もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

あかずの間

職場のトイレの個室がいつも塞がっている。

私の職場の男子トイレは個室が2つ、小便器は3つという、オフィスのフロアの広さ、及びそこに詰め込まれた人員の数から考えるに
建築には素人ながら物申したくなるほどのトイレ的には劣悪な環境であり、「働き方改革」とか言う前にとりあえずトイレ改革から迅速に進めてほしいところなのである。

当然ながら大をするための競争は熾烈を極める。

特に朝、出社直後に男たちの戦いは始まる。
朝食を食べ、さあ仕事を始めようという前のひと時。

戦士たちはトイレで1日のスタートを気持ちよく切るべく気張ろうと集ってくるわけなのだが、そこにある個室はたったの2つ。
個室争いに敗れた戦士たちはあてどなく切ない表情でウロウロとトイレをさまよい人知れず消えていく。
もうそこまで来ている便意を誤魔化しつつとりあえずオフィスにいったん戻らざるをえないわけだ。
朝方、個室争いに敗れた切ない表情の戦士たちはどことなく肛門をすぼめて歩幅小さくオフィスを所在無げに歩くのである。

朝から満員電車に揉まれ、座席に座れるか座れないかの競争の果てにやっと会社にたどり着いたかと思えば今度は会社に来てからもトイレで
大をできるかどうかの過酷な競争に参加しなければならない。我々企業戦士は業務以外も全て競争なのである。ブラック企業である。いや、事が事だけにブラウン企業と言ってもいいかもしれない。
ブラウンという色が何を示しているか、賢明な読者諸氏はお気付きのことと思う。

以前異動の際に総務から配られたフロアの見取り図を見ていたら、男子トイレと女子トイレの大きさが如実に違っており、たまげた記憶がある。
「俺たちはこんな小さな場所で排泄させられていたのか…!」

そんな厳しいトイレ競争を繰り広げる中、どういうわけだかあるときから私の部署があるフロアの男子トイレ、一番奥の個室がいつ見ても閉まっていることに気がついた。

本当に空いているところをほとんど見たことがないのである。
あまりにいつ見ても空いていないので、そんなにひっきりなしに誰かが大をしているのだろうか、と不審に思って少しの間観察していたのだが物音もしない。
ふと一つの仮説が頭をよぎる。

ーこいつ、中で寝てるんじゃないだろうな。

ありえないことではない。
トイレの個室で仮眠を取る。そのために個室を利用しているのだとしたらこれは悪質である。

誰が入っているのか正体を暴いてやろうとしばらく小便器の前で用を足すふりをして粘ったが出てこない。あきらめてオフィスへと戻った。

ある時、小をしようとトイレに入った。
会社のトイレの照明は人感センサーがつけられているので、人が入ってくると明かりが点くようになっている。私が入る前には電気が消えていたので、誰もいないものと思って入ったら
なんと、一番奥の扉がしまっていた。
「ひっ…!」
私は思わず息を飲んだ。
ホラーである。ここまできたらもうトイレの花子さんではないか。

しかし私も33歳になった。
あかずの間にいるのは花子さんではなく、トイレで一眠りしている不届き者であると恐れるどころか憤るのが正しい社会人だろう。
人感センサーすらも無人と判断して消灯するほど中でぐっすりと熟睡しているトイレの花太郎がいるわけだ。
下半身丸出し状態で寝ているのかどうかは知らないが、いい気なものである。
私はおしっこをしながらとりあえず鋭い視線を個室の扉に向けておいた。

あかずの間は結局今も継続中で、トイレの個室は1日の大半が閉まっている。
それがトイレで仮眠を取っていると思われるどこかの不届き者によるものなのか、あるいは弊社男性社員の腸の活動がおかげさまで絶好調のために入れ替わり立ち代りで誰かが踏ん張っているためなのかは未だに不明だ。

しかし、人間は学習する。
私はほどなく、別のフロアの個室を使えばいい、ということに気がつき、大をしたくなったら一階上か、一階下に降りることにした。
そのうち、私の部署の一階上のフロアが比較的男性社員が少ないため、個室が空いていることに気がつき、私は常連になった。
私が大をしたくなるタイミングで、どういうわけだかちょうどトイレに入ってくる後輩社員がおり、トイレでちょこちょこ話すようになった。

今日にいたっては「今度飲みに行こう」という約束までするようになった。
あかずの間のおかげで、私のトイレでのコミュニケ−ションは円滑になったようである。