もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

かみしばい

やはり疲れているのだと思う。
体もそうだが、心が。


6歳になった娘は、勉強がきらいだが
ようやくひらがなが書けるようになった。


そんな娘が何かを書いていて
いつものようにソファに横になったスマホをただ眺めている俺のもとへきて


「かみしばい」


と言う。


みると表紙に「さやかのかみしばい」と書いてある。


1枚目「あるひ くまさんとうさぎさんが おでかけしました。
はれていました」


2枚目「あめがふってきました。くまさんとうさぎさんはかさをさしました」


「おしまい」


娘が舌足らずの口調でそんな内容を読み終わると、思わず泣きそうになってしまう自分がいた。


俺はそのとき、何に泣きそうになっていたのだろう。
涙の原因が自分でもよくわからない。

心を軽くするには

自分の心を軽くするには自分が何を一番したいのか
何が一番ストレスだと思っているのかを知るしかない。


それは、意外と自分でも気がついていないことが多くて
だからこそ本当は心療内科などに行って医者などの第三者に適切な治療を受けるべきなのだけど
その手前の段階、症状であるならば
文章でとにかく思っていることを吐き出す作業はある程度有効なのかもしれない。


俺は定期的にこうした症状が出るので、
その度にブログに頭の中のぐちゃぐちゃとしたものを吐き出して画面を汚していくという作業をする。


見返すと1年に1回から半年ごとくらいで
どんよりと思い内容の記事を書いているから
きっとそのタイミングで自分の中では辛い時期だったんだろうとわかる。


それでもそのあと結局何もなかったかのように笑って生きている自分がいるので
その程度の悩みだったのだと、未来に生きている俺は知っている。


ここ最近も少し辛いが、きっとたいしたことはない時期なのだと現在の俺もなんとなくわかっている。


その程度ですむ人間でよかった。


自ら命を絶った人々を見るたびに、解決にならなかったかもしれないけど
あなたの考えていることを一度書いてみたらよかったのに、と思う。

プロ

仕事上で付き合いのあるプロのライターさんに
趣味で小説を書いている、という話をしたところ
異常に興味を持って色々と聞かれたことがあった。


「どんなふうに書くんですか?」
「どういうところから書いていくんですか?」


プロのライター、文章を書くことで飯を食っている人にそんなことを話すのは
おこがましいと言うか釈迦に説法というか、とにかく最初のうちは戸惑ったが、
そもそも素人の趣味なんだから、逆に堂々と話せばいいのだ、と割り切って
「まずテーマを決めてですね」などと偉そうに話した。


一通り話すと、そのライターさんが言うには
自分は仕事で求められる文章を書いているだけだから、
自分の書きたいと思うことは特にないのだと言う。
だから書き方もわからないのだと言うのだ。


ライターさんにもいろんな種類の人がいるだろうからあくまでその人についてになるけど、
プロになると、そうなることもあるだろうな、と思った。


普段から文章を書いているから、趣味でまで文章を書きたくないのだと言う。
金が発生しない文章は書く気がしない、と笑っていた。


そりゃ、そうだよな、と思った。
歌手はカラオケで本気の熱唱はそうそうしないだろうし、
お笑い芸人も合コンで本気のネタはやらない。これはやる人もいるかもしれない。


文章

自分の性格が醜いから、書く文章も醜いのだと思う。


文章はきっと、顔つきや、仕草や、言葉つきや、声の印象などと同じで
人の内面を映し出すものなのだと思う。


俺はつくづく思った。


面白くもない人間が面白い文章を書こうと思ったり


優しくもない人間が優しいふりをしたり


そんな無理をしていたから、きっとちっとも文章がよくならなかったのだと。


文章を書く仕事につきたいと漠然と思っていたけど、
そんな仕事につかなくてよかったと本当に思う。


今でも文章を書く仕事に憧れは持っているけど、
そもそもなれたかどうか別として、もし本業を文章を書く仕事にしていたら
自殺していたかもしれない。


文章を金に換えることほど恐ろしいものはない。
自分の恥部を大勢の目の前に晒し出すのと一緒だ。


才能と度胸のある人の仕事だと思う。
本当に自分は、何も持たない人間としてブログに吐き出すだけで気がすむ程度の人間でよかったと思う。

自転車にのって

平日仕事をしていて、
休みの日にはあれをやろう、これをやろうと
いくつも頭の中に思い描いている。


いざ土日になると、
考えていたことの10分の1も出来ない。


まだ手のかかる子供の面倒を見るため?


