居酒屋のトイレ
俺はいろんな飲み会で行った居酒屋のトイレの記憶とか結構愛してる。
俺は出張で行ったビジネスホテルのクソ狭いユニットバスとか結構あいしてる。
俺は仕方なく適当に入った中華料理屋の適当な接客とチャーハンとか結構あいしてる。
だから結局、俺は人生の中で何も考えずに与えられるように得たものを、そんなに嫌いじゃない。
自分で選択したものばかりが、正解じゃない。
誰かの心に残ると言うこと
会社の先輩が亡くなった。
俺より5歳ほど年上だったからまだ四十半ばくらいだったと思う。
数年闘病し、症状が快方に向かっていると言う噂を聞き始めた矢先だった。
子供が3人いて、末っ子はまだ幼稚園だと聞いた。
会社でお別れの会があり、訪れるとたくさんの社員がいた。
献花をし、簡易的な祭壇の上に置かれた写真に向かって手を合わせる。
ここ数年、テレワークのみで仕事をしていた彼とは画面越しでしか会うことが出来なかった。
年齢の割に童顔で、いつも洒落た着こなしをしていた。髪の毛も長く伸ばした上にゆるいウェーブがかったパーマをかけていて、若い頃はさぞモテたんだろうな、と思わせるような人だった。
見た目に違わずチャラく、いつもすれ違う時には軽い調子で声をかけてくれた。それなのに真面目で細かいところにも気がつく人で、人のことを悪く言うところを見なかった。
そんなことを思い出しながら手を合わせていたら、直接仕事で一緒になったこともないくせに、俺の中に残ったその人とのほんのいくつかの断片的な記憶が一気に蘇り、脳内で瞬くように浮かんできた。鼻が内側から押し出されるようにつんと痛み、押し寄せるように涙腺から涙が溢れそうになる。
こいつ、何で泣いてんだよと思われないように慌てて指で目元を拭う。俺なんか、俺ごときの記憶の共有しかないものが、一丁前に泣いていてはいけないと思った。
総務が用意したパネルには、新入社員だった頃の彼の写真から、無くなる直前の、坊主頭の彼までの写真が時系列で飾られている。
茶髪のロン毛が、落ち着いた髪色とミディアムヘアになり、最後には坊主へと変わっていく。
家族写真に映る彼の顔は、少し痩せたようには見えるもののまだ生気を保っており、今にも「あれ、お前また太ったろ?」と俺の脇腹を掴んで言い出しそうだった。
出口前に奥様がいて、訪れた人たちに挨拶をしてくれていた。俺はこういうとき、どんなふうに話すのがスマートなのか、年齢の割に社会経験がおぼつかないのでわからず、前の人の作法を見ていればいいものの、涙が出ないように目をかっぴらいて抑え込むのに必死なまま、俺の順番になった。
すでに散々悲しみ、全てを受け入れて覚悟した上で明るく挨拶をする奥様に向かって、俺は向き合って立ち止まったまま、しばらく何も言えずに立ち尽くしてしまった。
奥様も俺が誰だかもちろんわからないまま、それでもにこやかに「本日はありがとうございました」と向こうから声をかけてくださった。
俺は声が震えないようになんとか
「たくさん声をかけていただいて、
飲みにもたくさん連れて行っていただきました。
本当にお世話になりました」
と言った。
奥様は「すみません、連れ出してしまって。なんか飲みに行った先で変なこととかたくさん言ってませんでしたか」と笑いながら言う。
ああ、あの人にはこんな素敵な奥様がいたんだな、と思った。だからあの人も、ずっと頑張れたに違いない。ずっと彼を支えた奥様がにこやかに笑う前で、ほんの少し、彼の人生に触れただけの俺は涙を抑えきれずに声を震わせたまま
「本当にありがとうございました」
とだけなんとか言うと、頭を下げてそのまま逃げるように部屋の外に出た。
誰かの心に強く残るには、回数や頻度だけではない。ほんの一瞬でも、数えるほどの会話でも、誰かの心に何かを残すことは出来る。
彼と2人で飲んだ時のことを、そこで話してくれたことを、他の誰も知らなくても、俺はずっと覚えている。
好きな人ばかりどんどんいなくなっていく気がして、俺も本当に辛いけど、あなたの言葉を覚えているから、もう少し頑張ってみます。
本当に、ありがとうございました。
イタリアン
口コミサイトでそこそこ高評価のイタリアンの店に行った。
1人で来てるのは俺だけだったので
カウンターに通されたんだけど、シェフのおっさんが1人で厨房を回しており、ホールはおそらく奥さんと思われるおばさん1人。
で、このシェフのおっさんが独り言をめちゃめちゃ言うのである。
あーあ
ったく
なんだよ
だめだなこりゃ
などなど、まあ、ネガティブなフレーズを次から次へと吐きまくる。
カウンターにいる俺には丸聞こえ。
具体的な何かに対して、と言うわけでない分何について怒っているのか、不満なのかがわからず余計に怖い。
しかもホールの奥さんとも不仲なのか長年の信頼関係のなせる技なのか、奥さんが不機嫌そうにオーダーを伝えては、料理が出来るたびに「上がったよ」と憮然とシェフが伝えるを繰り返す。
こういうのって街中華ではあるあるな光景だけど、イタリアンのお店でもあるんだとなんだか不思議な気持ちになった。
イタリア人見習ってよ。奥さん大事にして陽気に生きなよ。
多分他のお客さんは気にも止めてないと思うが、当方気にしいの小心者なので居心地が悪く、競うように食い終わるとさっさと外に出た。
多分美味しかったんだと思うけど、慌てて食べたので味もあまり覚えていない。
ハンチバック
