まれていたのだろうか。

愛おしく思う気持ちと憎らしく思う気持ちが目まぐるしく入れ替わり我ながら情緒不安定かと思うが
親だって人間だし、間違えることもあるし、責めることないよ大丈夫大丈夫、とセルフで励ます俺。


この間なんかの話の流れの中で俺は育児も家事もちゃんとやって仕事もきちんとやっているんだ、ということが
はっきり明言しないまでも態度に出てしまったのか、妻に
「そうやって他のやつと俺は違うんだってマウント取ってるんでしょ」
と言われて思わずはッとしてしまった。
図星だったし、言われて恥ずかしかったし、何よりバレてたんだってことがショックだった。
俺は誰かと比較しないと安心できないままずっと今に至る生き方をしてきてしまったし、きっと根本的なところではこれからも変わらない。

つらい

昔に比べると文章を読めなくなった。


理解力が少なくなったのか、なぜか考えることができなくなってきている。
こわい。アルジャーノンに花束をみたいに俺が書く文章もどんどんひらがなが増えて語彙が減っていくのか。


この間読みたかった文芸雑誌買って、少し読んだだけで目が文章を上滑りしているだけで、全然行を進んでいないことに気が付いて愕然とした。


自分の好きなことも満足にできなくなったのか。
どうすんだよこの先。

よむこと

加藤はいねさんはもうブログを更新しないのかな、と思いながらブックマークを思い出したように時々開いては閉じを繰り返して
3年が経った。

いまだに最新記事は変わっていない。

医療現場にいらっしゃる方なので激務かと思うし、
このコロナの一連の騒動でさらに大変な思いをされたのかもしれない。


楽しい文章、面白い文章。読みたいと思う文章。
そういう文章は読んでいて脳みそから何かが出ているのを感じる。
いつまでも読んでいたい。違うものも読みたい。もっと読みたい。読ませてほしい。
中毒性があるのだ。


俺は自分の信じる人の文章を読むことで救われている。
俺にとって読書に限らず文章を読むことは信仰であり、祈りである。

相棒

ロボット掃除機とサーキュレーター付き除湿機を買った自分を褒めたい。


間違いなく俺のクオリティオブライフは上がったと言える。


もともと掃除は俺がやることが多かったのだが、3月以降家族全員在宅率がどうしても高くなり、
家にいることが多くなると子供達がおかしを食べることも増えて、家で喧嘩することも増えて、
家の中が必然的に荒れた。


それが嫌で毎日毎日土日も、会社から帰ってきても掃除をしていた。
テレワークで在宅率が上がってからはもっと掃除するようになった。

そのうち掃除があまりにも生活の一部のようになってしまったことに嫌気がさして
「もう子供達の部屋は掃除しない」
と宣言したが、1日で断念して、ゴミを回収して回った。
俺の衛生観念が我慢できなかった。

ロボット掃除機は安いものを買ったので、とにかくあちこちぶつかって動き回って掃除する。
その姿が少しバカな感じで、とてもかわいい。
いなくなった元飼い猫のもんたの名前をもらって「もんちゃん」と呼んでいる。

もんちゃんはよくコードを飲み込んで「たすけてー」という感じでピーピー鳴く。
なのでそのたびに助けに行ったり、コードを片してやったり、正直てはかかるのだが
「自分以外に掃除を手伝ってくれる存在がいる!」
というのは思いの外俺に大きな癒しをもたらしてくれた。精神的に味方がいる、というのはとてもプラスになる。


サーキュレーター付き除湿機も心強い。
秋はここ数年雨が多く、台風も年々増えている気がするくらい長いし多い。
夏の間に嫌な予感がして購入したが、先月末から活躍しっぱなし。

家の乾燥機は洗濯機のおまけみたいなものしかないからタオル類くらいしかまともに乾かせないので、それ以外の衣類や
靴下、下着といった細々としたものは全て折りたたみ式の物干しを広げて、そこにかけ、この除湿機をつけると数時間でまともに乾いている。

