もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

カラオケ

先日、久しぶりに職場の同僚とカラオケ店へ行った。

7月の人事異動で、私の所属する部署にも動きがあった。
別部署へ異動する人と、これから新しく私の部署へやってくる人の歓送迎会が行われ、その二次会という立ち位置だった。

普段であれば二次会にあまり行くタイプではない私だが、転出する人には長らくお世話になっていたこともあり、電車の時間が気になりながらも参加することにした。

カラオケ店はだいぶ混んでいて、来ている人たちも酔客ばかり。
酒と煙草と汗の匂いが入り混じる受付で酔った頭のままなんとか手続きを済ませていると、後ろから別の団体がフロントの女性に
「ねえ、いつまで待たせんの?さっきからずっと待ってんだけど」
と言い始めた。
フロントには若い女性がひとりきりで受付をしながらじゃんじゃんかかっててくる内線電話を取っては応対する、ということを繰り返していて、見ているだけでこちらの胃が痛くなるような現場だった。

そんな状況を見ていて、私は学生時代短い間だけやっていた、自分のカラオケ店
でのバイト体験を思い出した。

 

 

大学1年の夏。
私は人生で初めてのバイトとして、深夜のカラオケ店勤務を選んだ。
今にして思えば、それまでバイト経験さえないのにどうして最初のバイト先にカラオケ店を、それも深夜帯の勤務を選んだのかあまり覚えていないのだが、家から
近かったということと、時給がいいことに惹かれたのだと思う。

面接を受けるとすぐにじゃあまあやってみよう、ということで1週間の試験採用ということになった。
制服は特になかったが、白いワイシャツと黒いズボンで来て欲しい、と言われた。
当時の私は丸坊主に黒縁メガネという風貌だったので、その見てくれに白ワイシャツと黒ズボン、足元は確かコンバースのスニーカーを履いていたと思うが、なんともちぐはぐな格好だったと思う。

面接をしてくれた店長は穏やかそうな人だったが、常に疲れた雰囲気が出ており、目が怖かったという印象がある。

当日ドキドキしながら出勤してみると、その日深夜帯に勤務しているのはギャル風の若い女性が一人、金髪のベテラン男性が一人、社員の男性が一人、そして新人の私の4名だけだった。おまけにギャル風女性は他店からの「ヘルプ」と呼ばれる助っ人バイトさんで、要はそれくらいこの店舗の人員不足は深刻であったようだった。

正直4フロアくらいあるそれなりに大きな店舗だったので、これだけでどうやって回すのだろう、と思ったのだが、基本的にカラオケというのは受付さえスムーズにこなせれば、あとは部屋の中でお客さんが勝手にやってくれるので、それほど店員の数はいらないのだということがわかった。もちろんドリンクやフードのオーダーや、部屋の清掃というものが必要なため、我々に課せられた使命は、とにかく次から次へとお客さんが出た後の部屋を清掃し、ひっきりなしに入るドリンクやフードオーダーを持って部屋に運ぶことだった。

受付は社員の男性、ドリンクとフードの調理、準備はベテラン金髪、そして清掃とオーダーを運ぶ役割がヘルプ女性と私、という役割になった。
勤務開始前にごく簡単なミーティングのようなものが行われたのだが、その場で話されたのは他店での店員監禁事件についてだった。
どうやら系列店の一つで不良少年グループが女性店員を部屋に長時間監禁する、という事件があったらしく、みなさんも気をつけるように、ということだった。
はじめてのバイト、初日にしてまさかそんな話をされるとは思っていなかった私は「これはとんでもないところに来てしまった」と静かに焦り始めていた。

業務が始まると、私は自分の認識の甘さを嫌でも思い知ることになった。
とにかくみんな、次から次へと鬼のようにドリンクを頼むのである。
しかもこの店舗は受付が1階、厨房が2階で部屋が1階から4階まであったので、オーダーされたドリンクやフードを2階で受け取っては1階や3階や4階へ持っていかねばならず、おまけに最初に「エレベーターは使わないでね」と言われていたために、外に面した非常階段を使って下へ上へと昇り降りしないといけなかった。
そもそも中学高校と演劇部の文化系で運動経験ゼロの私からすると、この階段の昇り降りは地獄だった。本気で途中で呼吸困難になるかと思いながらぜえぜえ言いながら登っていたところ、大量のドリンク、たしか6人前くらいあったと思うが、それを持ったまま階段に蹴つまずいてしまい、派手に全てをぶちまけてしまった。
どうしたらいいかわからず、慌てて厨房に戻って
「すいません!転んで全部こぼしてしまいました!」
と謝った。そのときの反応は、当時の私が辛すぎて記憶から消してしまったのか、正直あまり覚えていない。でも結局全て作り直して持って行ったと思うし、たしか階段を掃除するように言われてモップを持って階段に散らばった氷を取り除いた気がする。今書いていても脇の下にじっとり汗をかいてきそうなほど、嫌な思い出だ。もちろん私の使えなさ具合にもげんなりするのだけど。

