僕の笑い方という話
こんにちは、hanadekameganetです。
人には個性というものがありまして、100人いたら100人がもちろんそれぞれ違いますし
考え方から性格から感じ方から、とにかく生きていく上で必要となること全ては異なっていて
むしろそれらが同じになるということの方が不思議なくらいです。
考え方で似ているところがある人でも、違うところはもちろんありますし、それを少しづつ受け入れていくことで人は相互に認め合ったり仲良くなったりしていきます。
違うことはおかしなことではないですし、それ自体恥ずかしいことではない、と自分でもわかっています。
わかっているんですがやっぱり気になることというのもありまして、僕の場合それは「笑い方」です。
自分自身の笑い方というものにネガティブな感情を持っている、という人がどれくらいいるのかはわかりません。
正直なところ「気にしたこともない」という人の方が多いと思います。
実際面白くて笑っているとき、「笑うこと」で忙しいわけですから「あ、今の自分の笑い方ってこんな感じなんだ」なんて思っている人の方が不思議なのかもしれません。
僕も長いことそれほど自分の笑い方について特に何も感じたことはありませんでした。
というのは笑うこと自体があまりない人間だったからです。
僕は子供のころ「面白くないの?」とか「つまらないの?」とかよく聞かれました。
それは決して僕がひねくれた子供だったとかというわけではなく(いや、それもあるな)
面白いと思っても声を出して笑う、という笑い方ではななかったからです。
すごく面白くて頭の中で「すごい面白い!」と思っていても表面的には顔がニヤニヤしている程度、という感じだったと思います。
それなりにそのことを悩んだこともありましたが
でも自分が面白いと思ったことを友達に話したりすると友達には笑ってもらえたり、「面白い」と言ってもらえたりしていたので
きっと自分が面白いと感じること自体はそれほど間違ってないけど、アウトプットの仕方が多少鈍いんだろう、と思う程度でした。
ある程度大きくなっていくと、「笑い方」はコミュニケーションの一つの手段として、人間関係の中で大事になっていきます。
多くの場合は思春期だと思うのですが、僕はそこでまず躓きました。
つまり、それまでのように自分が笑わなくても、面白いと思ってもらえることをしゃべれば問題はない、と。
ですが往々にして思春期の少年少女にとっては明快さ、快活さが人気や魅力につながりがち。
無表情で笑顔の少ない陰気で内気なタイプはスクールカーストの中でゆるやかに不動の底辺の位置を確保するようになり
やがて「逆にすごいよね」という立ち位置を確立していくことになるのですが、
それは中学の最後のあたりからです。
(以前書きましたが、僕は「あいつはとにかくエロい」という一点のみだけで尊敬を集めるという手法でスクールライフをサバイブしていた人間です)
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悶々とした気持ちを抱えたまま「明るくなりたい」「もっとなんでもかんでも笑えるようになりたい」と思ったものの
現実ではなかなか笑えない毎日が続きました。
別に生活が辛いとかそういうことではなく、ただ純粋に「あはは!」と楽しそうに笑うということができなかったのです。
日常で面白いことがあってもせいぜい「ふふっ」と笑いかけておしまい。
根底には人前で大爆笑する自分の姿を見せたくない、という自意識過剰な理由が多分にあったことは否定できません。
「その程度のことで笑っちゃうの?」とか思われたくない、という過剰な想いがあったのでしょう。
結局そんな「笑い下手」のまま僕は学生時代を過ごしていました。
社会人になってからはある程度「笑い方」を偽装することもできるスキルを身につけられたためにさらに症状は悪化。
正直にいえば、僕はもう「自分が本当に面白いと思ったときどんな風に笑っていたのか」もわからなくなっていたのかもしれません。
ですが、そんなとき大きかったのが妻の存在かもしれません。
面白いと思うものの価値観が近い妻との日常会話は僕にとってなんの制限も感じずにひたすらくだらないことを言い続けられる空間でした。
まだ子供のいなかったころ、会社から帰ると僕と妻はとりとめもないおしゃべりをよくしていました。
今考えると「何をそんなにしゃべることがあったのだろう」と思うほど、とにかく色々喋りました。
その頃仕事も立て込み、精神的にも辛さを感じる時期でしたが、妻との会話がその頃の自分を支えていたのは間違いないと思います。
何がきっかけだったかまでは思い出せませんが、そんな日々の中いつものよう妻とおしゃべりをしていると
妻の何気ない一言が僕の笑いのツボをぎゅーっと押したのか、今までにないくらいの感情が放出されるように僕は大笑いしてしまいました。
その時の笑い方が
「タハーッ」
でした。
ものすごい大きな声で衝撃波のように飛び出したその声はちょうど空いていた窓の外にそのまま飛び出して夜の街に残響していました。
妻はその声にびっくりしてきょとんとしていましたが、しばらくするとまたくすくすると笑い始めて
「今の笑い声、文字になって見えそうだったよ」
と言いました。
今でもあまり誰とでも上手に笑える僕ではありませんが、その時以降自分の笑い方を少し好きになったように思います。