もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

誰?

長谷川博己に似てますね、と言われて嬉しかった。そうかなあ、なんて満更でもなかったが、お前、若い頃の宇崎竜童に似てるな、とか言われるし。かと思えば昔は綾野剛にちょっと似てたね、なんて言われていいじゃないの、なんてまた悦に入っているとエグザイルのNAOKIに似てるよね、と言われて、え、俺誰なの?となっていたところ、最新版ではちょっと瑛太に似てると思ってたんだよね、と言われて「俺、誰に似てるの?」って聞いちゃったよね。

HSP

雨が降っていて、雨粒がベランドの手すりに当たって砕ける音がブラインドの向こう側から聞こえている。部屋の中では9月も下旬だというのにエアコンが除湿モードで設定されており、空気清浄機が弱モードで稼働し続けている。俺以外は動くもののいない空間の中でキーボードに文字を打ち込み続ける。ブログを外で書くことが昔はできたが、今はできない。カフェで書こうと思っても、大抵は話し声や他人のキーボードの打鍵音などで集中できず、イライラしてろくに作業もしないうちに帰るということが続いている。自分のこうした部分を正確だと思っていたが、ネットで色々調べたら「HSP」という単語に出会って、少し楽になった。いくつも当てはまる項目があり、間違いなく自分はそうした特性を持っているのだとわかって安心したという感じだった。何を持って正常か、という話になると頭を使うのが疲れるので人に任せるが、多かれ少なかれ、こんな世界で生きていかなければいかない限り、俺たちはどこか壊れているし、最初からなにか欠落している。

リハビリ

日々弱っていく体、というものはなかなかに衝撃があるもので、俺は脚に障害を持っているのだけどリハビリを一定期間怠るとすぐに症状が悪化する。30半ばでこの有様、というのはどうにもこうにも時々目の前が暗くなる事実を突きつけてくる。このまま治らないということはわかっているし、もう何年も前に自分の中で折り合いをつけたつもりにはなっていたが、怖いものは怖い。脚がもつれるたび、俺はあと何年走れるのか、俺はあと何年歩けるのかを自問する。以前進行性の病気を持った人のブログを読んでいた。致死性の高い病気で、完治する方法がまだないとされるものだ。ブログの執筆者はそれでも日常を明るく生きていた。最新のエントリーが数年前の日付のまま止まったそのブログを見て、俺はいつ日常が簡単に、無慈悲に、残酷に閉ざされるのかということを知った。俺の文章もいつが最後になるかわからない。どれだけ言葉を重ねても、何も伝わらず、どこにもいかない言葉たちが白い画面にこびりついていく。

無理

時間があっても何もできないときがある。そんなときに無理して何かをやっても大抵の場合ろくなことにはならない。余計に疲れて自己嫌悪に陥ることもしばしばだ。「忙しいというのは言い訳」「時間は自分で作るもの」みたいなことを言ったりしますが、この際言っときますね。「うるせえ」

小説

小説の公募に狂ったように応募し続けていた時期がある。ちょっとした賞が少し選考を進んだり、小さな賞を取って少額の賞金がもらえたり、結果を見ながら一喜一憂していたあの頃はとても楽しくて、今でも時々思い出すことがある。結局たいした結果も出せないまま、その挑戦は1年足らずで終わったが、もしかしたら、あれが俺が自分の人生の中で「何者か」になろうとしていた、最後だったのかなと思うこともある。今俺は今できること、目の前にあるものを右から左へ流すだけで精一杯で、それ以上のことに手が出せない状況になりつつあるが、今後のキャリアや家庭環境の変化を逆算して考えてみれば、そうした状況がますます強くなることは考えるまでもないことで、このままがずっと続くのか、と果てしない気分になる。それは諦観とも少し違っていて、絶望でもなく、虚無というほどでもない。茫洋とした、寂しさと、畏怖が入り混じった、どこまでも先の見えない空間に浮いているような心もとない気分だ。その頃に自分が書いた小説を読み返すと、主人公たちは皆人生に飽き飽きしていて、生きづらそうに人生の端っこを歩いている。今の俺がもし何かを書き出したら、その物語の主人公は、どんな気分なのだろうか。彼もまた、俺と同じような、心もとない気分で、想像主である俺を見上げるのだろうか。

サンリオピューロランド

後輩の女の子と取引先に商談に行った。7歳くらい下の子なので、話題の糸口が見つからないままそれでも適当に間を埋めるべく話し続けたところ、「鉄道博物館にこの間行ってきたんです」と言い出した彼女は、嬉々として鉄道について語り始めた。テレビを見ていると鉄道が好きな若い女性も最近はいますよー的な話題を時々見かけるが、身近にいたのかと不思議な気持ちになった。そういう子も見た目は本当に最近の若いおしゃれな女の子である。「お子さん連れていくと喜ぶと思いますよ」と大人な話題にまで持っていくあたり節度も持ち合わせている。我が社は優秀な人材を採用している。よろしい。「俺はね、娘連れてサンリオピューロランドとか行ってみたいんだよね」「あー」いや、そっちは興味ないんかい。

