もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

この二千万円を私にください。

玄関を出る。非常階段の踊り場に蛾のぶつかったあとがこびりついていて鱗粉が朝陽を受けキラキラと輝いていたりしたが美しいと思う訳でもなく俺はただうわぁ、と思った。生きた証がそのまま暴力的な形で叩きつけられるように残されていて名も知らぬ蛾にお前はこれくらい生きた証が残せるほど全力で生きているのか、と言われたような気がしないでもなかったが俺は触れないように注意深く避けて通った。不潔だから。蛾だし。3月に引越しをして実家に戻った。戻るまで気がつかなかったが、地元の駅前には明かりがない。JRが通っているからそれなりに栄えても良さそうなものだが絶望的に活気がなく、陰気な暗さに飲み込まれている。ホームから見える景色にここが自分の地元だと証明できるようなものが一つもない。鳥貴族 漫画喫茶 王将 マック セブン ファミマ アコム みずほ銀行 コージーコーナー ビアードパパ ダイナム なか卯 松屋 ケンタッキー ドトール タリーズ。どれだけ数があろうが取り替え可能で売り上げが悪ければ明日にでも撤退するような全国展開のチェーンばかりでこの駅前の風景を隣町と入れ替えられても俺は数日間は気が付かない自信がある。駅前のアドボードは長い間空白のままで誰も出稿しない。下手くそなパネルクイズの解答者のように飛び飛びに歯抜けで入っている広告は全て医者だ。歯医者、産婦人科、整形外科、皮膚科。父親の話では毎年数千人単位で中国人が引っ越して来るらしい。駅前で聞こえる会話はほぼ異国の言葉で見かける日本人の年齢ほどう見ても70アッパーだ。俺の前を歩く小柄で白髪の飯塚幸三みたいなジジイが隣を歩く老人よりふた回りは若そうな中年女の肩を抱き寄せて脇道に入った。地元では一軒だけの駅前にあるラブホテルに続く道だった。この国では老人たちが盛んに性を楽しんでいる。俺たちがスマホの中の誰かが違法アップロードしたセックス動画を熱心に見ている間も彼らは誰かと繋がっている。ホームからも見えるそのホテルの看板は、ここにしかない。俺はここが自分の故郷だとはっきりわかる風景を、確かにそこに見つけた。