もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

ドントトラストオーバー30

糸井重里の手帳使ってる時に

30過ぎたら楽しいよ

みたいなことが書いてあって

今でも思い出すくらいだからやっぱりどこかでそういもんかな、

というかそうであってほしいと思ってたんだけど

まあそんな風になるはずもなくて

ふざけんなよって気持ちとまあそんなもんだろって気持ちが半々くらい

だからやっぱりこいつ信用ならねえんだよな、うさんくせえし。

やたらと高いあの手帳もいつのまにか使わなくなった。正しい判断だったと思う。

 

見えてるもんが違うんだから永遠に分かり合えないな。悲しいことだね。

ノイズ

毎日生活の中でノイズが多く、集中出来ない。

 

何事にも興味を持ちづらく、一つのことが長続きしなくなってしまった。

 

あれだけ好きだった読書さえ、

一冊の本を読み切るのにもう半年近くかかってしまっている。

 

日々を生きる体力、活力が本当に減った。

 

このまま老いるのか瀬戸際なのだろうか。

 

中年から外との繋がりを持たないと、老人になったとき、会社をやめた途端にどことも繋がりの無い孤独な老人になるのは目に見えている。

 

孤独は、人を弱くする。

家族が出来てもそれは変わらなかった。

家族は俺の寂しさを埋める道具では無い。

心のどこかでそれを勘違いしていたように思う。

妻はひとりの他人であり、子供もまた独立した人格を持つひとりの人間である。

 

俺は、繋がりを求めているのに誰とも繋がらないで勝手に一人で孤独だと言う。

 

ニートにも引きこもりにもなれず、死んだように生きる俺のような中年が、きっと知られていないだけでたくさんいるのだろう。

 

俺の人生は俺のものなのだから、とも思うのだが、だから何をするのかは思い浮かばない。

 

目の前の仕事をこなすことだけでそんなノイズを一瞬だけ断ち切れる。

 

 

今夜は眠りたい

もう遠い昔のことのようだが、今年の10連休は悪夢だった。

文字通りの意味で、俺は悪夢を見続けた。
起きると汗びっしょりで、うなされて起きた。
それがほぼ毎日続いた。

それは仕事上、私生活上での不安ごとやストレスから来るものもあれば、
単純に引っ越して間も無いということもあり、環境に慣れずに寝づらいということもあったのだと思うけど、
純粋に仕事が10日間も無いということが最大のストレスだったようにも思う。

仕事をしていた方が気が楽だなんて、情けないというか恥ずかしいというか、なんだか惨めな気分だった。
俺はずっと何か仕事をしていないと、誰かに必要だと思ってもらえていないような気がして寝ることすらままならないのか、と愕然とした。

連休が明けて仕事が始まると、連休中にストップしていた案件について、従来以上に短いスケジュールでこなさなければならないことも多く、
没頭して夜遅く帰宅すると疲れているのでそのままぐっすり、というパターンばかりでむしろ精神的にも肉体的にも楽だった。

最近では土日の方が平日より焦燥感を感じてしまう。
無駄に過ごす日が増えた。
いつでも疲れていて、平日は会社からの帰りの電車の中で土日にあれもやってこれもやってと考えているが、
いざ休みになればそのうちの1割も出来ない。横になってスマホをいじるか子供の相手をするだけで精一杯で、自分のことなど何も出来ない。
疲れてしまって起き上がることすら気合を入れないと出来ない状態だ。家にいて五体満足なのに、まるで長期入院している重病患者のような有り様で、
このまま俺は生きながらにして死んでいるような毎日を暮らすのか、あと何年生きるのかわからないが、平均寿命まで生きるとすれば数10年これの繰り返しである。

精神は疲弊していても身体的には大した運動もしていないから疲れていないので夜も眠りにつくのが遅い。
結果的に安酒を夜な夜なあおって倒れるように無理矢理眠る。うなされて夜中に起きる。浅い眠りの中で夜明けまで幾度かの覚醒を繰り返す。
スマホを見れば1時間おきに目を覚ましている、というときもあった。
今夜は酒のストックが切れている。近所のコンビニに買い出しに行きたい気持ちを殴りつけてブログを書いている。
今日は酒の飲み過ぎかついに壊滅的な下痢の症状が出て正露丸で押さえつけているところだ。

