もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

自撮り

携帯電話にカメラが付いてから、誰しも一度は自撮りをしたことがあるはずだ。

ないですか?またまたあ。
ありますよね。時には眠れぬ深夜。あるいは暇な昼下がり。ふと魔が差した時間帯。
自分の顔がなぜか「おッ、今ちょっとイケてんじゃねえか…」と感じた瞬間…。

僕だってしましたよ。

以前友人と雑談中に話の流れでその友人の携帯に入っている写真を見ることになり、
何枚か見ていたら、いきなり彼の本気度120%という感じのキメッキメの自撮り画像だ出てきて思わず
「あ、ごめん」
と言って携帯を返したことがあった。あるあるだと思うんですけど、こういうときの正解って、何?
「お前www キメすぎwwwww」
などと笑い飛ばすべきだったか。今でもあの直後の僕と友人の気まずい沈黙は忘れられない。


たぶん、今の10代〜20代前半の方には根本的に「え?なんで?」という話かもしれないな、と最近思う。

というのも10代の人たちは生まれた時から世の中には携帯が当たり前にあって、その携帯にはもれなくカメラが付いていたからだ。
自分たちが物心ついたころにはスマホもあっただろうし、親の世代もデジカメを使って撮った写真はその場で見ている世代である。

若い人たちは「自分を撮ること」「撮影したものをその場で見ること」「それをみんなで共有すること」
に抵抗が薄いように思う。SNS文化が日常の中に存在しているし、ネット上に顔を出すことに対して「何が悪いの?」という感覚もあるだろう。
ユーチューバーが職業として認知されつつあるから、画像どころか動画であってもそれは同じ感覚だともう。

子供の頃写真はフィルムを入れて、撮り終わったらフィルムケースに入れて近所の現像屋に行き、印刷されて出てくるのは平気で3日後とかだった。それまでちゃんと撮影できてるかすらわからなかったのだから、すごい。撮ったその場で確認なんかできなかったから、僕が子供の頃家族で旅行に行ったときの写真は、僕がレンズに鼻を押し付けたせいで、撮った写真の中心が全てボケている。鼻の脂がついたからだ。

自分を年長者ぶるつもりはないが、僕は携帯が未知のものだった世代と、当たり前のものになった世代のちょうどあいだみたいな世代で、小・中学生の頃には携帯は一部の人にしかないもので、多くの人はまだポケベルを使っていたし、公衆電話もしぶとく残っていた。何かというと粗品にテレホンカードが配られていた。
父親が知り合いに何を吹き込まれたか知らないが、意気揚々と買ってきた我が家の初めての携帯電話は白黒の液晶で電話とショートメールだけしかできなかった。僕が12歳のときの話だ。ショートメールは確か半角カタカナしか打てなくて、
「キョウカエレナイ ユウハンイラナイ」
みたいな感じだった。今の感覚だとほとんど怪文書か脅迫文のようである。
そんな脅迫文メールしかできない携帯からほんの数年で携帯はカメラ機能が当たり前になった。
いつでも撮って、見返すことができるカメラで、当時高校生だった僕が何を撮るか。
自意識の塊であった存在が取るのは、己しかない。
見返すのも怖いが、おそらく当時の僕の携帯電話の写真フォルダには僕の画像がたくさんあるにちがいない。
学習机のライトを顔に当てていろんな角度から顔とか撮ってたと思う。本当、当時の僕には死んでほしい。

世代なのかもしれないが、自分を撮影することに
「自意識過剰」「ナルシスト」
というような雰囲気が感じられて、自撮りをする、という行為はあまりフランクに見せるものではない、という意識があったように思う。
自分を撮って、それをみんなで見せ合うことがコミュニケーションの一環になっている世代からすればくだらないことだと思うのだけど、やはり自撮りを目撃してしまったときの、あの僕と友人の気まずい数秒間の沈黙と、とっさに出た僕の「あ、ごめん」。
あそこに僕の世代の自撮りへの素直な気持ちが表れているように思う。