もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

そらのがっこう

上司が異動した。目立った人ではなかったが、静かに部下をサポートしてくれようとする人で、俺はやりやすかったし、有難い存在だった。年齢的には一回り上だったが、子供の年齢は俺とそれほど変わらなかったので、昼飯を食うときには子供の話も時々した。いつだったか二人で商談に出かけた帰りに入った寂れた中華屋でついていたテレビで子供の虐待のニュースが流れていた。五歳の女の子が反省文を強要されていた。暴行され、衰弱し、亡くなった。昼間明るい陽射しが差し込む、常連らしきジジイが眠りそうになりながら麻婆豆腐を食っているような中華屋で、そのニュースだけが白白と流れていた。現実と繋ぎ止める唯一の窓は今時どうやって映っているのか怪しいような油にまみれたアイワの20インチのブラウン管のテレビだった。上司はしばらく黙り込むと水を運んできたカタコトの女に言ってチャンネルを変えさせた。「あの話、聞きたくないんだ」と言った。俺は親にも教師にも周りの大人たちにも裏切られ絶望した中で死んでいった子供たちの魂が、どうか笑顔でいられる場所にたどり着きますようにと願った。空の上には生まれてすぐに命を落とした子供たちの魂が集まる学校があって、そこではきちんと子供たち一人一人と向き合ってくれる教師がいて、友達と楽しく遊び、そして家に帰ると優しく笑顔の両親がいて、彼等は安心感に包まれて眠りにつく。そんな当たり前の毎日を過ごせる場所がある。そらのがっこう、そんな場所がありますように、と願った。上司は土曜日子供のサッカーの練習の付き合いでここ何年も自分が休めるのは日曜日だけなんだよ、と愚痴ったが少しも気にしている様子はなかった。俺は空の上にはサッカーチームもあればいいなと思った。

オールフリー

オールフリーを飲んでいる。肝臓の調子がまた悪いからだ。こんな書き方をすると酒好きでさぞ飲んでいたんだろう、アル中一歩手前かと思われるかも知れないが、俺は毎日ストゼロを一本飲んで寝ると言うか慎ましやかな暮らしを半年ほど続けただけである。俺の肝臓が弱いだけなのか、ストゼロの破壊力が凄まじいのかはわからない。ストゼロの悪口は言わないでやってください。アレが規制されたら俺たち生きていけないんです。と言うわけで俺の夜の相棒はオールフリーになった。こいつはアルコールどころかカロリーも糖質もプリン体もゼロ。すっからかんだ。こんだけゼロって何が入ってんの?正直飲みながら俺は一体今何を飲んでんだ?と不思議な気分になる。飲んだことがなかったことになる飲み物。それがオールフリー。飲んだ時間もなかったことになりそうで、俺は飲んでも飲む前の時間に戻った気がしてならない。今君と過ごした時間もなくなってしまうの?

ドントルックバックインアンガー

身体の不調が増えてきたのでサボっていたジムにまた行くようにし始めた。身も蓋も無い話だが、身体が老化し、運動不足でいると人の身体はあっけなく退化していく。身体の不調は精神の乱れ、崩れを引き起こす。病は気からと俺は体調を崩すたびに思う。誰とも喋らずに黙々と運動を出来る環境はありがたい。そんな場所でも複数人で来て喋りながら利用している人やフロントのインストラクター(なのかも怪しい多分受付と清掃をメインの仕事としているアルバイトらしき若い女)と親しげに大声で会話する男などもいる。それが楽しみでこの人たちは来てるんだろうが、24時間ジムでほとんどの客は一人で黙々とやってるわけなので、その辺は察して欲しい。少し前から自分にはアンガーマネジメントが必要なのだろうということには気がついていた。常に怒りの感情が中心にあり、ある程度その感情が原動力になっていることも自覚があるが、それは非常に不健全で疲労感も強く、何よりふと凄まじい自己嫌悪や罪悪感に襲われるので、心の内側をすり減らしているという思いが大きい。物理的にも、精神的にもいいことは無い。時々俺から見て何もかも手に入れている人とつながりを持たなければいけない、という機会がある。その度に俺は怒りの感情で相手と接する。怒りが新しい何かを生み出すこともある。多くの場合それは若者の正しい怒りだ。中年の歪んだ怒りは精神と身体の不調を引き起こす。怒りが美しいものであった人生の大切な時期を、俺はずっと前にもう失ってしまっている。