シラフで俺は今夜眠れるのだろうか。
眠れるのであれば、静かに朝まで眠りたい。

新年会

少し遅いが、俺の実家で新年会をやった。

招かれたのは俺の家族と、姉の家族。
それぞれの配偶者と子供が二人ずつなので総勢10名。

わいわいがやがやと大人も子供もそれなりにやかましく、楽しい新年会だった。

寿司屋でビールを飲み、父親がもったいぶってお年玉を孫たちに配る。
続けざまに「お父さんお母さんにもあります!」と鼻の穴を膨らまして言い放ち、こういうことについては特に恥とも思わない俺は頭を下げてしっかりと
「ありがとうございます」と言った上でその「お年玉」と父らしい角ばった字で書かれたポチ袋を頂戴した。

子供達は文字どおり飛んだり跳ねたりして騒ぎまくり、大人たちは2時間もすると静かになった。
後半は惰性のように時間を過ごし、会話もほとんどなくなったところでお開きとなった。

中学生くらいから親族で集まるという行為は、多くの人にとって多かれ少なかれ苦手なものになると思うけど
俺はとにかく苦痛で仕方なかった。

今でもそんなに得意な方では無いけれど、ある程度はそういう空気も楽しめるようになってきて思うのは
家族って結局最終的にはばらばらになっていくものだから、時々集まって自分たちが元は同じ場所で、同じ時間を共有してた、同じ瞬間を生きてた仲間なんだってことを
再認識するために、みんな集まってたんだなってこと。

もちろん法事その他、理由があって集まる事はあっても、それ以外集まる必要って本来的には無いけど、それでも集まりましょうというのは要はそういうことなんだなと。
そして、それをきっと「絆」というのだろうと。
自分も家族を持ってみると、言葉だけでなく実感としてわかるようになった。

姉の夫、俺にとっての義理の兄、そして俺の妻は言ってみれば我が家と血の繋がりのなり人間にはなるので、やはり我が家のノリみたいなものに、多少アウェイ感を感じる
ところがあったと思うのだけれど、家族というのはまさしく「ホーム」なわけで、やや自分たちのノリみたいなものを出し過ぎてしまったなと反省した。

この年齢になると、もう両親に対してはできるだけやさしくしてやりたいという気持ちの方が強くなってくるので、どんどん父親や母親が喜びそうなことを言ってしまう。

結果的に調子に乗りやすい父親を載せ過ぎてしまい、案の定ご機嫌な父親に一同辟易するという失敗もしてしまったが、どうせ数日もすれば楽しかった記憶しか残らない我が家である。

愛してる、ストロングゼロ

最近夜は酒ばっかり飲んでる。

 

もちろん一人で缶チューハイを家で空けてるわけです。銘柄はストロングゼロ

 

そんな時にブログ書きたくなってしまう。

もう、ダメですよ。

 

優しいなストロングゼロは。俺に寄り添ってくれるし、プリン体もゼロだよ?こんないい女いないよ?

 

気がつけば2時間経ってるとか、途中で記憶が無くなるとか、そんなのはどうでもいい。

規制がかかる前に俺はストロングゼロとの逢瀬を繰り返す。

 

お前がいてくれてよかった。

今のうちに言っとく。

 

愛してる。ストロングゼロ

 

