押し入れから発見されたニンテンドーDSの話
こんにちは、hanadekameganetです。
先日僕の家庭は親の方針でテレビゲームの類いが一切買ってもらえなかった家庭だったと言うお話を書きましたが
hanadekameganet.hatenablog.com
大人になってから、その時の反動もあったのか、とにかく「ゲーム機が欲しい」という素朴な思いから、僕が社会人になったころに流行っていた「ニンテンドーDS」だけは自分で買って少し遊んだことがあります。
でも、やはり原風景にゲームがないからか、それほど熱中することが出来ず、結局たいして遊ぶこともなく放置が続き、もう何年も電源すら入れていないような状況です。ちなみに最後までやりきったゲームは「逆転裁判」です。
つい先日、妻が押し入れの整理をしていたところ、そんなニンテンドーDSが発見されました。
妻は人並みにゲームをやってきた人で、大人になってからも僕と同じくらいのタイミングでDSを手に入れては、「おいでよ どうぶつの森」を結構やりこんでいたタイプの人間で、今ではスマホでツムツムやねこあつめを地道にやっています。
そんな妻のDSが発見され、数年ぶりに電源を入れたところ、すっかり忘れていた過去のデータが蘇ってきました。
なんかカメラで顔を撮影して、取り込んだ顔がゲームに使えるという機能があったようです。
実に3年前の僕の顔が出てきました。
「年齢性別不詳顔」ってどういうこと。
まだ髪が短いし、体重も今より10キロ以上太っている頃です。
ムカつく顔ですね。
ちなみに妻と当時産まれたばかりだった息子の写真も保存されており
妻は一応「ヤングな女性顔」と認識されていました。
息子はなぜか「女の赤ちゃん顔」と認識されていたようです。
せっかくなので、最近の顔を取り込んで
妻にプレイしてもらうことに。
「うわ。これ結構難しいなー」などと言いつつ
ガンガン僕の顔をした敵を撃ち落とし続け
子供にもお構いなしでハマり始めた妻。
「パパが出て来るから撃ってごらん」と言って子供に渡していました。
ここはやはり、逆転裁判が唯一全クリアしたゲームである人間として「異議あり!」と言っておくべきだったんでしょうか…。
中学校の卒業アルバムの持つ殺傷能力を改めて再認識した話
こんにちは、hanadekameganetです。
資格試験の勉強をするために、ユーキャンに入りました。
というか入ったのは実は1年以上前なんですが。
そして、受験する予定だった資格の受験日は既に過ぎてしまったのですが。
you canかもしれませんがi can'tでした。
続きを読むブログ初日を訪ねる旅
こんにちは、hanadekameganetです。
僕は昔から文章を書くのが好きで、途中で休んだりしながらもなんやかんやでブログを10年以上続けてきました。
それは場所を変えたり、SNSでの日記になったり、あるいはTwitterになったり、色々と形を変えては来ましたが、何らかの形で文章を書くという行為だけは続けていたように思います。
そして先日、ふと思ったのです。
「そういえば昔の僕はどんな文章を書いていたのだろうか?」
と。
影響を受けやすい人間なので、その時々で一番好きな人の文体をモロに模倣しつつ書いてきた僕は、時代ごとで文章の書き方が全く変わっているはずです。
今もいろんな人をパクリながら書いてますが、昔はもっとそれが顕著だったような気がするし、それはそれで時代ごとに「ああ、この時はこの人にはまってたんだなあ」なんてわかって面白いかも、と思ったわけです。
しかし、一番最初に僕が学生の時に始めたブログはもう更新どころかアクセスすら何年もしていない状態だし、無料サービスだから最悪データとか何等かの不具合で消えちゃったりしてるかも…なんて思っていたんです。
そこで記憶を頼りにタイトルを検索。もうないよなあ、ない方がいいなあ…
しっかり残ってました。
クラウド社会ですね、こわいですね。
10年以上前の一大学生が何も考えずに全世界に向けて書いていた内容がなんとそのまま保存されているんですね。
インターネットにはこういうスペースダストみたいなのが無数に残っているんでしょう…
確認すると、一番古いエントリーは2005年1月29日でした。
実に10年半前です。僕は二十歳だったはずです。
果たして10年以上前、僕は何を考え、ブログ初日に何を記したのか?