芥川賞受賞作で久しぶりにすぐ読みたいと思ったので購入して読んだ。
読んでしまった、というか読まされたと言う感じ。
この見てしまった感は岬の兄弟見終わったあとの感覚に似ている。
普段見ないふりしてること、
気が付かないようにしてることを
いやいや、ここにいるから、
それ、あんたが知らないふりしてるだけだから、
と目の前にぶら下げられる感覚。
紙の本読む行為一つとっても視点を変えれば健常者のマチズモだと言い切られると、
他に趣味もないし、これが俺と社会の接点だから見逃して、と言う気分になる。
視野狭窄が進めば俺も障害者側に行く日があるかもしれないし、字が読める、紙の本を読めるということは、今の俺が健常者であることの唯一の証明な気もする。
迷子
子供と出かけたところいつも通り激しい兄妹ケンカとなり、ほとほと嫌になってしまった。
トイレに入って出てきたら長男がおらず、
妹に尋ねてもわからないという。
人出も多く見失ったのだろうと周囲を見るがいない。先に行ってしまったのかと少し先まで行くがいない。
しばらくその場に留まるも見つからず、
近くのお店の人に相談し、保安室を教えてもらう。
保安室に行き放送をしてもらうが、いっこうに現れない。
どうしたものかと思っていた時電話が鳴り、
相手は長男だった。
見失ったので勝手に1人で最寄り駅まで帰っていたようだ。
駅前で待っているように言って帰る。どっと疲れた。ある程度大きくなると自分で帰ることも出来るから迷子になるということ自体は少なくなるかもしれないが、意思の疎通がまだきちんとできないうちは怖いこともある。
スマホを持たせるかどうか、そろそろ考えないといけないのだろうか。
神楽坂その他
◼️神楽坂で初めて飲んだが、なんかスケベな街だなと思った。
うしろに偉そうなおっさんを乗せた品川ナンバーのイカつい外車を何台か見かけた。
税金はこういうところに使われてるんだなと勉強になる。
◼️会社のオフィスは窓際の席が暑くて座り続けられない。職場環境としては最悪だ。
暑さのあまり、最近俺のメンタル安定に多大な影響を与えていた「昼休み2時間取って一駅歩き、飯食った後に公園でセブンのアイスコーヒー飲みながら小説を読む」が全くできていない。
一駅歩く、も公園で小説を読む、も両方できなくて辛い。
◼️満身創痍というか、持病がいくつもあるのだが、定期的な検査で股関節の診察を受けたところ、背中の神経を調べることになり、MRIを撮ったら椎間板が飛び出て背中の神経に触れてる箇所が二箇所もあった。足に力が入りにくいのは股関節脱臼の後遺症ではなくこれかもしれない。
別の日には視野狭窄の定期検査で受けた視野検査で、ここ十年ほど変化がなかったのに、少し進行していることがわかり、再検査することになった。
うちの家系は代々年齢とともに目に障害が出る人間が多く、三つ上の姉もちょうど40になる頃くらいから急激に視野異常が進み、車の運転をやめた。俺の番がきたな、と思った。
時々外の眩しい光に目をしかめる度に、この光を感じられるのはあとどのくらいなんだろうと思うことがある。
漫画のブラックジャックで
駅の売店で働く女が爆弾犯の顔を見てたんだけど、爆発でガラスの破片が目に入って失明してしまうエピソードがあった。
女は犯人の顔を知っているから目を治せと警察が言う。ブラックジャックは手術して一瞬は見えるようになるかもしれないがまたすぐに失明する、そんな残酷なことは出来ないと拒否するが、女はそれでもよい、もう一度だけ見えるようになりたい、と言って手術する。
手術が成功し、女は容疑者の中から犯人を指差し無事事件は解決する。
またすぐに視力は失われていき、だんだん見えなくなる中、女は美しい夕暮れを涙を流して見つめている。
俺の最後の景色は何になるのだろうか。
ベビーカー
地下鉄に乗っていた時、若い両親とベビーカーに乗った赤ん坊の3人家族がいた。
俺は少し離れた場所からそれを見ていた。
父親は、バゲットハットにサングラス、タンクトップに短パンサンダルでスマホをいじっており、まあお世辞にもなかなかまだ父親としての自覚に満ちているようには見えない。
地下鉄が駅に着き、ドアが開く。
ベビーカーはドアに面した場所に置かれていたから、当然出る人も入る人もベビーカーを避けることになる。
ドアが開いてしばらくしてからスマホから目を離した父親は、慌ててベビーカーにかかっているロックを外そうとガチャガチャやりはじめたが、よくわからないのか手間取る。
結局彼は先に降りてしまう。
母親がロックを外しベビーカーを下ろそうとする。
重いのか、段差で手間取る。
その脇を何人もが素通りして出たり入ったりする。
その時、手間取るベビーカーの車輪を、
ホーム側から誰かが持ち上げ、ベビーカーは車内から滑り降りて行った。
そのまま特に気にする風もなく車内に乗り込んできたのは、中東系の外国人男性だった。
何でもないようにそのまま席に座って本を読み始める。
別の駅で
俺が混み合う改札の手前でなかなか列に入らなかったとき、歩みを止めて手でお先にどうぞ、のジェスチャーをして譲ってくれたのも外国人男性だった。
そのときも、今回も
日本人と見られる周囲の客たちは、手伝うそぶりを見せないどころか、
そこにベビーカーがあるということな見えないようにしていた風に見えた。
そして、その間、俺自身も腰を上げることもなく、ただぼんやりとその光景を眺めていた。