もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

新年会

少し遅いが、俺の実家で新年会をやった。

招かれたのは俺の家族と、姉の家族。
それぞれの配偶者と子供が二人ずつなので総勢10名。

わいわいがやがやと大人も子供もそれなりにやかましく、楽しい新年会だった。

寿司屋でビールを飲み、父親がもったいぶってお年玉を孫たちに配る。
続けざまに「お父さんお母さんにもあります!」と鼻の穴を膨らまして言い放ち、こういうことについては特に恥とも思わない俺は頭を下げてしっかりと
「ありがとうございます」と言った上でその「お年玉」と父らしい角ばった字で書かれたポチ袋を頂戴した。

子供達は文字どおり飛んだり跳ねたりして騒ぎまくり、大人たちは2時間もすると静かになった。
後半は惰性のように時間を過ごし、会話もほとんどなくなったところでお開きとなった。

中学生くらいから親族で集まるという行為は、多くの人にとって多かれ少なかれ苦手なものになると思うけど
俺はとにかく苦痛で仕方なかった。

今でもそんなに得意な方では無いけれど、ある程度はそういう空気も楽しめるようになってきて思うのは
家族って結局最終的にはばらばらになっていくものだから、時々集まって自分たちが元は同じ場所で、同じ時間を共有してた、同じ瞬間を生きてた仲間なんだってことを
再認識するために、みんな集まってたんだなってこと。

もちろん法事その他、理由があって集まる事はあっても、それ以外集まる必要って本来的には無いけど、それでも集まりましょうというのは要はそういうことなんだなと。
そして、それをきっと「絆」というのだろうと。
自分も家族を持ってみると、言葉だけでなく実感としてわかるようになった。

姉の夫、俺にとっての義理の兄、そして俺の妻は言ってみれば我が家と血の繋がりのなり人間にはなるので、やはり我が家のノリみたいなものに、多少アウェイ感を感じる
ところがあったと思うのだけれど、家族というのはまさしく「ホーム」なわけで、やや自分たちのノリみたいなものを出し過ぎてしまったなと反省した。

この年齢になると、もう両親に対してはできるだけやさしくしてやりたいという気持ちの方が強くなってくるので、どんどん父親や母親が喜びそうなことを言ってしまう。

結果的に調子に乗りやすい父親を載せ過ぎてしまい、案の定ご機嫌な父親に一同辟易するという失敗もしてしまったが、どうせ数日もすれば楽しかった記憶しか残らない我が家である。