どうですか、皆さん、興味あるでしょう?(ねえよ)
そんな記念すべきブログ初日に書かれて記事を特別に公開いたしましょう。
著者は僕なので無断転載し放題です。
その内容が…これだ!!
タイトル;1月27日の持つ意味について
雑誌を買った、場末の町の小さな本屋。
店主の老婆は、低く笑って
「もう三月号だものねえ。早いよねえ。
何もかもこう行けばいいんだけどねえ」
私は千円札を置いてつり銭をもらうまで、
愛想笑いを浮かべるしかなかった。
外へ出ると1月の風が私の耳を引きちぎり
顔に無数の針を突き立てていった。
自転車の籠に紙袋を入れると
カサカサと冬の音がした。
…どういうこと?
もうホント、つまらないとか恥ずかしいとかダサいとか、そういった感情よりもまず最初に思ったのは
「どういうこと?」ということでした。
とにかく意味がわかりません。
当時の僕の方が時間が有り余っていたからバカなりに色々考えすぎて自分でも思考がよくわからないことになっていたのでしょう。
しかしまあ僕のことですからちょうどこの頃読んでた小説に影響を受けた描写な気がします。
そもそもブログなのに日記なんだか、私小説風に書きたいのかも微妙です。
あと「カサカサと冬の音がした」というのは「夜空ノムコウ」の歌詞の一節「冬の風のにおいがした」からパクってるような気がします。自己分析。
ていうか冬の音って何?
そして同時期、
僕は友人に誘われてその頃急速に広まりつつあった国内ソーシャルネットワーキングサービスの草分け、mixiを始めました。
このmixiでも僕は日記を書いていたのです。
誰にも頼まれてないのに自分のブログとmixiの日記も書いてどんだけブログ好きなんだよ、という感じですが、
友達も少なくインドアで文章を書くのが好きな文学部の学生はブログ書くくらいしか時間の過ごし方がなかった、
とも言えます。
そう考えると当時の僕がかわいそうでいたたまれなくなってきますので、続いてmixi日記の初日を見てみましょう。
日記の一番古い日付は2005年11月1日。
ブログとほぼ同じ時期です。この時期よっぽど暇だったんでしょう。ブログ書かないで勉強してたら今頃何かの特許くらい取れていたかもしれません。
タイトル;はじめたぞ
ついに始めましたよミクシィ。
大して書く事無いけど。
今日は天気がいいのでとてもマルな気分です。
隠れ巨乳の見分け方をご存知でしょうか。
隠れ巨乳の人は大抵
①前歯が大きい
②黒系の服が多い
③歩くとき前かがみ、やや猫背
である、とさまぁ~ずの大竹さんが昔言ってました。
僕は今でも忠実にその教えに従っています。
女性を見るときまず前歯を見てしまうのが僕のクセになってしまったのです。大竹さんのせいで。
羊を放しといてぐいっ!
電話に誰もでんわ、そりゃそうよねえ、あの人もういないんだから・・・
さまぁ~ず大好きです。
なんかもう…ね。
初日の挨拶だというのに書いてある内容が巨乳の話。
しかも自分ではなく、さまぁ〜ずの話していた内容をそのまま書いているだけ。
後半は当時プチブレイクしていら「悲しいダジャレ」のネタをただ羅列しているだけという、僕の持病であるパクリ癖を遺憾なく発揮した内容となっています。
息子がもしこんな文章をFacebookを始めた初日に書いていたら
「自分の言葉が一つもないじゃないか!」
と目に涙を溜めながら胸ぐらを掴んで怒鳴りつけたいところですが
あいにく僕の父親は僕がこの文章を書いていた頃、ちょうど家業の靴屋も畳んで長年の責任から解放され、アルバイトみたいな仕事をしながら毎日飲み歩いたりゴルフをしたりするという学生よりも学生らしい生活をしており、飲み仲間から携帯に電話がかかってくると
「はい、こちら警視庁捜査一課!」
などと応対するという蛮行を繰り返していましたので、僕の発信していたSOSに気がつくはずもありませんでした。
とはいえ、この「巨乳の見分け方」、今でも日常で使っております。
大竹さん、その節はお世話になりました。
【追記】
ちなみに白状すると、僕はこの時期これ以外にもさらにもう一個ブログをやっていて、この記事を書くのにあたって読み直したのですが、上記二つみたいに笑える内容ではなく、ただただひたすら不快になるようなクソブログでしたので紹介は差し控えさせて頂きます…
