ルーティン
日常の中にルーティンがいっぱいある。
生きている限り色々やらないといけないことがあるわけだけど、これが時々
「なんでこんなにいろんなことやらなきゃいけないんだ」
と頭にくることがある。
特に朝、そう思うことが多いのだけどこの間冷静に自分が朝起きてから何をやっているかを頭の中で一つ一つ出してみたら
起床
↓
朝食(ここ数年ヨーグルトとヤクルト)
↓
薬を飲む(持病)
↓
トイレ(ここで大体うんちをする)
↓
手を洗う
↓
顔を洗う
↓
歯を磨く
↓
メガネをコンタクトに変える
↓
髭を剃る
↓
寝癖を直すために水をつけてドライヤーで乾かす
↓
いったん洗面所からリビングに戻ってヨガマットを敷いてストレッチする(これも足のを怪我をしてから毎日やっている)
↓
ここで着替え
↓
洗面所に戻って髪の毛にワックスをつけ、ケープで固めて終了
↓
リビングに戻ってコーヒーを飲む
↓
一息ついて出発
これが私が毎日朝に繰り返しているルーティン作業である。
書き出していて「うわあ…」となった。色々やらないといけないことがあって気が滅入る。
ここまでやらないといけないのかと。もちろん省けるところはたくさんあるし、これ以上の工程を重ねている人はたくさんいると思う。
特に女性はここに化粧が入るわけだから、私が女性だったらもっと早い段階で発狂していたかもしれない。
だがしかし。
何気なくやっている事柄でもこうやって書き出してみると「多いな」と思ってしまう。
下を見ないで梯子を上って、ふと下を見やったら思ったより高いのでそれ以上上に行くのが怖くなるような感覚である。
本音を言えば
起床
↓
出発
にしたいくらいだが、そうするとベッドの中で脱糞したりしないといけないので色々と問題もあるだろう。
もちろん、「やらないといけない」ことなんてないのかもしれない。
すべて私の意志でやっていることなのだから、その気になれば起きてすぐに出発することは可能だ。朝食は食べなくてもいいし、コンタクトにしなくても、歯を磨かなくても別に自分は困らない。困るのは周りの方々である。頭ボサボサ、顔テカテカで口の臭いメガネの私といつも通り接してもらえるのかははなはだ疑問である。
どこか効率化できるところはないだろうか。
会社から帰ってきてからも同じような手順が入浴を中心として存在しており、残業して帰ってきたときなどは
「どうにでもなれ!」
とルーティンを全てすっ飛ばして寝てしまうこともあるのだが、これは「後は寝るだけ」というその後に待つ作業が一点だけである夜と、これから色々なことをしなければいけない朝の立ち位置の違いによるものなので、朝は省略できないことが多い。
夜中に帰宅後無意識状態で食事を食べてからソファに横になっていると
「あー、このまま全自動で風呂に入って歯を磨いてベッドまで運んでくれる装置ないかなあ」
といつも思う。それくらいソファから立ち上がるのは至難の技なのである。
そんなことを考えるようになってから
「そういえば、子供たちはどうなんだろう」
とよくよく観察してみると彼らは
<朝>
起床
↓
朝食(ここがめちゃめちゃ長く、いつも「早く!」と妻に言われながらもそもそずっと食べている)
↓
着替え(出発直前)
↓
出発
<夜>
風呂
↓
(すごいいやいや適当に歯を磨いて)寝る
という非常にシンプルな工程を経て毎日を営んでいるらしく、実にノーストレスな毎日を過ごしているのだ。
いいなあシンプルだなあ、と思って休みだし今日実践してみよう、と子供と同じような朝を過ごそうとしたところ、顔は洗わないとベタベタして気持ち悪いし、ごはんを食べると歯を磨きたくなるし、髪の毛を直さないと恥ずかしくて外にも行けないし、メガネのままだと具合が悪くなるのでコンタクトにしないと気分もすぐれないしで、要はいつもと同じ朝の準備をしてしまった。
自分が我慢できなかったのだ。
子供は顔を洗わなくてもアブラでべとべとにならないし、髪の毛もへんな寝癖がそれほど目立たない。裸眼だし、体もどこも悪くないので着のみ着たままでもすぐに出発できるのだ、ということを今更ながら気がついた。
あのラグビーの五郎丸選手も例のポーズで気分を落ち着けていた。
ルーティンは毎日をいつも通りに行うためにも必要なものなのだ。
そんなわけで、明日からも私はいつもどおりの朝を過ごす。