田中圭

SNOWで顔を入れ替えて定期的に遊んでいる。

入れ替える相手は基本息子か娘なので、正直代わり映えしないのだが
何度やっても、結果がわかっていても面白い。

特に娘と俺の顔を入れ替えるとお互い最高に気持ち悪いので、何度も面白くてやってしまう。
臭いとわかっていても嗅いでしまう絆創膏をはがした後の指みたいなものなのだ。

今日始めて妻と娘と3人で顔を入れ替えてみたところ、
俺の顔が娘に、妻の顔が俺に、娘の顔が妻に入った。

俺と娘は想定の範囲内だったものの、妻が俺の髪型と輪郭の中に収まってみると、摩訶不思議なことに
そこに田中圭がいた。
びっくりするくらい田中圭だった。

最近になっておっさんずラブにハマった妻は自分の姿に「私超かっこいいじゃん」と満更でもなく、
俺のスマホで撮ったその写真をLINEで送るようにねだる始末。

そう、俺の妻は田中圭に似ていたのだ。
顔を入れ替えて始めてわかった事実。
これを夫としてどう捉えるべきか、非常に複雑な気分でいる。

そして、俺は髪型と輪郭だけは、田中圭にちょっと似ているということを、少しだけ心の支えにしていきたいと思っている。

なんてったってアイドル

数年前から草葉の陰より応援してるアイドルグループがいて、ライブに行くわけでもCD買うわけでもなく、せいぜい気に入った曲を配信でダウンロードするかYouTube見るくらいで全然彼女たちの収入に貢献できてないんで本当申し訳ない気持ちでいっぱいではあるんだけど、それでも彼女たちのことを応援する気持ちは嘘じゃない。
 
ただその程度の熱の入れ方なんで、久しぶりにYouTube見たらメンバーめちゃくちゃ入れ替わってて名前はそのままなのに知ってる子が一人しかいなかった。
 
これって、あの子達なの?
 
俺が応援してたグループと中身の人が入れ替わっちゃってるわけで、これは俺が好きだったあの子達と言っていいの?って思っちゃったわけですよ。
 
んで、むかーし爆笑問題が「爆笑問題の日本原論」って本の中で
「見た目が松村邦洋で脳みそがキムタクのやつが俺キムタクだよ!っつってもそいつはキムタクなのか?」
ってネタ書いてたんだけど、もしかしたら極端に言うと昨今のアイドルってそう言うことなのかもって思った。いや、今のあの子達が松村邦洋だってわけじゃないんですよ。例えね。
 
看板残して中身変わるじゃないですか。
まあ歌舞伎俳優とかと同じで○代目名乗られちゃえば昔からあり得ることなんだけど、もはやアイドルは一瞬の存在じゃないですよね。中身を変えて、姿を変えても、屋号を継承して行く、会社みたいに存続して行くことの方が必要とされる存在になったんだなと。
 
でも俺の好きだったあの子がいないグループなんで、同じ名前でも、もはや別物だよな。
 
なんて思いながらYouTubeで聞いた新曲すげー良かったからダウンロードしちゃった。ごめん。
世の中って移りゆくものだから。
 
応援してます。あの時俺が好きだったあの子も。今頑張ってるこの子も。

お正月の存在感

新年始まって、まあ一週目は肩慣らしですよね〜って感じで緩めのスケジュールにしてたはずなのに結局すげー細々とした雑務が押し寄せてきて、かつちっちゃいトラブルが起きたりその合間に新年のご挨拶に参りましたッ!なんておじさん達が突撃してきたりしているうちに、年末よりも忙しいんですけど、みんなもこんな感じ?1週間前まで餅食って寝っ転がって屁こいて寝てなかった?

 

なんかお正月って実質1日の夜過ぎたら急激に魅力失うよね。なんなの、あの2日から急にみんなよそよそしくなる感じ。

やることはやったし、まあ…とりあえず、もう、ね。いいよね?別に、みたいな。

やることやったらもう他人のフリ??

エッチだってしたのにふざけんなよ!って言いたくなるのもわかるよね。何の話?

写真が撮れない

SNSに上げるんだと思うんですけど、みんな写真めちゃめちゃ自然に撮りません?

