違う、そうじゃない
電車の中で
「MASAYUKI SUZUKI」
と書かれたトートバッグを持っている女性を見かけた。
鈴木雅之のファンなのだろう、と思う。
彼は素晴らしいシンガーだが、身の回りであまり、「コンサートに行ってグッズを買うほどのマーチンファン」という人を見かけない。
しかし、確実に鈴木雅之ファンは存在している。そうでなければ、彼があのサングラスの奥の瞳を我々に頑なに隠し続ける必要はないのだから。
またある時は、アルフィーのデフォルメされたアニメキャラが印刷された缶をペン立てに使っている人もいた。
おそらく、中身にお菓子か何かが入って物販では売られていたのだろう。
いるのである。熱狂的なアルフィーファンが。
もちろん彼らは素晴らしいバンドである。しかし、身の回りであまり「ライブ会場でメンバーのデフォルメされたイラスト入りグッズを買うほどのファン」という人は見かけない。
私の母は若いころ熱狂的なタイガースのファンだった。
野球じゃなくて、ジュリーがいた方である。
なぜ知ったのかというと、実家で見つけた古いタイガースのレコードの間に母が学生時代に使っていたと思われる定規が挟まっていて
コンパスの先か何かわからないが、尖ったもので引っかいたように「ジュリー」とか「沢田研二」とかあちこち刻まれていたからである。
この母の狂おしい愛をジュリーをどう受け止めたのだろうか。いや、ジュリーが知る由もないとは思うが。
僕は小学生のころ「古畑任三郎」が大好きで、よく「んー、古畑任三郎でした」とモノマネをしていた。
僕はすっかり田村正和のファンとなっていた。
亡くなった祖母にもモノマネを披露したところ、どうも反応が芳しくない。
祖母は、田村正和が嫌いだったのだ。
田村正和の出ている眠狂四郎が特に嫌いらしく
「むにゃむにゃ言ってて眠くなる」と言って見なかった。これがホントの眠狂四郎ってか。孫、撃沈である。R.I.P MASAKAZU。
世の中には必ず誰かのファンがいる。
そして、その人もまた誰かのファンなのである。