今までそうやって自分を誤魔化してきたのかもしれない。


ここ最近思うことは、自分が何かをするための気力や体力を
失いつつあるのではないか、ということだ。


幸い元々インドアな人間で、スポーツは苦手だし嫌いなのでやっていないし出来ないから
休みの日に何をしたいか、と言うとギターを弾いて音楽を作りたいとか、
茶店に行ってずっと文章を書いていたいとか、
買ってあるけど読んでいない小説をまとめてたくさん読むとか
そういうことなのだけど


子供を妻に任せたとしても、それが出来ないのではないかと言う不安がある。


実際、そのチャンスはあったはずなのに今日もそれをしなかった。


何かをしようとするその一歩を踏み出せなくなっているのだ。


腰を上げるのに時間がかかる、言い訳をして始めない。ただスマホを見て横になっているだけの時間が流れていく。


大事な1日が、休日が、こんな天気のいい秋晴れの1日が、もうすぐ終わる。
何もしないまま終わる。


このブログさえ書くのがつらい。
今はベッドから起き上がってキーボードを叩きつけるようにできるだけ何も考えずに
思いついた言葉を書きつけている。


子供の手がかからなくなった時に、残っているのは何もやる気がなくなった腑抜けのような自分だけなのか。


俺は今から次の厄年が怖くてたまらない。
笑われようが馬鹿にされようが俺は厄年が怖くてたまらない。
例外なく身の回りの人間が厄年で酷い目にあっているし
20代の頃厄年の三年間がどう考えても今までの人生で一番辛い時期だった。


次の厄年で俺は死ぬのではないかと考えると脇の下がぐっしょり濡れてしまうほど本当に怖い。


もう俺の厄年は始まっているのではないかさえ思う。


こうやってゆっくり少しずつ俺の心が蝕まれていく。
明日になってなんでもない顔をして家族と過ごす自分の姿も見える。
俺は二重人格のようにこうやって貴重な1日をまた潰す。


最初からずっと一人でいればよかったのにと思う自分と
家族を持つことを選んだのは自分だろと責める自分が二人とも俺の中に同じ大きさで存在している。


今何をしたいのか、本当に考えると多分
誰もいない、広い、天気のいい場所で、マスクをつけないで、自転車にのって
好きな音楽を聴きながら、ただゆっくりペダルを漕ぎ続けていたい、
ということだ。


それからきっと芝生みたいなところに少し寝転んでうとうとして
読みたかった小説を読む。


そんなことを手に入れるのにどうしてこんなにつらいのだろうか。

2/25 給付金

気がつくと11時近かった。

慌てて起きる。すぐ昼ごはん。

出前一丁の塩ラーメンに生卵を落として食べる。

子供達はトースターで焼くだけで出来上がるピザ。ありがたい時代です。

娘とリカちゃん遊びを久しぶりにするが猛烈に眠くて謝って途中でやめる。

夕方息子と自然発生的に追いかけっこになる。最近韓国映画ばっかり見ていて感化されてるので、見様見真似の殺陣ごっこする。

倒れ込んだ息子の横腹を蹴り上げるマネをする。娘に当たってるみたいでしょ、と言ってるとつま先が本当にちょっとだけ当たってしまう。ごめんごめんと謝るが、男の子だからか意外とこういうのは好きだったらしく、少し興奮していた。

そのあと両親が訪ねてくる。息子と妻が同じ誕生日で、日にちが近いのでお祝い金を持ってきたという。挨拶だけして玄関先で手短に済ませる。封筒の中身を見ると結構入っていてびっくりする。

食費の足しに、と言っていた。

一足早く給付金をもらってしまった。

夕飯に牛カツを食べる。

息子の公文とうんこドリルを進めさせることが出来てよかった。

 

Amazonプライムで映画のミストを見る。

よかった。怖かった。コロナ騒ぎに通じるようなところもある。ラストの父親の慟哭を自分に置き換えるといたたまれない。

 

夜にシャンパンを飲みながら随分見ていないまま放置していたクリミナルマインドを見る。いつのまにか母親に追い抜かれてしまった。母親はもうAmazonで見れるシーズンを全て見終わってこのあとはいつ配信されるのだと質問してきた。GEOにDVDがあると思うから、行ってみたら、と会話をしたのが1ヶ月前。

 

息を潜めるような1ヶ月間だった。

2/24 救急箱

1ヶ月ぶりに出勤する。

家に出ること自体が3週間ぶりくらいなので、外に出ること自体が怖い。

マスクをして、何度も手を洗って除菌スプレーを吹きかけてから外に出る。

外に出た途端に若い男性とぶつかりそうになり、思わず大袈裟に避けてしまった。

気を悪くしたかもしれないが、仕方ない。許して。

電車は空いているけど、思ったよりは空いてない、というのが正直なところ。

ただ、以前と違うのは座れるくらいの空き具合にも関わらず、座席に詰めて座らないところ。

みんな気をつけている。気にせず空いているところに座っちゃう人もいるけど、俺は座ったあとに隣に人が来たら気になってしまうから、会社の最寄り駅までは立っていった。

 