だったら消せよ、という感じなのですが、自分の文章ってなんか愛着があって消せないんですよね…
黒歴史再び
こんにちは、hanadekameganetです。
さて、僕はなかなかモノが捨てられない断捨離の逆を行く続拾持(読みは各自にお任せします)の精神でやらせていただいているのですが
とはいえさすがに最近何でもぶち込んでおく収納ボックスがかなりぱんぱんになってきたため、ポリシーはあっさり捨て、中身を見直そうとしています。
何がそんなに入ってるんだと色々取り出してみますと
5年近く前に行った新婚旅行先で買ったクソしょうもないお土産が大事そうに詰め込まれていたりします。
誰の為でもない、自分の為のお土産です。
叫び声が聞こえるようです。
どこに飾る訳でもなく、収納ボックスに何年も詰め込まれていました。
大事にしてるんだか大事にしていないんだかわかりませんが、こういうのはやっぱり捨てられないんですね。
ちなみにミントタブレットは中身が入ったまま。特に腐ったりはしてませんがもう食べられません…
そして、この整理作業の中、僕は見つけてしまったのです。
この謎の小箱を。
もうここからでもはっきりとわかる禍々しいオーラ。
蓋を開けてみると…
oh...
そこに詰め込まれていたのは僕が中学生から高校生の頃に撮りためた様々な種類のビデオテープでした。
やけに小さいテープだなとお感じになる方もいると思いますが、このテープは「ミニDV」と言いまして、当時のビデオテープの記録媒体としてはそこそこ一般的だった記憶があります(約16年前)
当時はまだあまり家庭用のビデオカメラにハードディスクが搭載されているものはなかったのです。
僕は高校受験合格したら買ってくれと両親と祖父母にお願いし倒し、その執念もあってか合格した末に買ってもらったビデオカメラが嬉しくて嬉しくて、それこそ毎日のようにこのカメラでなんやかんやを撮っていた訳です。
今見るとでっかいし重いし古いのは否めないのですが、当時はこれでも家庭用としては結構上位機種だったはず。
で、テープです。
既に上の画像でおわかりかもしれませんがタイトルからなかなか香ばしい香りが漂ってきます。
「千葉男4人旅 前編」
TSUTAYAにあったら回転率ゼロと思われるタイトルです。
千葉、男、四人、旅。引きの要素ゼロです。
しかも前編です。前編ということは当然、
後編もあります。
そしてこちらについては謎のカップリング
「一人コント」も収録という大盤振る舞いです。
ええ?
ウソでしょ? いつそれやってたの?と自分の胸に手を置いて小一時間問いつめたいところですがこちらについては記憶の片隅になんとなくこびりついているヘドロのような思い出が顔を出しそうで顔を出さない、記憶の不可侵領域に近づいていることを僕の本能が察し、危険信号を出しています。
まだあんのかい!
今度は「一人芝居」になっています。
こちらはイッセー尾形さんばりの一人芝居でも収録されているんでしょうか。
自分で書いたはずなのに、高校生の頃の自分のことが既にわからなくなってきています。
「テープ1」「テープ2」「テープ3」
怖い怖い怖い!
何かの犯行現場でも収録されてるんでしょうか。
タイトルじゃないところが怖いですし、収録日が記録されているのがよけいに怖いです。
しかし、ここからが本当の勝負です。
実際に何がこの中に記録されているのか、僕はそれを知らねばならないのです。
確認するのはあの「一人コント」が収録されたテープです。
再生ボタンを押します。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これは
うわあああああああああああああああああああ!!!!!!!
ウソだろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
まさかとは思うけどまさかとは思うけど
もしかして君さ
stay goldを出した頃のsteady&coの降谷建志のつもりで一人でPV再現してる訳じゃないだろうね?