足元

後輩に「靴たくさん持ってますね」と言われてドキッとした。それを言って来た後輩は男性なので、別にそういう意味のドキッではないんだけど、つまり「靴って見られてるな」ということである。先日の記事にも書いたが俺はここのところ靴を通販でよく買っていた。というのももともと会社に履いていける靴を2足しか持っておらず、交互に履いて数年過ごしていたところ、ろくに手入れもせずに履いていたものだからボロッボロになってしまい、ある日ふと気がついたら同僚の足元と見比べて、自分の足元がまるでゴミのように感じたためだ。これはさすがにまずい、と靴を買い替え、買い始めたら止まらなくなって一気に5足買ってしまった。そのため俺は今1週間毎日違う靴を履いて会社に行っているのだが、2週目になってそれを言われたのである。「毎日違う靴履いてますね」と。おっさんの足元も若者は意外と見ている。ベロみがき用の歯磨き粉(矛盾しているけど)とか買ってケアしたりしているかいがあった。身だしなみに気を使わなくなる境地に達したら俺もネクストステージだが、今はまだ、もう少しここであがく。

大人

同性、同世代のみで集まって飲む機会があった。アラフォーの男という存在自体が比較的貴重なこの会社で、普段あまり接する機会もない人たちと話して見ると、仕事の話、家庭の話、お決まりの下ネタと盛り上がる。皆社会人として10年から15年近くを過ごして来た男たちなので、初対面でもそつなく話もできるし、それなりに踏み込んだ話をし、核心を突きすぎるような話題は巧妙に避けて会話をすることもできる。俺たちはなんだかんだ言って「大人」になって、それなりに交流関係を築けてしまう。翌日にもう二度と一緒に飲むことがたとえなさそうであっても「また集まりましょう」というメールを打つことまで含めても。

何者でもないし

中学生の時に父親と「12人の怒れる男」の舞台を見に行った。青年座だったと思う。帰りにドトールによってジャーマンドッグを食ったと思う。そういうことを急激に思い出したりする。それを俺はマック・デマルコのchamber of reflectionを聴きながら思い出した。繋がりはどこにもない。父親は芝居に興味のない人間だったが洋画が好きで家にアホのように洋画のパンフレットが段ボールいっぱいに詰まっていたのを覚えている。映画を見たらパンフレットを買う、というのが当然でそうしない選択肢はない。そう考える世代で、そう考える人間だった。買った後読み返すと言うことも特になさそうだったので、段ボールの中でただすえたにおいを放つそのパンフレット等を俺は小学生の頃によく読んだ。「エクソシスト」とか「サスペリア」とか「時計仕掛けのオレンジ」とかがあったと思う。子供心に「なんかやべえ映画なんだろうな」と思いながら見ていた。いつか俺が溜め込んだ小説を息子か娘が引っ張り出して勝手に読んだりするのだろうか。しない可能性の方が高いが、俺はそうしてほしいと思っている。してくれたら嬉しいな、が率直な感想だ。むしろやってくれ。やれ。そして俺と一緒に渋谷かどこかの単館上映の映画を見に行こう。下北沢の売れなさそうな劇団を見に行こう。吉祥寺か何かのライブハウスで承認欲求に塗れた若者のライブを見よう。神保町で古本を買おう。あとで恥ずかしくなる文章を書いてネットに載せよう。ギターを弾いて曲を作ってyoutubeに上げよう。

知る人ぞ知る

地元の店が「名店」とかメディアで取り上げられたりすると、大抵の場合地元の人は「たいしたことない」「普通の店」「なぜ持ち上げられてるかわからない」などと言うことが多き気がする。「そうなんだよ!名店なんだよ!いやー鼻が高いな!地元からそんな店が出るなんて!」と喜んでいる人は少ないのではないだろうか。俺の地元にも少ないながらメディアで取り上げられている店があるのだが、ほぼ例外なく「なぜ、あの店が?」というレベルのものであり、いい・悪いは別にして「ただ続けていたら注目されるようになった」というのが正しいのだろうな、というような古い店ばかりである。この間家の近くの美容院に行ってその話をした。美容師も概ね賛同してさんざんその有名店のことを「まあ普通の店ですよね」などと言っていた。ところが不思議なもので、これが地元以外の場所となると誰が発信しているかもわからないネット情報などを簡単に信じ、地元の知る人ぞ知る穴場みたいな店に行って飯を食えたりすると「いやー、俺はいい体験をした」などと思うのだから所詮俺も馬鹿の一人なのだと思い知る。結局は自分がよければそれでよい、という話。