これは嬉しい。
サーキュレーターで風を当てているからなのか、乾燥時間が短縮できているからなのかわからないが、部屋干しの嫌な匂いもほとんどしない。


タンクが除湿した水でたっぷりたまっているのをジャバジャバ捨てるのも嬉しい。
「おまえ、こんなに頑張ってくれたんだな」
と嬉しくなる。

今の俺にとって、家事を手伝ってくれるロボット掃除機と除湿機は、相棒である。

唐揚げ

生活が落ち着いたら、この仕事がひと段落したら、子供の手がかからなくなったら。


何かを始めないことへの言い訳というのは恐ろしいほど簡単に
たくさんあっという間に思いついてしまう。


でも、何かを実際に始めたことは、驚くほど少ない。
ほとんどないと言ってもいい。


最近ではむしろ始めないことに快感を見出し始めているのではないかと疑いたくなるほどだ。


なんでもないことをなんでもないように楽しんでいる人がいる。
つらいことを淡々と受け入れる人がいる。


俺たちに等しく分配された人生の時間をどのように過ごそうと自由なはずで
俺はそんな自由を与えられている国に生きているのに、
そして自分の意志さえあればできるはずなのにやらない。
いつまでもソファに縛り付けられたまま動き出せないでいる。


今日は娘と二人で近所のショッピングモールに行った。
サンリオショップがあって、そこでピンボールのゲームをやった。
クロミちゃんの場所にビー玉が入って、おかしのつめあわせをもらった。
娘は、サンリオのキャラクターの中で自分はクロミちゃんが好きだからよかった、と言った。
行きも帰りも雨だった。娘の足が濡れて、風邪を引かないように早く帰らなければいけない、と思いながら家路を急いだ。


人間ドックの検診キットが届いて、もう一年経ったと思って憂鬱になった。
妻が唐揚げをきちんと揚げてくれて、揚げたての唐揚げが食べられてとてもいい気分になった。
唐揚げの作り方で数ヶ月前に炎上していたことを、食器洗いをして、油の処理をしようとしたときに思い出した。
あんなに騒いでいたのに、それまですっかり忘れていた。俺たちはなんでもすぐに忘れてしまうし、慣れてしまう。
恐ろしいことも、大変なことも飲み込んでまるでなかったことにしてしまう。

唐揚げを作るのは大変だし、油の後処理は大変だ。
唐揚げ簡単でしょジジイが死んで、俺たちがあの炎上騒ぎを忘れても、それは変わらない。

ケイゾク

中3の頃どハマりしてVHSに録画して繰り返し見たドラマ。セリフを覚えて渡部篤郎の真似をしていた。恥ずかしいけど、見返してみるとあの頃の自分の熱中具合を思い出す。ああ、俺こういうの好きだよねと、中学生で俺という人格がほぼ出来ていたことを実感。

 


20年ぶりに見て、今の視点で感じること。堤幸彦演出としてはとても大人しくて静か。ハードでドライ。トリックとかだとちょっとついていけなくなってしまったんだけど、ギャグも抑揚が効いていて落ち着いて見れる。その分展開のダークさや映像の色調を通した世界観の表現が映えている。

 


全体的にずっと青みがかってるな、と改めて見て気がついた。青い映像がこの世界の寒々しさや冷たさ、希望のなさを感じさせているんだと思った。あと冬のドラマだったせいで登場人物たちが皆着込んでいる。肌の露出が少ない。息が白い。ケイゾクの季節が冬なのは結果的にはとてもケイゾクらしさを出すのに合っていたと思う。

 


トリックが田舎の土着的な閉ざされた村や集落を舞台にしていたのと対照的にケイゾクは徹底して都会的。都内がほとんどだと思う。で、やたらと埠頭とか工場とか廃ビルとか高架下とか倉庫とか「都会の中にあるけど人と断絶している場所」がやたら出てくる。そして夜のシーンが多い。暗い。二係の事務所は地下でコンクリート打ちっぱなしだし、とにかく画面のあちこちが無機質で冷たい。全部計算なんだけど、子供の頃は何にも考えないで見てたからなるほどなあ、と改めて思った。

 


