もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

ケイゾク

中3の頃どハマりしてVHSに録画して繰り返し見たドラマ。セリフを覚えて渡部篤郎の真似をしていた。恥ずかしいけど、見返してみるとあの頃の自分の熱中具合を思い出す。ああ、俺こういうの好きだよねと、中学生で俺という人格がほぼ出来ていたことを実感。

 


20年ぶりに見て、今の視点で感じること。堤幸彦演出としてはとても大人しくて静か。ハードでドライ。トリックとかだとちょっとついていけなくなってしまったんだけど、ギャグも抑揚が効いていて落ち着いて見れる。その分展開のダークさや映像の色調を通した世界観の表現が映えている。

 


全体的にずっと青みがかってるな、と改めて見て気がついた。青い映像がこの世界の寒々しさや冷たさ、希望のなさを感じさせているんだと思った。あと冬のドラマだったせいで登場人物たちが皆着込んでいる。肌の露出が少ない。息が白い。ケイゾクの季節が冬なのは結果的にはとてもケイゾクらしさを出すのに合っていたと思う。

 


トリックが田舎の土着的な閉ざされた村や集落を舞台にしていたのと対照的にケイゾクは徹底して都会的。都内がほとんどだと思う。で、やたらと埠頭とか工場とか廃ビルとか高架下とか倉庫とか「都会の中にあるけど人と断絶している場所」がやたら出てくる。そして夜のシーンが多い。暗い。二係の事務所は地下でコンクリート打ちっぱなしだし、とにかく画面のあちこちが無機質で冷たい。全部計算なんだけど、子供の頃は何にも考えないで見てたからなるほどなあ、と改めて思った。

 


当時中学生だった俺はただかっこいいと思って見てたけど、ラスト3話の展開だけではなくそれまでの1話完結エピソードも結構凄いんだと分かった。毎回エンディングがほとんどなくて犯人逮捕か犯人の死とともに唐突に終わる突き放し方に当時かっこいい!と思ったことを思い出した。

 


2話の「氷の死刑台」ラスト。犯人のよくある動機語りが終わると同時に渡部篤郎が嘘つけ、と犯人の本性を抉り出し、自分を逮捕したら医者である自分の手術を待つ患者が死ぬぞ、と犯人が脅したところにすかさず蹴りをかまして「人殺しは人殺しだ」と言い放つ渡部篤郎。そこへ犯人の手術を待つ患者の死亡を知らせる電話。連行されながら今度はこちら側に対し「人殺し」と笑う犯人。睨み付ける渡部篤郎中谷美紀にパトカーのサイレン。「このドラマはフィクションです」が出てすぐ終わる。え、ここで終わり!?と見ていたのにもう一回驚いちゃった。下手な余韻を許さないドライさ。

 


渡部篤郎のキック、自分の記憶よりは優しかった。当時の記憶だとめちゃくちゃ蹴っ飛ばしてたように覚えてたから。だから俺は今でも渡部篤郎がすげえ怖い。

 


あと小ネタを入れ込んでネットで流行らせるみたいな取り組みは多分ケイゾクがかなり先駆者だったのでは。俺は当時ネット環境がなくてとても悔しかったのだけど、視聴者が気付くか気づかないかくらいの要素をたくさん入れて、それに引っかかった人が掲示板とかで色々考察しているというのを当時テレビ雑誌で見て羨ましかった記憶がある。

 


今見ると確かに一瞬出てくるエキストラとか、さりげないやりとりのセリフ、貼り紙の文言とか登場人物の持ち物とか今だと割合スタンダードかもだけど、あの頃「え、今なんて言ったんだろ?」と意味がわからない部分とか結構あった。余白を作って視聴者同士で意味付けを考える仕掛けだったんだなと思った。