さかあがり

陽が長くなってきたので娘と夕方18時過ぎに近所の公園に行ってみた。がらんとした公園で娘は普段は小学生に占領されて思うように遊べない遊具で思う存分遊ぶことができた様子だったので、非常に助かった。砂場にはジャージ姿の高校生くらいの男子二人がおり、彼等は実に真面目に砂遊びをしていた。ぽつぽつと二人で会話を交わしながらシャベルを使って砂を掘り返したり積み上げたりと、真面目に砂遊びをしているのである。彼等の中にまだほんの少しある少年性みたいなものがそうさせていたのかもしれない。娘が鉄棒をやりたいと言い出し、俺は逆上がりの練習でもするか、と言った。何度やっても足が上がらないので、腰を抑えて持ち上げるようにしてやると身体がくるりと反転できるようになった。もう一度、と繰り返す娘を何度も持ち上げる。娘の身体がくるりと回る。顔にぽつりと雨粒が落ち、帰ろうと俺は言う。 不満顔の娘を抱き上げる。俺はこういう瞬間をいつか忘れてしまう。

ミラノサンドB

同じ年齢の男と比べるとほんの少しだけ病院に行く機会が多い。身体のあちこちの不調が多く怪我や病気などをよくしている。産まれながらに障害を抱えていて、とかではないので俺程度の人間がこのことをどうこう言うのは本当に憚られるのだけど、それでもやっぱり、ああ、なんでだろうなと思う。今日も先月から続くみぞおちから背中にかけての鈍痛がおさまるどころかどんどん酷くなって耐えきれなくなってきたので午前半休を取って近所の病院に行った。子供の頃から通っていた内科の人の良さそうな院長はまだまだ元気で、ついてない俺にとってはそれだけでもついてる出来事だった。待たされる時間が長い分説明も聞き取りもしっかりした診察で、会社の近くの会社員の昼休み中の診察に慣れ切った都会のビルの中のサラリーマン医者と精密検査でしか訪れないような大病院のどちらかでしか診察を長いこと受けていなかった俺からすると、それだけで少し痛みや不安が和らぐ気持ちがあり、医療と言うのは結局のところ誰に診てもらうかに尽きるんじゃないかとさえ思った。もちろん小さな診療所なので大掛かりな検査機器もなく、今やれる限りのことでわかる診断を下してくれた。血液を取り、結果が出る来週に再度行くことになった。病院帰りの俺は必ずドトールに行ってミラノサンドを食う。去年肝臓の数値で健康診断に引っかかって精密検査を受けた時も検査を受けた病院の一階に入っていたドトールミラノサンドを食べた。検査を受けた日に食べたミラノサンドと異常なしと結果が出た日に食べたミラノサンド。今日はまだ結果がわからない状態で食べるミラノサンド。地元のドトールではyoutuberみたいな見た目の若い男の子がカウンターの中で薄いポリエチレン手袋をはめて黙々とミラノサンドを作っていた。見た目に反して中身の具もパンもしっかり整った出来上がりで、当たりのバイトだったなラッキーと思った。ぐちゃぐちゃでスカスカのミラノサンドを出してくるバイトもいて、ドトールって調理マニュアル廃止して各店の裁量に任せてるんじゃないかと一時期本気で思っていた。午前中のドトールは年寄りばかりで、俺の目の前の老人カップルはどうやら夫婦では無いらしい。女の方が男に向かって「都立落ちやがった。バカだから」と孫のことをボロクソに言っていた。世の中は残酷だ。俺たちはいつだって一人で生きていかなければいけない。俺も。君も。