まさかね…いくらなんでもそんな…悪い冗談だよね…
本気だよ。こいつすげえやべえ奴じゃんかよ。
(※写真ではわかりませんが、実際にはCDを流してそれにあわせて歌っています)
15年前の自分から痛烈な攻撃でした。
すっかり記憶から抜け落ちていたとは言え、これはまず謝罪をさせてください。
降谷健志さん本当にすみません。あの頃大好きだっただけなんです。
本当に思うんですが、あの頃youtubeが普及してなくてよかった。
あの頃の僕の勢いなら確実にこれをアップしていたはずです。
形を変えて今アップしてるようなもんですが、これが何の加工もされず現物ママで全世界に発信されていたかと思うとちょっと本気でしばらく引きこもりそうです。
というかなぜこのテープのタイトル「一人コント」なの?
今見るとコントで間違いないけど、当時の僕はどう見ても本気っぽいし。
ちなみに本編(?)というべき「千葉男4人旅」は特筆すべき内容のない普通の旅行のビデオでしたが、一点だけ貴重な映像資料として
トゥナイト2が映っていました。
さて、続いて「一人芝居」のテープを確認します。
何やら携帯電話で指示を受け焦る男。アップ多用する演出にはまっていたらしい。
めちゃめちゃ気持ち悪い笑顔でこちらに語りかけて来る。
なぜか上履きの前で笑顔。
なんかショッカーの怪人のフィギュアが語りかけてきて会話をする男。
突然ギターを持って歌いだす。
当時持っていた携帯電話の画面がアップで映し出される。
(IDOの文字が15年の時の重みを感じさせます)
緑色のフィルターをかけた野心的な映像。
何これ?
そこに映っているのは自分なのに、全く知らない心の病気の人のビデオを見せられているようで、恐怖すら感じました。
デビッド・リンチとか寺山修司とかその辺りを当時認識して意識してたのか…ちょっと定かではないです。
これ以上見てると本当に怖くなりそうだったので、テープはまたもとの箱に戻してまた収納ボックスの奥深くにしまい込みました。
これだから片付けが進まないんです。
時の旅人
どうも、hanadekameganetです。
画像はちょっと前のものですが、あまりに妻が私の部屋着がひどいというもので
「部屋着ってそもそも人に見せるものじゃないでしょ。いいじゃん別に」
と言っていたら写真を撮られまして、見せられたときの画像です。
これを見まして、ちょっと客観的に自分を見直そうと考えた、いいきっかけになった一枚です。
さて、今日は実家の母親から
「たまには◯◯ちゃん(妻の名前)に一人でお買い物でも行かせてあげたら?」
と提案があり、子供を連れて実家に行ってきました。
午前11時頃に家を出てクルマで30分ほど走ればもう実家です。
実家から離れた必要があるのかと100人が100人問いたくなるような場所で僕は元気に暮らしています。
真夏日ということもあり、外に出て長男を全裸にし、水責めにするという荒行もこなしました。
男子たるもの、そして我が家の後継者としてはこの程度のことで動じてもらっては困る訳です。
心を鬼にして息子に冷たい水を浴びせ続けました。
計らずもケツの蒙古斑を見つける形に。
長男も相当喜んでおりましたので、なかなか見込みがあるなと感じました。
ちなみに奥に見えるのはノッポさんでもデビュー当時のスガシカオでもなく、僕の母です。
【参考資料】デビュー当時のスガシカオ
そして、帰りがけにその母から3枚のDVDを手渡されました。
テプラで表面に貼られたラベルには僕と3歳上の姉の名前が。
どうやら、僕と姉が小さかった頃、父親が記録映像としてホームビデオで撮っていたものをDVDにダビングしたようです。
