精神科日記
サボりの記録をサボって1ヶ月半経ってしまった。もはや続きを書く気もしない。
俺は年末に人事と産業医と上司に直談判し、晴れて異動となった。管理系の部署で、定年後採用と障害者採用枠と新人と、俺のような心が壊れた経験のある人が集められている部署だった。
今まで営業部門のみを経験してきたので、こうした場所があること自体、たいして大きな会社でもないのに知らなかった。
会社というものが機能するために、いろんな仕組みを誰かがどこかで考えている。
精神科の医師にそのことを話すと
会社があなたが休めるように温情でそうしてくれたのだろう、それもあなたの人徳だ、と言った。
はっきり言って当初異動を希望した部署ではないので、俺は完全な左遷だな、と思った。
おそらくその気になれば30分で終わる仕事を1日かけてこなし、週4日テレワークを行う再雇用の男性社員に作業上わからないことがあったので質問しようと電話をすると、快活な声で応答した彼の声のうしろから、車の走行音と子供達の嬌声が回り込んできた。
人生は短い。彼の一度きりの人生のフィナーレ間近にうるさいことを言うつもりもない。世の中にはそういう場所がある、ということを俺が学んだに過ぎない。
障害者雇用枠の社員は視力が悪いので一日中黙ってパソコンに向かい続けている。会話もなく、最低限の挨拶もあやしい。悪い人ではないのだろうが、心を容易く人に見せるつもりはないのだろう。そういった意味では俺はあまりにも簡単に自分の心を剥き出しにして生きてきてしまったような気がする。取り繕っても丸見えな俺の心をやさしい人は見て見ぬふりをしたり、さりげなく目配せしてくれたが、利用しようとする人間やそれを簡単に踏み潰しても気にしない人間、そもそも俺の心が剥き出しであることに気がつかない人間たちに、少しづつ俺の心は削り取られていたのだろう。
精神科の医師は言った。
私は自分の好きなこと嫌いなことは絶対に言う。
なぜなら病気になりたくないから。
言わないで生きようとすると、自分を強く見せるために自分は凄いんだと自分に自分を洗脳するしかなくなる。
自分の感じたことを言葉にして論理を組み立て人に伝えること。
これがどれほど大事かを、私はあなたに伝えたかったんです。
言うことで俺は今まで起きることを恐れて生きてきた。
だから病気になった。
すぐには全てを伝えられないだろう。
性格や特性や、人間には種類がたくさんある。
その人にあった、病気にならないための方法を自分が見つけなければならないし、そこから先は残酷なようだが、結局は精神科医でも出来ないから、自分で何とかするしかない。
薬はさらに小さくなり、卒業の日を決めなくてはならないね、と医師は言った。