もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

ぶらり途中下車の旅

土曜日の午前中にジムに行く。

主にエアロバイクに乗って、無理のない程度の負荷とスピードでゆっくりと漕ぐのがメインの運動である。
運動と言えるか怪しいものだが、基本は脚のリハビリがメインなので、これで十分だと思っている。
大体1回に60分程度続けるのだが、ひたすら漕ぎ続ける1時間というのは体力的にどうこう以前に、非常に退屈である。
そんなときのために、ジムの有酸素運動系マシンは、すべてテレビが備え付けられている。

土曜日の午前中、エアロバイクをゆったりと漕ぎながら見るのにもっとも適した番組とは何か。

それが、「ぶらり途中下車の旅」である。

以前からこうした番組が放送されていることは知っていた。
しかし、正直なところいつ放送されているのか、どんな人が出ているのか、どんな内容なのか、そこまで真剣に考えたことはなかった。
自分の生活スタイル、趣味嗜好、そういったものとは重ならない、「自分とは関係のない世界のないもの」と思い込んでしまっていたのだ。

ところが、いざジムの運動中という家でテレビを見るのと異なる空間で何か番組を見なければいけない、という状況になると
この「ぶらり」が非常にマッチするコンテンツであることがじわじわとわかってきた。

まず、時間帯である。 

私の住む地域では土曜日の9時半から10時半頃に放送されている。
驚いたのはこの番組が1時間番組であるということだった。長い間、てっきり30分番組だと思っていた。
だって、電車に乗ったり降りたりしているのを繰り返して、1時間もつと思わなかったからだ。
水曜どうでしょうですら30分である。途中でスタジオでゲームコーナーがあるわけでもなく、通販コーナーが入るわけでもない。
ストイックに、旅人たちは何度も電車を乗ったり降りたりして、いくつもの場所を巡って1時間。
朝からスタートして、最後の場所を訪れるとほぼ暗くなる。1日かけてロケしているのである。それを毎週。
なかなかにガチな制作姿勢だと感じた。
この時期、旅人たちは暑い中あちこち歩かされているので、衣装は汗でぐっしょりしてくるし、とにかく暑そうである。
旅人がおじさんの場合、顔面がアップになると汗と脂でテカテカしていて、メイクさんなどは同行していないのだろうかとやや不安になる。

次に、出演者である。

基本的にはレギュラー出演者という人は決まっていないようであり、毎回違うタレントが旅をする。
相性がいいのか、何度か出る人もいるが、それとて数ヶ月に1度程度。
他に出演者はいない。最初から最後まで画面に映る芸能人は旅人のみ。その他は一般の方である。  

この不定期なレギュラー制度も「ぶらり」の魅力だ。
もしかしたら2度と見ないかもしれない出演者。
そこに私は「ぶらり」の儚さを見る(もちろん何度も出てくる人もいるのだけど)
 
強いて言えばナレーション。これが唯一旅人以外の芸能人であり、出演者である。
初代は散々あちこちでモノマネされ、私ですら高校時代にはノリで真似した滝口順平氏、その後2代目藤村俊二氏を経て、今は
3代目の小日向文世氏となっている。はじめはどうかと思っていたが、今やあの独特のややねちっこい声質も「ぶらり」になくてはならないものになっている。
彼のどことなく乾いた、実はどうでもよいと思っていそうな雰囲気がこの全体的にいい意味で「あってもなくてもよい」世界観にマッチしているのだ。

そう、「あってもなくてもよい」
これが「ぶらり」最大の魅力だと私は感じている。

もちろん見ていると様々な沿線の、普通テレビであまり取り上げないような小さなお店、ささいな催し、個人の知られざる職業や趣味、街道の景色、
自然…などなど、純粋に情報番組としても面白いし、旅番組としても電車、それも鈍行で行ける、身近な場所の知られざる魅力再発見、といった趣の
テーマも共感を呼ぶし、週末には電車に乗ってこんな風に風まかせにぶらりと歩いてみたいな、と思わせるところもあるだろう。

実際番組サイドの制作意図の重きはそうしたところにあるのかもしれないのだけれど、私が一番見ていて心地良いのは
「見ていて、見ているそばから見聞きした情報がなくなっていく」心地よさである。
それは誤解を恐れず言うのであれば、「どうでもいい」と思って見ているからだとも言える。

観光地でもない、普通の町のささやかな情報を、好きでも嫌いでもない芸能人が、淡々と経験していく。
紹介、でもない。
「ぶらり」は特に旅人が訪れた場所をお勧めしない。こんなことがありました、こんなものがありました、こんなものを食べました。
それらを「へえ〜」と旅人が経験して、おしまいである。
最低限の情報はもちろん紹介する。ただ、聞いたそばから食べていたものの値段も名前も、店名さえ忘れてしまう。
番組側も、あまりにもそのあたりの「流れていく感じ」を危惧したのか、番組の最後に「本日訪れたところのおさらい」をスタッフロールのようにテロップで
流しているのだが、それとてさーっと流れていく。

その流れ具合は番組本編でも徹底されており、確か田山涼成氏が旅人の時だったように思うのだけど、田山氏がカメラで偶然見つけた花を撮影した。
「この花、なんだろう。さっきの店(この前の段階で訪れた店で花の名前を聞く一幕があった)の花と一緒かな?」
としばし疑問を口にし、「何だろうな、この花」と言いながらそのまま進んでいった。
それっきり、花のことは触れなかった。

個人的な感想だが、テレビ番組でこういう場面があった場合、後から調べた情報で「この花は、○○というお花でした」とか写真入りで補足するものではないだろうか。
特に補足もないし、それならなぜこのくだりをカットしなかったのだろう、と思った。

でも、いいのである。
なぜなら番組のコンセプトである
「ぶらり」と思い立った地で「途中下車」をして歩くものに取って、道に咲く花の名前など、知ったところで意味などなのだから。
そして、その花こそが、それこそが我々にとっての「ぶらり」なのである。
「なんだろう」と思って見るが、それ以上には興味を持たず、ただ受け入れる。

そしてその世界観、空気感が運動しながら見るのに、なんとも適しているのである。

1時間の旅を終える頃、私の運動もちょうどいい具合の疲れ具合になっている。
旅の終わり、旅人たちが大抵ちょっと休めるお店みたいなところで「あー。疲れた」という表情でシメているのを見ながら私も
「お疲れ様でした」と心の中で彼らに声をかけ、エアロバイクを降りる。
降りた瞬間、今日乗っていた電車が、何線であったかさえ忘れてしまうのを感じながら。