正直なところ、撮られた本人ですら見たくないと思うほど興味がない代物でしたので、世の中で俗に言う
「他人の子供の運動会のビデオほどクソつまらないものはない」説は恐らく本物でしょう。
とはいえ、両親からしてみれば大人になったとは言え僕らも子供は子供。
やはり何らかの形で成長の記録を残しておきたかったのでしょう。
家に帰り、見てみることにしました。
映し出されたのは実に24年前の世界。
世界というのは本当に時を刻んでいるものです。
顔の判別を付けることすら難しい粒子の荒い向こう側にかろうじてそれとわかる僕たち家族の姿が。
どうやらこれは僕の通っていた幼稚園のお遊戯会という発表会の様子を撮影したもののようです。
突然画面の前に奇声とともに現れ残像を残す5歳の僕。
絶対に大成しないであろうことが5歳の段階で確約されているのが見て取れます。
母親もさすがに若い。
次に映し出されたのは日本刀を高々と掲げる僕の姿です。
激しい切り合いが続きます。
やーっ
探し物中
そして静かに幕は降りて行きました。
次に映し出された僕はド派手な赤い衣装を纏っていました。
最初に見た時はこういう衣装で女の子が接客する居酒屋なかったっけということでしたが、どうも僕らは「ちびっ子忍者」というものに扮しているようです。
忍者がどうして赤と白というめでたい色合いなのかはさておき、日本刀の次に忍者とはなかなかに和風でまとめたチョイスです。
やーっ
お遊戯会はさらに続きます。
そろそろお気づきかと思いますがこんな感じで延々続いて行くようでして
この時点で開始から四時間近く経過しているようです。
自分の子供が出てても帰るたくなる人もいるんじゃないかと心配になります。
ここまできてようやく今までのはほんの肩ならし程度だとばかりに劇が始まります。
紹介していませんが、この前に楽器の演奏と合唱もしてます。盛り過ぎ。
そして始まった「金のがちょう」
僕は何の役立ったかというと…
兵隊であります。
やーっ
日本刀を掲げる少年剣士、忍者、そして兵士…
幼少期の僕にはなかなかに刺激の強いラインナップですが、画面の中の彼はあくまで愚直に己の役割をこなしています。
メインキャストのお姫様のすぐ後ろでベストポジションを抑える僕。
そのとき、画面が急に暗転しました。
ん?
何だ…
「これは、お母さんからあなたへのメッセージです」
か、母さん…
こちらからは以上です。
【おまけ】
息子バージョン
omoide
この間久しぶりに地元のショッピングモールに行ったら、
15周年ということでしたが、
15年で土地の契約が切れるので、取り壊しになるそうです。
で、最後だからじゃあ華々しく盛大にさよならセールとか、
全体を上げて取り組んでるのかなと思いきや
テナントはボコボコ空き始めてがらんとした内装むき出しの店舗がごろごろしてるし
営業中の店も特にやめるからといって平常営業だし
もうすぐ終わるからか催事も子供向けのやけくそみたいなしょぼいのばっかりだし
なんかもう全体的に「終焉」という文字がそこかしこから立ち上っているような
異様な光景でした。
二階の全体を見渡せるスペースに、
よく東京タワーとかにある展望鏡?みたいなものがあったので、
恥ずかしながら「もう今日でここに来るのも最後かもしれない」と覗き込んでみました。
遠くが見えると思うじゃないですか。
すぐそこの光景が上下逆さまに写っていました。
何これ?
ねえ、これ何?
逆さまレンズの入ったトリックカメラみたいな、
なんか大昔の学研の自由研究の本に載ってたみたいな装置が
なぜはっきり落ち目とは言え、不特定多数の人が訪れる、一時はそれなりの集客だってあったであろう娯楽施設のど真ん中に、こんなに目立つ形で置かれてるの?
