サボり日記2023 1日目
この間会社をサボった記録です。
浅草に来ている。
ずっと来たかった「浅草天然温泉野乃」というドーミーイングループのビジネスホテルが
前日に何気なくネットで確認したところ、なんと予約できたのだ。
とても人気で、おまけにコロナが落ち着き始めてからというもの、
国内のみならず海外からの観光客からの予約も殺到している状況のため、
連日予約完売、おまけに価格が高騰していて、一昨年僕が最初に泊まりたいなと思った頃の
三倍程度まで価格が跳ね上がっていた。
それが前日予約、平日水曜日という週の半ばということもあってか、
なんと一昨年見かけたときの価とほぼほぼ変わらない値段で予約することだできそうだ。
しかも全国支援割の適用や、東京プラスという地域クーポンみたいなものももらえるようだから、
その分を差し引くとかなりお得であることもわかった。
平日、木曜日を休めば水曜の夜からチェックインして泊まることもできる。
今しかない。
僕は慌てて妻の元に走り事情を説明すると、今にも誰かに横から予約を奪われてしまうのではないかという焦燥感に駆られつつ申し込みボタンを押した。
予約完了画面が出ても、案内メールが届いても、「何か見間違えていないか?」と何度も文面を読み返してしまう。
水曜、テレワークを早々に切り上げると、僕は浅草に向けて出発した。
Googleマップを見ながらまずはホテルに到着。
外観だけ見るとまるで旅館のようである。
中に入ってもまだどこもかしこも新しい。開業してまだ数年のようだ。
入るとまずは靴を下駄箱に入れる。ここはフロント以降、裸足で館内どこでも行けるのである。
ビジネスホテルでこの感覚はとても新鮮だった。基本部屋に入ってスリッパに履き替える程度のことが多いホテルで、部屋から大浴場、食堂と全て裸足でOKなのだ。
これは体験してみるとわかるけど、思いのほか精神的に非常に大きな影響があった。
靴というものに縛られないでいると、それだけでも解放感が全然違う。家にいる感覚に近くて、その点でも一つストレスが軽減されている。これがめちゃくちゃ気持ちいい。
まずは夕飯、街中華で一杯キメようと思った。
少し調べるだけで出るわ出るわ。迷ってしまったがよくみると、なんと水曜日はお休みのお店が多い。
やはり週の半ばは人出もあまり多くないのか、おやすみをとるお店も多いようだ。
水曜十七時からやっていた「あさひ」へ向かう。
時刻は十七時半。人気店のようなので、平日といえど油断できないなと思って急いで行くと、
お店にはまだ誰もいない様子。
中に入ると愛想のよい中国人と思われる女の子と厨房の男性、大将の3名体制で「いらっしゃいませ!」と迎え入れてもらう。
貸切状態にテンションの上がった僕はチャーハン、餃子に加えて瓶ビールまで注文してしまった。
注文と同時に座っていた厨房の男性がむくっと立ち上がりすごいスピードで中華鍋を降り始める。
瓶ビールと一緒に出してもらった突き出しのザーサイを少しつまんだくらいで、びっくりするくらい早いスピードでチャーハンが提供される。やや茶色がかった、油でツヤを放つチャーハンで、ひと目見ただけでこれはうまい、とわかるやつだった。一口食べる。うまい。そりゃうまいよ。
はふはふと熱いうちに食わなきゃと食い進めるうちにあっというまに餃子も届く。
もっちりとした厚めの皮に包まれており、やや硬めではあるものの中の肉もしっかりと旨味があって食べ応えがある。
必死になって食べ進めていたが、店の中には僕一人。
6月の十七時半頃というのは外もまだ明るく、ようやく夕暮れになりつつある外からは風が吹き込んできて、店の中からは外の歩道を歩く工事現場のお兄ちゃんなどが見える状況。時々猫が横切るのも見えたりする。僕の横では大将が店の天井に設置されたテレビでNスタなどを見ながら「へえ」とか「おーん」などと時折唸ったりする。そんな環境でうまいチャーハンを一口食っては瓶からコップに注いだビールを一口飲み、餃子をかじってはビールを一口飲む。
こういう状況をなんていうか知ってますか?そうですね、最高です。
あっという間に食い終わってしまったが、ちょうど十八時になったのでこれから混むことも予想されたため、ぐだぐだせずにさっさと出ることにした。
普段カード払いとキャッシュレス決済に慣れてしまうと危険だなと思うのが、こうした個人店では基本的に現金払いしかしていないことが多い、ということである。
直前に現金をある程度持ってきていたことが功を奏し、無事支払いもスムーズにこなすことができた。僕にしては珍しいファインプレイである。
お店の外に出ると夕暮れになりつつある町の雰囲気が最高に気持ちいい。
というか、普通であれば会社にまだいるか、早くても会社を出るくらいの時間帯。
混雑する駅や電車でぼんやりしている時間にこうして僕のことを誰も知らない街で
ふらふら歩いているということが最高に気持ちいい。
時間はまだ十八時を少し回ったところである。
このままホテルに戻っても早すぎる。
花やしきの近くをぶらぶらしたりしつつ、ドンキホーテを見つけたので入ってみることに。
浅草のドンキホーテは想像以上にカオス空間となっており、中にいるお客さんもほぼ9割以上が外国人観光客ということもあり、まるでこっちが海外に来たような錯覚を覚える。
置いてある商品も日本語で書いてあるし日本の製品のはずなのだが、まるで外国のスーパーで外国語が書かれた商品を見ているような気分になってくる。中国系、西洋系、アフリカ系と本当にありとあらゆる人種の観光客がいて、皆思い思いにお店の中を歩き回っている。
彼らの目にこのドンキホーテはどんなふうに映っているんだろか?