俺だって「ごめん、ぼうっとしてた」と言いたい。

ぼうっとしている人への憧れがずっとある。動じない人というのだろうか。本人がどう思っているか、どう感じているのか本当のところはわからないにしても、「あの話、聞いてた?」と確認すると「ぼんやりしていた」「聞いていなかった」「まあいいやと思ってた」などとあとから言える人たちだ。こういう人たちは概して常に眠そうであり、場合によっては本当に寝たりする。焦らないし、怒らない。俺は心配性で小心者なので常に緊張状態で日々を過ごしており、人の話を聞いていない、ということは怖くて出来ないし、まして聞いているふりをしいてぼんやりしているなどという器用な芸当は不可能だ。そんなことをするくらいなら初めから話を聞かないようにする。病院に行かなければいけないんです、と嘘をついてでもその場を離れる。どちらの方がより誠実であるかもはやわからない。高校で授業中に当てられているのに答えている途中で急に黙ったと思ったら寝ていた、という女の子がいて今から思うと相当な萌えポイントなのだが当時の生真面目な俺は「寝るなら家に帰ってから寝てろッ」と本気で憤っていた。可哀相。カアイソウ。コンナコトヲシタノハトミダノ股ワレダトオモイマス。常に考えなくてもいいことまで考えてしまうので何も考えないでぼんやりしていたい。ぼんやりしていても焦らない度量の大きさが欲しい、という方が正確かも知れない。ということをぼんやり考えられたらいいのだが、正直ゴリゴリに悩んで考えて書いた。

だからなんなんだよ。あんたはただのおっさんだろ。

いつからおまえはそんなに偉くなったんだ、という態度で突然接して来る人がいるが、寂しいんだと思う、と言ったらおまえはいつからそんなに偉くなったんだ、と言われた。家のすぐそばの焼鳥屋の前で土木作業員風のおっさんが「俺は酔っ払ってねえんだよ!」と大きな声で怒鳴っていたが、目の前で焼鳥を黙々と焼き続ける兄ちゃんも、すぐそばを歩くショッピングカートを押してる後期高齢者も、制服姿でラケットを持った女子中学生も、誰もおっさんが見えないかのように平然とその脇を通り過ぎていた。もし万が一、この瞬間おっさんが肩に下げた土埃で白く汚れたナイロン製のボストンバッグから刃渡り30センチの包丁を取り出して手当たり次第に通行人を刺し始めても抵抗できる人間はいないだろう。俺の街の商店街にはセキュリテイとか防犯とか安心なまちづくりなどと言った概念は無い。だから実家のすぐ隣のマンションで強盗殺人が起きても犯人が捕まったんだか捕まらなかったんだかわからないまま皆忘れてしまった。凶悪犯はすぐ側にいたかも知れない。おっさんの脇を通り過ぎる瞬間、俺はおっさんの顔をしっかり見た。俺にはあんたが見えてるぜ。そう目と目で意思の疏通を図ろうと思った。おっさんの目はどこか寂しそうで、誰かに何かを伝えたそうにしていた、ということは一切無く、脂ぎって日に焼けた顔の中で黄色く濁った目は血走っており目の下にはどす黒いクマが出来ていた。半開きの口の中にはガタガタの歯。口の端には溜まった唾。これで酔っ払ってなかったらただのやべー奴じゃん。俺はすぐに目を逸らしてさっさとおっさんの横を通り過ぎた。ただのやべーおっさんだった。怖。