お客さんにもいろんなことを言われる。
ある時は深夜だというのになぜか小さな子供と二人で来ている女性に
「このたこ焼き、冷凍なのはいいけど、ちゃんと中まで火が通ってないんだけど」
と怒られ、「はい、すいません!」と謝り厨房に持って行き、きちんと温めたものを再び持って行ったり、誰がどう見てもヤンキーとわかるあんちゃん集団の元へドリンクを持って行った際には「お兄さん、このマイク除菌してる?」と聞かれ、
「はい、してます」というやりとりをなぜかドリンクを届けるたびにされた。
その時は意味がよくわかっていなかったのだが、どうもからかわれていたらしい。
私の対応がよくなかったのか、その部屋から彼らが出て行き、清掃に行ってみると、それまで彼らが散々頼んでいたウーロンハイの入っていた空のグラスが全て積み重ねられてテーブルの上でタワーのようになっていた。天井まで届きそうなほどの高さだった。それらをひとつづつ元に戻していると、部屋に備え付けのゴミ箱の様子がおかしいことに気がついた。円筒形のゴミ箱の中になみなみと液体が入っているのだ。
ものすごい量だった。おそらくだが、このウーロンハイの中身をゴミ箱に捨てていたのだろう。意味がわからなかった。飲まずに頼んではゴミ箱に捨てていたのだろうか
。私は疲れでぼんやりした頭でこういう時どうするかは教えてもらっていない、とは思ったがこぼさないように慎重にそのゴミ箱を持つと、トイレに運び、便器の中にその中身を捨てた。何度かにわけないとあふれてしまうほどの量だった。捨てながら、もしかしてウーロンハイではなく、彼らがここに放尿していたのだはないか、という疑念が浮かんだ。しかし、疲れ切った私は感覚が麻痺し始めていたのか、無感情にそのままゴミ箱の中身を何度かにわけて捨てては流し、捨てては流しと繰り返した。

清掃に向かった先でソファをどかすと使用済みの避妊具が出てきたこともあった。
その頃には何も考えずに淡々とそれを処分できるようにもなっていた。

ドリンクを取りに行く際には必ずベテラン金髪に声をかけ、準備をしてもらうことになっていた。あるとき、オーダー票が出ているのに金髪が別の作業をしていたので、これは自分がやったほうがいいのだと思い、オーダー票を取ってドリンクを注いだところで金髪がやってきて、私の手からドリンクを取り上げるとその場で流しに捨てた。そして
「これは、俺がやるから」
と言って再び作業に移った。

今にして思うと衛生上、調理作業の担当ではなく、検便等も行っていなかった私が客に提供するものを用意してはいけないということだったのだと思うのだが、それにしても別の言い方してくれても、と思う。
当時の私はさっと血の気が引き「すみません」と謝って厨房から出るしかなかった。
他のバイト仲間とは笑顔で雑談をし、今年も海に行こうだのと話していた金髪が私に対してぞっとするほど無表情にそう言ってきたのも怖かった。

そんな作業を長時間続けていると夏場で暑いこともあって、脱水症状一歩手前みたいな状態になった。店側からは厨房の従業員用のドリンクサーバーからいつでも飲んでいい、という説明を受けていたが、ひっきりなしにオーダー運びと清掃は発生し、2階の厨房に戻った際にもドリンクを飲む余裕などなかった。
清掃の際に入った部屋に、まだ氷が残っている状態のオレンジジュースが残されていて、喉がカラカラだった私は飲みたい欲求を必死に耐えた。飲みたい、喉が渇いた、飲みたい。すぐにかたせばいいのに、私はオレンジジュースを手にしたままキョロキョロとし、何度も悩み、結局全てそのまま持ち帰って厨房に捨てた。

1週間の試験採用を経て、再度店長と面談を行った。
私は、続けていくのは無理だと思う、と正直に伝えた。
私がバイトするのが初めてて未経験だと伝えていた際にどことなく気の進まなそうな感じだった店長は、少し「やっぱり」という雰囲気だったが、すんなりと「そうですか」と了承してくれた。
とりあえず1週間分の賃金はきちんと支払うが、振込ではなく現金を手渡しすることになるから、月末にもう一回来て欲しい、という話をされて、それでおしまいだった。
苦しんだ1週間は、あっさり終わった。

外に出ると明け方の街は薄暗く、あちこちで夜の名残がぼんやりと目を覚ましていくところだった。疲れ切った私は重い体を引きずるように自転車置き場へ向かった。

だから私は、いまだにカラオケ店で働く人々に畏敬の念を抱いている。