もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

どこもかしこもお年寄り

高齢化社会なので、街ですれちがう人というのはだいたいお年寄りである。

語弊があるかもしれないが、私がテリトリーとしているところがたまたま平均年齢が高いのか、とにかくどこもかしこもご年配なのである。

通っているジム、よく行くコンビニ、スーパー、銀行、書店、喫茶店。
気がつけば周りはお年寄りだらけである。

それが嫌とかそういう次元ではない。
我々だっていつか年を取る。
人生の先輩たちに対して尊敬こそすれ、決してネガティブなイメージを持つことはない。

ない、というのは嘘である。
嫌な奴は若くても年寄りでも嫌な奴だし、いい人は若くても年寄りでもいい人である。

こういう時代なので、結構なお年寄りでも普通に仕事をしている。
コンビニなどでは店員さんに自分の両親くらいの人、だいたい60代後半くらいだろうか、それくらいの年齢の方が入っているのはもはや珍しいことではないし、マクドナルドに先日行ったら志村けんが以前コントでやってた「ひとみ婆さん」みたいな人が制服着て立っていて、マジか、と二度見したがひとみ婆さんはそつなくマニュアル通りの対応をこなし、あっというまに僕をさばいた。全くストレスのない接客で、むしろ時々いる若い、要領の悪い店員よりもよっぽどデキる人だった。

おまけにもしかしたら本当はやってはいけないことなのかもしれないけど、頼んだアイスコーヒーに対して、若い店員さんは絶対に「ミルクとガムシロップはおつけしますか?」と聞くはずなのに(無駄なロスを減らすためなので必要なのだと思う)何も聞かずに一個ずつ付けてくれていた。
たまたまだが僕はそれぞれ1個ずつもらう人間なので、「なぜそれを知っていたのか?」と思ったし(これは偶然として)、いろいろと聞くのがマニュアルと知りながら、最初から黙って必要と思われるものは渡しておく、というのはひとみ婆さんならではの接客術だったのでは?と思ったわけである。
さらに言うと、通常はデフォルトでつけてくれない紙ナプキンも数枚トレイに乗せてくれていた。
なんというか、ここまでひとみ婆さん呼ばわりして申し訳ない。ひとみ、と呼ぶべきだった。ありがとう、ひとみ。

年配の方というのは、対応力というか、マニュアルを超えたところにある接客術を各々の裁量の中で、自らが培った知見をもとに我々に還元してくれる。それは1パート、1バイトという領域を飛び越えたところにある「人と人とのつながり」を時に実感させてくれる。

道路の整備や警備員さんにもご年配の男性が多い。
そして、この警備員さんたちの中にも実に様々な人種がいるものである。

子供と一緒に歩いているといつもニコニコと「こんにちはー」などと声をかけてくれる警備員さんは、だいたい歳の頃が私の子供と同じくらい孫がいるであろうことが推察されるし、反対にきびきびと実直そうに職務を全うしている系の警備員さんも実に信用できる。特に車に乗っている時に駐車場でこうした職務全う系の方に出会うと非常に安心する。

先日運転中に道路脇の地下駐車場から車が出てくるサインが出ており、誘導する警備員のおじさんが出てきた。
そのおじさんの佇まい。
年齢は70代前半といったところだろうか、恰幅のよいボディを制服につつむ、苦み走ったその顔は往年の松方弘樹のそれを思わせた。
ゆうゆうと出てきたそのおじさんは私の方にびしっと人差し指を一本つき立てる。

1? 何?

と思っていると、そのままささっと手を振り、地下から車を送り出すと、契りを交わした兄弟への挨拶かのように首を私の方に向かって下げた。あまりに迫力があったので、こちらも思わず頭を下げ返してしまったほどだ。

車を発進させてから、人差し指を1本突き立てていたのは「1台でますよ」という意味だったんだな、と思い至り、貫禄がある中にも仕事の細やかさを感じさせる警備員さんだった。あの迫力だったら、車を止めるのも便利だろう。

もちろんいい人ばかりではない。
私の妻は妊婦時代、通っていた病院の近くで、ただすれ違っただけのジジイに
「でっけえ腹だなあ!太ってんなー!」
と突然大声で叫ばれたらしい。
通っていた病院は私と妻が生れ育った町にあるのだが、
「まあ、あの町のジジイならあり得るな」
と妻と二人、暗澹たる気分になったものである。

どうせ自分もいずれはジジイになるのだから、その時には好かれるジジイでいたい。
「でっけえ腹だな」ジジイはその反面教師として貴重な人物なのである。