もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

itudemoemiwo

毎年来年こそは

「明るくなろう」

と思って30歳になってしまいました。

 

「何かを始めるのに、遅すぎるということはない」

と誰かが言っていましたが、

いや、誰かが言っていたような気がしますが、

まあ誰も言っていなくても名言っぽいので言っていたことにさせて頂きますが

さすがに30歳になって突然明るくなったりすると

「あれ?あの人アレとか始めちゃったかな?」

といらぬ詮索をされる気もしますので、気が進みません。

 

そもそも僕は昔から暗かったわけではないと思うのです。

なのですが、いつの間にか

「あんまり喋らない、ポジティプな考え方をしない、おとなしい」

すなわち

「暗い」

と周囲に認識される人間になってしまいました。

 

そもそも、人はどの程度から「明るい」「暗い」と判断されるのでしょうか?

この辺はぜひとも朝日新聞あたりで意識調査をやって頂きたいのですが、

ダメならアサヒ芸能でも構わないのですが、調べて頂きたいところです。

 

というのも、僕からすると世間の人って大体明るい、ということなんです。

みなさんタフで、ポジティブで、打たれ強く、そして明るいのです。

 

僕の中の「明るい判定」の基準が著しく甘いことは否めません。

それを鑑みてもやっぱり世間一般的に「暗い」人というのはマイノリティであり、

何となく「弱者」というか「敗者」というか「落ちこぼれ」的な烙印を押されている、

そんな風潮があるのは事実なのではないかと思うのです。

 

「暗くて何が悪いのか?」

というとはっきりとした答えはないのですが、まあ

「暗いと人生つまんないだろ!暗い奴がいると息が詰まるんだよ!辛気くさいんだよ!」

と明るい人に一喝されたあとに「ガハハ!」と笑われたら、やはりそれはもう

折れてくだけ散った自分の心をひとつひとつ拾い上げて、小さなブリキ缶にそっと収めたあとに風に乗ってどこまでも飛んで行きたいと願うのですが、要はそういうことなのです。

暗いと周りまで暗くする、それが何より害であるとされているのです。

 

なので、必然的に何となく「暗い」要素のある人たちと仲良くなったり、シンパシーを感じて近づいたりするようになります。

大抵そういう人は優しいですから、まあ受け入れてもらって、何となく今に至るというわけです。

 

前に僕が仲良くしている人のことを他の人が「暗い」と言っているのを聞いたことがあって、ショックだったことがあります。

僕はその人が「暗い」なんて思ったことがなかったからです。

むしろそこそこ「明るい」くらいに思っていました。

そんな人でも世間から見れば「暗い」

「暗いっていけないことなの?明るいことがえらいの?正しいの?」

とそのとき思ってしまったのです。

 

毎年「明るくなりたい」とは思います。

 

でも、「暗い」ことが自分の個性なわけですし、

「暗い」僕を「面白い」と思ってくれる人もいるわけですから

「明るい人を笑わせられる暗い人」なら

別にいいかな、と思うようにはなれました。

 

「暗い」

と思われるのは何とも思いませんが

「暗いからつまらない」

と思われるのはむかつく。

そんな中2的な思想で30代もおおいに乗り切っていきたいと思います。

 

来年もよろしくお願いいたします。