輝き 無駄の中に。

今村夏子の新しい作品が出ていることをTwitterで知ったのでKindleで買った。というかまた芥川賞の候補になっていると言うニュースで知ったくらいなので、好きと言うのが憚られる程度のファン具合なのだが。とは言え、好きな作家の作品を読むと言うのは読書に対する情熱が失われつつある中でも胸を動かしてくれる数少ない体験だと思う。Kindleで買ったのは少しでも家に本を増やさない為でそれはそれで合理的だがなんというか情緒が全くないなと思った。本が好きで本屋が好きだが三月に引っ越して来た実家の周辺には本屋が一軒もない。全て潰れてしまった。俺が子供の頃は家の目の前、商店街の角、小学校の前、国道沿いと少なくとも歩いて10分圏内に四軒あって、はしごしては少ない小遣いで立ち読みで粘って選んだ文庫本を買うのが好きだった。作品を一つ読み終わるたびに親指と人差し指でつまんだページを意味もなく何度か掴み直して紙の質感を確かめたり開いたページを顔の近くに持って行ってにおいを嗅いだり読書は俺にとって視覚情報だけでなく触覚や嗅覚も重要な体験の一つだったんだなと思う。Kindleは気軽で便利で優秀だが、無駄がなくてつまらない。そもそも読書なんて無駄なものなのに。一編読み終わるごとに俺の指先がやり場を見失ってそわそわしているのがわかる。隣の席の肩幅のやけに広いスーツの男はiPadでわざわざソシャゲをやり込んでいて、こいつよりはマシな無駄かも知れないなと思った。

恥ずかしいね、それでマウント取ってるつもり?

サイゼリヤでマニュアルに縛られない年配の女性従業員と常連らしい杖をついた後期高齢者のやりとりを見た。従業員はまずごめんねえ待たせちゃってえ、大変だったねえ、とまるで子供にでも話すかのような口調で語りかけ、天気の話題から身体の具合にスムーズに話題を移し、いつものメニューでいいか確認してから今日は混んでいるから少し時間かかるよ、と伝えていた。今の日本が凝縮されてるような光景で、俺は本場の味イタリアンコーヒーをあなたに、と書かれているドリップマシンでアメリカンと書かれたボタンを押して出てきた薄いのに苦いコーヒーを読みながらドープ、と呟いた。ランチメニューの鶏肉の甘酢あんかけは熱すぎて唇に貼り付いた鶏の皮で火傷をした。外に出ると佐川急便の制服を着た二人組を見かけた。一人は明るい髪色の若い女性でもう一人は黒い髪のメガネをかけた真面目そうな若い男性。やりとりから、女性が先輩であり仕事を教えながら一緒に配達をしているところのようだった。女性が点滅し始めた信号を指差して「あの信号を渡るんだっ」と走り始めそれに倣うように男性も走り出した。その全てが生命力に満ち溢れていて彼らが走り去った後には光り輝く粒子が舞っているようで俺は目眩がしそうだった。室内で陰気な顔をして一日中パソコンをかちゃかちゃ叩いている俺よりよっぽど「労働」をしている、と言う気がして何だか恥ずかしくなって下を向いて横を通り過ぎた。街は昼下がりの強い日差しに突き刺され、白く発光する歩道に誰の視線も通り過ぎるはずの俺の身体が濃い影を落とした。

わかめと納豆。

妻がパンが好きで自転車に乗って電車だと何度か乗り換えをしなければいけない町のパン屋まで買いに行って来たと言う。一斤買った6枚切りのパンがすでに二枚だけになっていた。チーズと生ハムを挟んで食べた。子供たちも欲しがったので途中で分けた。朝食は昔必ずごはんだった。父が米派だったからそれにならっていたがしっかりと朝から食べないと気持ちが悪く、成人して社会人になってもそうしていた。30になる前に体型を気にして一日二食にして運動をしたら半年で15キロ痩せて喜んでいたが無理な痩せ方だったので仕事が忙しくなって運動をしなくなったらリバウンドをして見ててくださいあっという間に痩せる前以上の体重に戻った。今も朝食を食べない習慣だけが続いている。父は朝から納豆で米を食っていたが俺は臭くて嫌だなと思っていた。家族は皆納豆が好きで、俺一人どうして納豆が嫌いなのか、今でもわからない。大人になれば慣れるかと思っていたが、我慢できるというレベルにしかならず未だに食べる気にならない。妻は納豆が好きで普通に食卓には納豆を出す。子供は二人とも納豆を食べるようになり、納豆を家族で食べないのが自分だけになった。妻はわかめが大嫌いで我が家でわかめの味噌汁は飲めない。子供はふたりともわかめを普通に食べられる。わかめと納豆は、我が家で俺と妻を分ける指標となっている。