会社はガラガラで、普段しまっているはずの扉が開放されていたりして、いろいろ今までと違う。そして、電話が全然鳴らない。人もほとんどいないのでシーンとしていて声を発せられない雰囲気。

 

上司と同僚が数名来ていたので、恐る恐る挨拶。

普段テレワークでメールもしているし、チームメンバーのLINEグループで雑談をすることもあるのだけど、会うの自体は本当に久しぶりなので思わず他愛のない会話をしてしまう。

普通のことなのに、とても久しぶりな感覚。あまり喋らない方がいいのだろうけど、やはり人と話すということは、楽しいな、と当たり前のことを思う。

電車が混まないうちに帰ろうと思って、夕方前に帰宅。

家に帰ると、ひさしぶりに外に出たり電車に乗ったからか、異常に疲れている。ソファに横になってうたた寝してしまう。

 

夕飯はハヤシライス。おいしい。久しぶり。

娘が「アイスがあと一個残ってるから食べていいよ!」と言うのでもらった。

セブンで売ってるワッフルコーンのアイス。おいしい。食後に甘いものを食べるのは楽しい。

 

救急箱を買った。

会社の健康組合で安く常備薬を買ったからだ。今まで何度も案内をもらっても一回も買わなかったのだが、今年初めて買ってしまった。不安がそうさせるのだろう。別に太田胃酸やパブロンを買ったところで感染を防げるわけでもないのだが、備えるマインドになっているのは仕方ない。

 

昔実家で救急箱があったときはダサいなあ、ジジくさいなあと漠然と思っていたのだが、やっぱり救急箱はあったほうがいい。

というわけで、俺は今救急箱に嬉々として薬を詰め込んでいる。

2/23 親子丼

少し寝坊してしまい、慌ててパソコンを立ち上げる。

チームメンバーに業務開始時にメールを回すので、勤務開始が通常よりも可視化されやすい。

案の定俺以外のメンバーからの勤務開始連絡は全員来ていた。少し遅れて俺も勤務開始の連絡メールを行う。なんとか不自然でない程度の遅れでメールを送ることが出来た。

朝食を食べる時間もないので、冷蔵庫からヨーグルトを取り出して書き込んでからパソコンに向かう。

昨日の夜、買ってあったレモンサワーも飲み切ってしまったし、今日は飲まずに寝るか、と思っていたら、去年の年末に取引先にもらったシャンパンがあったことを思い出した。

取引先はイギリス人で、ドレスコードがあるようなパーティに招かれた際にもらったものだ

。ろくに英語もしゃれないのでニヤニヤしてるだけであとは通訳の人に任せて食事して酒をもらって帰った。どうしようもない。

そのシャンパンを飲み過ぎたせいで寝坊してしまったのだ。頭が少し痛い。痛いけどメールを読む。こういうときは悪いことが重なる。なぜかトラブルが発生しており、社内の結構な人数宛にメールが回ってしまっている。面倒臭い

昼ごはんはセブンイレブンの親子丼。ひさしぶりに食べるがセブンの惣菜、弁当は何を食べてもうまい。

新商品の使用レポートを書く。

会議の資料作成などを真面目にやる。

夕方洗濯物を取り込む。

ステッパータイム。

ひさしぶりに体重計に乗ったら、なんと増えていた。なんだよ。この間減ってたのに。

夕飯は焼き魚を中心とした和食。ヘルシーだったのでよかった。

息子のメンタルが不安定の日だったので勉強は諦める。こういう日に無理してやらせてもお互い疲弊するだけだ。

 

 

 

4/22 有吉の壁

起床。最近では日課になったベーコンエッグ作り。娘の分を作るも自分も食べたくなってもう一人分作り、焼いた食パンに挟んで食べる。うまい。味付けは塩胡椒。

仕事は週の半ばということもあるのか、いまいち集中できずに中だるみする。途中でアリナミンを飲む。これを飲むと一日息切れせずになんとなく頑張れる気がする。プラシーボ効果かもしれないけど、おまじない的にあるかないかはこの状況では大きい。

お昼ごはんは坦々麺。辛くて美味しい。妻が買っておいてくれたチョコレートをちょっとだけ食後に食べるのが楽しみ。

座って仕事をしているときに、右足の裏に違和感を感じたので見てみると、なんと小さいタコが出来ている。こんなところ、どこに当たってるの?という小指の内側。うまいこと今まで隠れてたらしい。全然気がつかなかった。裸足で仕事をしてる今だから気がついたのだろう。

