もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

スタンドバイミー

子供がユーチューブで動画を見過ぎている。

楽しんでみちゃう気持ちもわかるし、実際見ててくれると自分もその間だらだらできるという理由も多いのだけど
なんやかんやで結構見せてしまっている。

ここ最近はさすがにちょっと寝ても覚めても「スマホ!」「動画!」と言っているので、少しちゃんと言わなきゃいけないのかな、
ともやもやしていたところ、トミカをストップモーションで撮影した一般の人が作ったカーチェイス風動画を食い入るように見つめていた。
丁寧につくられていて、トミカながらなかなか見ていて惹きつけられるものがあったので、息子に
「すごいねこれ」
と声をかけると
「これで勉強してるの」
と言う。
「動きをよく見て、真似してるの」
と画面から目を離さずに言うのだ。

最近の息子はトミカで街をつくり、そこを大体一台の暴走車(私が担当する)を走らせ、彼が警察や消防、救急から戦車部隊まで出動させて
街中を総動員で追いかけ回す、という設定で毎回遊んでいる。
多分にこうした動画の影響を受けているようで、彼は動画の動きを動画で見て勉強していたらしい。

この出来事に、私は一つの風景を思い出していた。

私が6歳か7歳くらいの頃だったか、今の息子よりは少し年上だったとは思うが、
やはりこうしたストップモーションのクレイアニメにはまったことがあった。
少しずつ動かしては撮影し、動かしては撮影しということを繰り返すと、まるで動いているように見えるのだ、という原理を知った私は
当時最新のビデオカメラを買ったばかりの父親にストップモーションの映像を作りたいとお願いした。

私は油ねんどで人形を何体もつくり、父親にお願いして一コマずつ撮影していった。
簡単なものをやればいいのに、私はどういうわけだか当時テレビの洋画劇場かなにかで見た「スタンドバイミー」を再現しようとした。
今思うと、なぜスタンドバイミーだったのかさっぱりわからないが、名作を見て子供なりに創作意欲を刺激されていたのだろう。
そのアウトプットがクレイアニメだったというところがいささかキテレツではあるが。

そんな気の遠くなる作業によく父親も付き合ってくれたものだ。
とにかく見たままを再現しようとしていたので、どれくらいの長さになるか見当もつかなかったが、とにかく少しずつ撮影してはとめ、撮影してはとめを繰り返した。

ところが、どれくらいの長さを撮影すればいいか、ねんどをどれくらいずつ動かせばいいか、そんなことを素人の子供が知るはずもなく、
もちろんただの靴屋に過ぎなかった父親にもそんなことわかりはしない。
しばらく撮影してみてから父親に今まで撮影したものを見せてもらうと、そこには汚らしい油ねんどのかたまりが数秒写っては形を変え、また数秒写っては形を変え、というなんとも不気味な映像が展開していた。お世辞にも動いているようにも見えなかったし、単色の油ねんどが水色のねんど板の上でのたうちまわっているだけの様子では、とてもスタンドバイミーをやっているとはわからなかった。

それでもなんとかして形にしたかった私はカメラアングルにまでこだわりだし、もっと近づけて撮って欲しいと父親にお願いした。
ねんど板ごとカメラの前にねんどを近づけると父親は「なんだよきたねえな」と言った。
買ったばかりの当時としてはかなり高額なビデオカメラのレンズにねんどが付いてしまうと思って、咄嗟に出た言葉だったのだろう。
今自分があの時の父親の立場に立ってみると、息子の遊びに付き合わされ、いつ終わるともわからないような作業にずっと付き合わされている中で
何気なく出た言葉なのだろうと理解出来る。

ただ、25年以上経過しているにもかかわらず、私はこの言葉を覚えている。
それくらいショックを受けた。自分が一生懸命作ろうとしているものに対して、一言で否定された気がして、私はその場でやる気を失ってしまった。

ユーチューブでストップモーションのトミカを食い入るように見る息子と、当時の自分が重なった。
私は息子にトミカを撮影してみないか、と提案した。
ストップモーションは技術も体力もいるが、iphoneのスローモーション動画の撮影機能を使うだけでも結構面白いのではないかと思いついたからだ。

アイロン台の上に何台もトミカを並べて、下にiphoneをセットする。
録画ボタンを押し、息子に「ゆっくり傾けてごらん」と言うと、レンズ部分に向けて大量のトミカがざらざらと落ちてきた。
息子と一緒に撮ったものを見てみると、画面いっぱいにこちらへ向かってくるトミカがゆっくりと覆いかぶさるように落ちてくる映像が撮れていた。
スローモーションがトミカに重厚感を出していて、それだけでも十分迫力のある映像になっていた。
息子はそんな映像が自分の手で作れたことに興奮し、ものすごく喜んだ。

あの頃、スマホがあれば、パソコンがあれば、また私と父のクレイアニメづくりも違っていたのかもしれない。

息子の喜ぶ顔を見て、25年ぶりに私は自分のやりたかったことをできた気がした。