いや、俺もアカウントは持ってるんですよ、Twitterもインスタも。
でも写真が撮れないわけ。
自分の子供の写真とかは折につけて撮ってますよ。
でもそれは「親たるもの子供の写真の一枚や二枚!」
みたいな義務感が全くないのか?と問われると自信がない。
いや、純粋にかわいいと思って撮ってますよ。

ただ、なんていうんですかね。
大義名分が無いと、外ではスマホで写真撮れないんですよ。

それがね、どういうわけだかみんな普通に撮るじゃない。
「心が動いた瞬間」に自然にシャッター切るじゃない。
そういうところ、すき。

でね、俺はそれができないのよ。
あ、面白い、と思ってもさ
周りの人にそれを撮ろうとしている自分を見られるのが嫌、っていう。
「ふーん、あ、そういうの面白いと思っちゃうんだ。写真撮っちゃうんだ。それをツイッター?インスタ?に上げるんでしょ。いいね、欲しいの?」
とか思われてるんじゃないのかっていう。

え?中2?なんなら小6?

みたいな自意識のせいで本当に写真撮れないんですよ。生きづらい人ってかわいそう。
そういえば仕事の人と雑談してるときに、話題に出た共通の知り合いであるちょっとエキセントリックな人の話題になって
仕事の人がすごく自然に「生きづらそうな人」ってワードを出して、なんかショック受けちゃった。

あーやっぱりそういう風に映るよね〜って思ったけど、多分その話題に出てたエキセントリックな人は全然生きづらく無いだろうなと俺は思った。
なぜなら良い悪いにかかわらずきっと「自分」がめちゃめちゃある人だから。

むしろ俺みたいに「周りにどう見られるか」でこの歳になっても写真ひとつ撮れない人の方がよっぽど生きづらいでしょ!そうでしょ!かわいそうだね?by綿谷りさ
みんな同情してよ〜何このおじさんさっきから怖くない?

あと普通にシャッター音ってすごいデカイし、迷惑かなとか盗撮してると思われると嫌だなとかいくつもの感情が重なって俺の指はスマホを立ち上げない。

以前ブログで写真をあげてた頃は完全に「ブログのためだッ」って言い聞かせて写真を撮ってたのでなんとか撮ってたけど、
ブログに写真をあげなくなってからは本当に撮る枚数が減った。
だから俺のiPhoneは64GBだけど特に容量に不足することもなくさくさく動いているしスクロールを軽くすっと動かすだけであっという間に2014年くらいまで遡れてしまう。

ミラーレスのカメラを買ったこともあるけど、ほとんど出動したこともない。
一般の人に比べて異常に写真の数が少ないのかなと不安になることもある。

そういえば両親が写真を撮ってくれていた小学生くらいまでは写真がたくさんあるのに
思春期に入り親と過ごさなくなった中学生から大学の卒業間近まで俺自身の写真はほとんど無い。
自撮りとかガラケーでやってたような気もするけど、そうしたガラケーももうほとんど充電しても中の電池がダメになっているのか起動しない。
失われた俺の10年。女子はきっと友達どうしでお互い写真を撮りあったりして自分たちのカワイイ時期を小さな画面の中に収めていっていたのだろう。

年始からまたインスタを始めてみた。
妻の実家に行ったとき田舎の風景を撮っていたら、何か「これはインスタを再開しろという暗示なのでは?」という気持ちになったためだ。

田舎はいい。周りに誰もいないので、写真が撮り放題だからだ。
都会は常に周りに誰かいる。誰もいないかなと思ってあたりを伺っているときほど余計に人が出てくる。

とにかく写真を撮るなら誰もいないところで、何も考えずに、なるべくなんの意味もないものを撮るしかない。
俺が写真を撮る意味は、そこにある。

2019 正月

年末年始妻の実家にいた。

俺のことをお客様扱いしてくれるので、上げ膳据え膳というか、まさしく俺は何もせずに過ごせたんだけど、とはいえやっぱり義両親の家。
どことなく気を使う雰囲気はあったし、義両親の家は結構な田舎なので、家自体は最近建てたもので新しいのだが一歩外に出ればそこはまさしく「無」という感じで、荒涼とした大地が広がり、妙にパーソナルスペースがデカめなご近所さんが遠くの方にぽつりぽつりと見えており、フィンランドの行列の並び方もかくや、という有様。