よくよく見てみると、その装置は奇麗にペイントされてはいますが、外側はなぜかベニヤみたいな木材で作られていましたし、
見る場所を示す矢印もいい感じの手書きでした。
最悪これは近所の人のいい発明おじさんが勝手に置いてった可能性すら否めません。
というかきっとそうなんでしょう。バス停に置いてある善意の椅子みたいなものだと思います。
僕が中学生のときにこの施設は出来たので、
自分自身にとっては青春と言いますか、いろいろと思春期の想い出とともに
歩んできた場所なので、ちょっとばかり郷愁のようなものも感じていたのですが、
この「さかさま望遠鏡」の存在にすっかり
「もう、終わったんや…」
と心地よい諦めがつきました。
その時の心境を強いて言うのならば、きっと名探偵にトリックを全て解き明かされ、
観念して動機をあらかた話し終えた後、警察に両脇を抱えながら出口に向かう途中で振り返り
「探偵さん、僕が怪しいっていつから思ってたんです?」
と聞く時の心境を思い浮かべて頂けますと、ほぼ間違いないかと思います。
爽快感のある諦めでした。
とはいえ、
「ああ、ここにチャリンコで来て本屋で立ち読みするの好きだったなあ」
「ここのミスドでスケジュールン欲しさにドーナッツ買ってくれってせがんだなあ」
と、どうしようもないながらも捨てがたい、奇麗な柄の包装紙みたいな想い出たちを
たくさん僕にくれたのも事実です。
ありがとう、そしてさようなら。
跡地にはマンションが建つそうです。
そのマンションに住み住人たちには、きっとこの地に根付く僕の青春時代の怨念が災いをもたらすことになると思いますので、ぜひ今のうちに手厚い地鎮祭を初めて頂きたいと思います。
sabutaitoru
サブタイトルが好きです。
小学生の頃、僕は特撮ヒーローものが好きで、よく当時ケイブンシャという出版社から出ていた
「スーパーヒーロー大百科」とか
「戦隊ヒーロー大百科」とか
「世界の超常現象100」とか
そういう類いの小さくて分厚い、粗悪な紙質の本を貪るように読み込んでいまして
(こういうの)
そういうのって後ろの方のページに放送時のサブタイトルリストっていうのが載っていたんですね。
番組ごとに色があって実に味わい深い。
第一話はみんな気合い入ってますからかっこいいタイトルが多い。
ちなみに僕がパッと出る一番かっこいい第一話は電子戦隊デンジマンの第一話
「超要塞へ急行せよ」
です。
もう「要塞」だけでも日常会話でまず使わずに死んで行く人が99%と思われるのに超まで付けて、その上「急行」させるのに「せよ」です。
「◯◯せよ」って今時クイズバラエティみたいなので指令カードに書かれている内容くらいでしか見たことないです。ただ、抗えないかっこよさがありませんか。
アツいオープニングテーマで今もファンが多い「宇宙刑事ギャバン」の第一話が
「東京地底の怪要塞」
この頃、特撮界に要塞ブームが来てたんでしょうか。
あと、全体的にかっこいいのが多いのが「ウルトラセブン」
第一話は
「姿なき挑戦者」
これから始まる、来るべき侵略者との戦闘の予兆みたいなものが静かに漂っていて最高にイカすタイトルですね。
で、1クール終わる頃には大体方向性が迷走するのか、少し2クール目からへんてこなタイトルが増える番組もあります。
一番びっくりしたのは僕が小4の時に放送していた日曜朝8時枠の「ブルースワット」という番組で、これは従来のメタルヒーローシリーズからの脱却を計ったのか、割合ハードな世界観で1クール目が構成されていて、当時高学年になりつつあった僕のハートを見事にわしづかんでいたのですが、やはりそれまでの視聴者を振り切ってしまっていたからか、2クール目から調整するようにタイトルが変わって行きました。
この辺は昔宝島社から出ていた「怪獣VOW」でもいじられてましたが、やはり避けては通れません。
第一話は
「ビギニング!」
英語です(カタカナですけど)
当時小学生の私は意味もわからず「ビギニング!」と脳裏に焼き付けておりました。
第4話の「ゲッタウェイ!」とかは今見るとやや恥ずかしいところも無くはないですが。
そのあともハード路線は続き
第10話「ザ・ミッション」
第11話「イエスタデイ…」
第12話「グッドバイ…」
とかっこいいタイトルが続きます。
まるで1クールで終わる勢い。熱量。飛ばしています。
第13話「デス・トラップ」
何やら波乱を感じさせる2クールめの幕開けかと思いきや!
第14話「極悪スター誕生」
!?
第17話「ズッコケ新隊員」
!!??
第21話「突撃爺ちゃん魂」
もうだめだ。引き返せない。
結局こんな感じで一年続き、ハードSF「ブルースワット」は二度と帰ってきませんでした。
ちなみに最終回というのも第一話と同じくらい気合いが入る為か、何となくかっこいいタイトルが多いです。
最後という立ち位置からか、どことなく希望のようなものを感じさせるタイトルが多いです。前述のデンジマンの最終回は
「響け希望の鐘よ」
ですからね。第一話も最終回もかっこいい。かっこいいぜデンジマン!
