もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

何もない

妻に


「パッチワークみたいな奴だな」


と言われ、核心を突かれすぎて何も言えなくなってしまった。
はっきりわかるくらい俺の目は動揺して泳いでいたのではないかと思う。


誰かの言っていたことを自分の考えのようにしゃべったり、
どこかで見聞きしたことをそのままパクったり、
確かに俺はずっとそうやって生きてきた。


多かれ少なかれそうしている人もいると思うけど、
俺は多分心のどこかで、そこを言われたくないという思いがあったのだと思う。


自分自身がない、つぎはぎだらけのコピペ野郎、パッチワークのように誰かの意見を
つなげて、さも自分の意見のように得意そうにしている。


妻の一言が深く突き刺さって、俺は何も言えなくなった。


三十六にもなって自分の意見がない。
これがどれだけ恐ろしく、恥ずかしいことか。
意見を持たないことを、物事を考えないことを、人との衝突を避けることを続けてきた報いだとも思う。


この先も俺は自分の意見を持てずにきっと生きる。
パッチワークみたいな人間として生きる。
多少見栄えのいいパッチワークができるようにするしかない。