夕方、早めに仕事を切り上げる。今日はきちんとステッパータイムを作れた。

内村さまぁ〜ずを見ながらやっているのだが、最新のものから遡って見ているので、段々話題が古くなる。「もうすぐオリンピックですね」と言っていたのが「紅白、おつかれさまでした」になり、「令和、ということで」になり「世間は新元号が発表されましたね」となっている。

なんだかつい最近まで普通だったことに現実感がどんどんなくなっている。

夕飯に刺身が出て興奮した。

テレビの内容が少しづつ変わってきた。再放送や総集編が出始めていて、出演者の距離がどんどん広がり、ワイプだらけになってきた。

食後に子供の勉強を見る。習慣が少しづつついてきた。

有吉の壁を見忘れたことに気がつき、ちょっと声が出る。娘に「どうしたの?」と聞かれてしまう。

TVerをダウンロードしてみた。広告は入るけど、意外と問題無く見れた。

ここでもリモート出演のコーナーが始まっている。が、これが面白かった。

逆境を生かして面白くするのは、さすがだなあと普通に感心する。

笑ってる場合じゃないことも多いが、本当に一瞬でもこうして笑わせてくれることに感謝したい。

 

 

4/21 クラウドファンディング

8時起床。見計らったように娘が起きる。ベーコンエッグを作る。今日は今まで一番卵がとろとろに出来た。自分でも美味しそうだと思う。

 


仕事。今日はよく電話がかかってくる。

ほんの5、6件電話のやりとりをしただけなのに、めちゃめちゃ疲れている自分に気がつく。3週間ほど妻以外の大人と口頭でまともなやりとりをしていないからだ。メールのやりとりがメインで電話は多くても一に2件程度だったから気が付かなかったが、大人ときちんと考えながら話をすると疲れる。まずい。退化してる。

今日初めて取引先に「Web商談ってしてますか?」と聞かれてしまう。巷で話題のZOOMとか言うのを使って商談してるらしい。すみません、アナログな会社なもので…と、一丁前にテレワークしてるくせにまだ導入出来ていないことを謝る。結局資料を送ってもらい、それを見ながら電話で商談。相手は俺の電話をスピーカーで聴きながら数名で会議室で話をしている。こっちは声だけ。一人。めちゃめちゃ恥ずかしい。1時間くらいその電話商談は

続いて、終わったらもう他の仕事する気しないくらい疲れていた。

夕方屋上に上がって洗濯物を取り込む。街への人出は少な目だった。外は暖かかった。

今日はちょっとしたトラブルが発生し、その対応で時間がかかったために運動の時間が取れなかったなんとか19時過ぎに区切りをつけて夕食。

今日の献立はいつもなんでもいい、と妻に任せていると機嫌が悪くなるので一生懸命一緒に冷蔵庫の中を見ながら俺も意見を出した。

コンビーフとじゃがいも、玉ねぎの炒め物、キムチと蒸しささみの和え物、エビとブロッコリーと卵のサラダ、桜海老の味噌汁、ごはん。

どれも美味しい。

夜に息子の勉強を見る。公文、うんこドリル、九九のおさらい。九九は順番に行っていくとわかるのだが、いきなり途中から聞かれるとまだ答えられない。

三の段を3かける1からは言えるが、3かける5は?と聞くとダメ。

昔やった公文の国語を見返していると、「今欲しいものを書いてみよう」という特に決まった答えがない系の問題があって、そこに息子は「ナイフ」と書いていて、そっと目を閉じた。

 


娘とお風呂に入る。最近は背中を洗ってくれる。背中を一人で頑張って洗ってる、と言ってからやけにその点をかわいそうに思ってくれているらしい。ちょっと前までハマっていた鬼滅の刃はもう飽きたのだという。今は何が好き?と聞くと「トイレの花子くん」という。

親はこうやってこどもの話題についていけなくなる。こどもの頃わからなかった「親は自分のことなんか何もわかってない、知らない」というメカニズムがだんだんわかってくる。

子供の興味は移ろいやすく、流行り廃りが早い上にその範囲が狭いようで広い。それに反比例するように親の世代はいろんな物事への許容度が狭く、興味が薄くなっていき、目の前のことしか見えなくなりがちだ。

 


あしなが育英会と、医療従事者へフェイスシールドを送るクラウドファンディングに本当に少額だけど寄付する。

何もしていない自分のせめてもの罪滅ぼしというか、少額でも何か形になるものをすることで得体のしれない罪悪感からの免罪符が欲しかっただけ、というのが正直なところだと思う。普段からもっとすべきだったのに、こんなときだけやりやがって、と自分でも思う。

すでに相当額集まっている寄附金の数字を見て、いつだってこうやって俺たちはなんとかやってきたはずじゃないか、誰にも頼れなくても、俺たちは俺たちで支え合えるじゃないか、と静かに思う。