第20話に「ゴリラ少年大暴れ」とかありますけどね。
古いところで「レインボーマン」とかは
「虹に翔ける愛の戦士」
戦いに疲れ果て、輝く一線の虹となった一人の男の姿が、目に浮かびます。美しいタイトルです。
「はばたけ!鳥人よ」
とオープンエンディングな雰囲気。
まあ、ヒーローがひったくりに刺されて生死不明、というかなり衝撃的な最終回でしたが…
全然子供向けじゃない特撮ジェットマン - NAVER まとめ
サブタイトルだけ考えて架空のヒーローものを全51話分つくりたいです。
一応第45話あたりだけ考えてあります。
「俺の…兄!?」
想像力がかき立てられませんか。
papa
父親の呼び方というのは、いつから固定されるのでしょうか。
僕の場合、物心ついたときには「お父さん」で、その前に父親のことを何と呼んでいたのか記憶がありません。
実際自分が父親になってみると息子は私のことを「あーちゃん」と呼ぶようになりまして(そう呼ぶよう言った覚えはないのですが)母親は「ママ」と呼んでいます。
このまま彼がいくつになるまで僕が「あーちゃん」なのかは不明ですが、少なくとも「パパ」ではないわけです。
逆に私の母は自分の母親、つまり僕の祖母のことを「ママ」と呼んでいて、今年六十になるわけですが未だに「ママ」です。
私の父親は自分の母親のことを僕の前では「お袋」なんて言ってましたがいざ当人の前に立つと「お母さん」と呼んでました。
親の呼び方というのはなんだか不思議というか、面倒くさいものだなあと思うのです。
そういえば中学時代の友人で自分の母親のことを「母上と呼んでいる」と言っていた人がいるのですが、彼は今でも元気で暮らしているのでしょうか。
その後彼の消息が不明な為確かめる術はありませんが、彼が母親のことを大事に思っていることは確かだと思います。
僕の父親は下町の親父、という一言に集約されているわかりやすい人間でして、思春期の頃は恥ずかしいなあなんてこともよくあったんですが、二十歳を超えたあたりから「あれ、この人もしかして面白い?」ということに気がついてからはいっきに仲良くなれた、という感じです。
要するに、僕が父親に「父親らしさ」を求めすぎてたんだと思います。
父親はいい意味でも悪い意味でも「父親らしくない」人で、そこに気づけない頃は「この人はなんでこんなに頼りないんだろう」なんて思ってたんですが、今考えると父親は必要以上に「父親らしく」することが嫌いというか、苦手な人だったのです。
だからきちんと父親としての役割を果たしているのに、そうした「父親アピール」というか「父親プレゼン」が無いため、「父とはこうあるべき」というのを友人の父親などを見て感じていた思春期の僕は自分の父親の「父親らしさ」を感じることが出来ずに、多少幻滅してしまっていたのでしょう。
大学に入っていろんな人と知り合ったり、価値観を知ったりするとだいぶガチガチな頭がほぐれてきて、自分の考え方の方が間違っていたんだと気がついたわけです。
その時から私の中で父親は「お父さん」から「ようちゃん」という一人の友達のような存在になりました。
父親と友達のような関係、というのがいいのかどうかは別として、今僕と父親はとても話しやすい関係性を築けているように思います。
今日も突然電話がかかってきたので何かと思ったら
「車貸してくんない?」
というラフな申し出でした。もちろん了解して貸したのですが、返しに来たときに電話をかけてきて
「今、おまえの家の前にいるよ」
と言われた時は一瞬「あれ、これ怖い話?」と錯覚しましたが、ガソリン代をわざわざ渡しに来てくれていました。
僕の中では父親の姿というのがだいぶ前のままで止まっているのですが、会うたびに少しずつ少しずつ年老いて行くのをここのところ感じたりして、それはほんのちょっと複雑な気持ちです。
でも、老いることは悪いことではないですし、過去の父親が通り過ぎてきた季節を、これから僕も通って行くのだと思うと、その入り口に今僕らは立っているのだと感じたりもします。
いくつかの季節の中で、僕と僕の息子の中にも通りすぎる春や、冬があるのでしょう。
長い冬が来ることだってあるでしょうが、いつか雪解けが来ると知っている僕は、それを恐れてはいけないと静かに思うのです。