当時中学生だった俺はただかっこいいと思って見てたけど、ラスト3話の展開だけではなくそれまでの1話完結エピソードも結構凄いんだと分かった。毎回エンディングがほとんどなくて犯人逮捕か犯人の死とともに唐突に終わる突き放し方に当時かっこいい!と思ったことを思い出した。

 


2話の「氷の死刑台」ラスト。犯人のよくある動機語りが終わると同時に渡部篤郎が嘘つけ、と犯人の本性を抉り出し、自分を逮捕したら医者である自分の手術を待つ患者が死ぬぞ、と犯人が脅したところにすかさず蹴りをかまして「人殺しは人殺しだ」と言い放つ渡部篤郎。そこへ犯人の手術を待つ患者の死亡を知らせる電話。連行されながら今度はこちら側に対し「人殺し」と笑う犯人。睨み付ける渡部篤郎中谷美紀にパトカーのサイレン。「このドラマはフィクションです」が出てすぐ終わる。え、ここで終わり!?と見ていたのにもう一回驚いちゃった。下手な余韻を許さないドライさ。

 


渡部篤郎のキック、自分の記憶よりは優しかった。当時の記憶だとめちゃくちゃ蹴っ飛ばしてたように覚えてたから。だから俺は今でも渡部篤郎がすげえ怖い。

 


あと小ネタを入れ込んでネットで流行らせるみたいな取り組みは多分ケイゾクがかなり先駆者だったのでは。俺は当時ネット環境がなくてとても悔しかったのだけど、視聴者が気付くか気づかないかくらいの要素をたくさん入れて、それに引っかかった人が掲示板とかで色々考察しているというのを当時テレビ雑誌で見て羨ましかった記憶がある。

 


今見ると確かに一瞬出てくるエキストラとか、さりげないやりとりのセリフ、貼り紙の文言とか登場人物の持ち物とか今だと割合スタンダードかもだけど、あの頃「え、今なんて言ったんだろ?」と意味がわからない部分とか結構あった。余白を作って視聴者同士で意味付けを考える仕掛けだったんだなと思った。

何もない

妻に


「パッチワークみたいな奴だな」


と言われ、核心を突かれすぎて何も言えなくなってしまった。
はっきりわかるくらい俺の目は動揺して泳いでいたのではないかと思う。


誰かの言っていたことを自分の考えのようにしゃべったり、
どこかで見聞きしたことをそのままパクったり、
確かに俺はずっとそうやって生きてきた。


多かれ少なかれそうしている人もいると思うけど、
俺は多分心のどこかで、そこを言われたくないという思いがあったのだと思う。


自分自身がない、つぎはぎだらけのコピペ野郎、パッチワークのように誰かの意見を
つなげて、さも自分の意見のように得意そうにしている。


妻の一言が深く突き刺さって、俺は何も言えなくなった。


三十六にもなって自分の意見がない。
これがどれだけ恐ろしく、恥ずかしいことか。
意見を持たないことを、物事を考えないことを、人との衝突を避けることを続けてきた報いだとも思う。


この先も俺は自分の意見を持てずにきっと生きる。
パッチワークみたいな人間として生きる。
多少見栄えのいいパッチワークができるようにするしかない。

離婚

芸能人でも会社の同僚でも、
早くに結婚したやつに離婚する人間が多いな、というのが
俺が三十六年間生きてきて思うことだ。


寿命も延びてんだし、
そんなに焦って結婚することないじゃん、と思っているけど
早々に結婚する。


で、離婚する。


離婚することが悪、という考え自体がそもそも間違っているのだとしても
往往にして離婚する人たちは辛そうだ。
そもそも手続きとかも大変みたいだし、離婚がしづらいシステムになってるのも関係してるんだけど。


同僚で結婚してすぐ離婚したやつは離婚直前に第二子が誕生していたりして
正直、人間ってこえーと思った。
どういう心理?


若いうちから結婚して、ずっと仲良しです、と言う人は尊敬します。


夫婦生活を「維持する」というステップに移行してしまった人間からすれば、
そんな人は眩しくて、直視できない。


家族を続けるのは、全員の努力の上で成り立つものなんだろうな、と俺は個人的には思っている。