地平線には山々の稜線、そこまで連なる大地は見渡す限り畑。
何を作っているのか具体的にはよくわからない。朽ちた野菜みたいなものが点在しており、天気のイマイチぱっとしない、重く垂れこめた厚い雲が空を覆う天候も相まって思わず「だれかスティーブン・キング呼んでくれる?」とでも言いたくなる重苦しさ。
あるいは横溝正史的とでも言おうか、こんなこと言っちゃうとアレなんだけど「田舎の寒村に伝わる悪しき因習が事件の引き金となった…」みたいなナレーションがどこからともなく聞こえてきそうな風景なのだ。
やたらと側溝もデカいし、やっぱりitが潜んでたかもしれない。
それが見えたら終わりって、見えてた。それ。

俺たちは年末年始の帰省ラッシュを少しでも避けるべく12月31日に羽田を出発、で、今日戻ってくるというスケジューリングだったんだけど
子供を持つ親あるあるで、29日の夜未明娘が何の前触れもなく大量嘔吐。その後夜通し6回吐き続けるという状況に。

決死の覚悟で年末年始と土日も夜までやってくれている緊急治療所という大変ありがたい施設を探して連れていったところ、冬と休みと年末年始と色々重なって体調が悪くなった人々が押し寄せた治療所はさながら野戦病院
看護師が走り医師が怒号を飛ばし患者はさまよい警備員はひたすら「問診票おかきくださーい」とうわ言のように繰り返していた。地獄。あの警備員のおじいさん、大丈夫だったかな。あの人が一番具合悪そうだったけど。

2時間半の地獄を経てようやくいただいた診断は「胃腸かぜ」。
薬もいただき、渋る娘を説き伏せて30分くらいかけてちょびちょびと粉薬を飲ませる。
しばらくぐったりしていたが何とか吐き気はおさまった様子。しかしまだまだ本調子ではない。
この状態で本当に飛行機に乗って行けるのか?万が一機内で吐き気を催したらそれこそジ・エンドである。

出発当日の朝、31日になっても娘は「気持ち悪い」「お腹痛い」と繰り返す。もう時間がない。万事休す。
出発までまだ時間があったので、とりあえずもう一回寝ろ、とソファで強引に寝かせると一晩中吐き続けて疲れていたのかそのまま就寝。
すぐ出発できる準備を整えておき、2時間ほど寝かせて起こしてみると、先ほどまでの具合の悪さが嘘だったかのように元気になった。
しばらく様子を見たがまったく体調的にも問題なさそうだ。妻とも相談し、ゴーサインを出した。出発予定時刻の十数分前の出来事だった。間一髪である。
どうでもいいところで見せ場を作るな。人生のクライマックスを無駄に増やさないでほしい。

こうして何とか31日の夜に義両親の実家に着いたはいいものの、なんとその日の夜に息子が大量嘔吐。
症状は娘と全く同じ。アウトブレイクパンデミック。感染である。
そして1月1日はまるでお通夜のように、義両親、我々夫婦、吐き続ける息子、一人元気な娘というメンバーで24時間ぶち抜きでお送りすることとなった。
息子の看病もしなくてはいけない上、感染を広げるわけにもいかないので外へ出歩くこともできず、ただじっと家の中で過ごす1月1日。
義母が腕によりをかけてつくったおせちが、お雑煮が、おもちが、ダイニングテーブルの上で冷えていくのであった。

なんとか2日からは元気になって、それからは近所の神社にお参りに行ったり、遊びに行ったりと義両親も孫とのひと時を楽しめた様子。
何にせよ、孫の元気な姿を見せるのが何よりの親孝行だったはずなのに、図らずも一番具合の悪いところをライブでお届けすることになってしまうといういらないサプライズを見せてしまったが、最終的には義両親にも喜んでもらえたようだ。

得てして、出かける直前に兄弟喧嘩は始まり
大事な用事の前にゲロを吐く

子供というのはそういう生き物である。

と昔の偉い人も言ってたとか、言わなかったとか。
仮に誰も言っていなくても、我々はそうして家族をやっていく。
それにしても家族って、「族」ってとこに凄み感じません?
暴走族か◯◯一族みたいに物々しい言い方でしか使わないもん。
家の族。