節操のないディスプレイや、用途のわからない商品の数々。
海外の観光客の趣向に合わせているのわからないが、なぜかブランド品コーナーは高級感とは真逆の方向でミラーボールとレーザービームで彩られ、ショーケースの周囲には七色に光るLEDが仕込まれて近くのスピーカーから天井が抜けそうな音量で太いビートの音楽が流されている。こういう演出の方が購買意欲が上がる、とか多分そういう知見があるのだろう。あってくれ。
一個だけ言えるのは、あなたたちが思っているのと同じくらい、日本人の僕の目から見ても、このお店、ごちゃごちゃで訳がわからないよ、ということは伝えてあげたかった。
そこで僕は雷に打たれたように重要なことに気がついた。
僕は明日着る替えの洋服を詰めたつもりだったが、そこに下着を入れるのを忘れていることに気がついたのだ。今日1日履いていた汗まみれのパンツを明日も履くのは嫌だ。
そうだ、ドンキで買えばいい。なんてちょうどいいタイミングなんだ。
下着売り場にはいくらでも選べるほどに男性用の下着が揃っていた。グンゼのボディワイルドのシンプルな黒い下着を選んで購入する。
外に出るとようやくあたりは暗くなり始めていた。
街には海外の観光客が溢れ、まるで外国の繁華街に遊びに来たようだ。
楽しくなって意味もなく歩き回ってしまう。
まだ時間があったので、お腹はまだいっぱいだが、せっかくの浅草ということもあるので
電気ブランが有名な「神谷バー」に行くことにした。
1階のバーに入る。
食券制になっているので、まずは入口脇のレジで最初のオーダーを行う。
電気ブランと煮込みを頼んで、席へ。
時間的に十九時の一番混む時間帯だったが、平日水曜日ということもあってか、適度に混んで適度に座れる席も残っているという状況で一番よかった。
一人で来ているのは僕くらいで、あとは大体二人か三人で来ているグループが多い様子だった。
電気ブランはカクテルではあるのだけど、度数が四十度と高く、
少し頑張ってそのまま飲んでみたのだけど、とてもこのままで飲み切れる自信がなくなってしまったので、ウェイターさんに炭酸水を追加でお願いする。
炭酸で割るとだいぶ飲みやすくなったので、煮込みと一緒にちびちび飲み進める。
周りの人の話し声がこんなに気持ち良く聞こえるのは本当に素敵な体験だった。
どちらかというと周囲の話し声がダメで、人が多いところやうるさいところが苦手なのに、
こうして誰も自分のことなど気にしていない空間だと、むしろ人の話す声を聞きながらぼんやりと意識をどこかに飛ばすのがとても心地よく、気持ちいい。
さきほどの「あさひ」で飲んだ瓶ビール一本分のアルコールもあったからか、
電気ブラン、炭酸水、煮込みで合計千二百円ほどで完全に出来上がってしまった。
我ながら安上がりの体である。
時刻は十九時四十五分。ゆっくり歩いて戻ればホテルに着くのは八時頃なので、ちょうどいいだろうと立ち上がる。
外は完全に暗くなっており、夕方頃までは少し残っていたじっとりとした梅雨時期特有の湿り気がすっかりなくなり、むしろ涼しく感じるほどだった。時折風が吹き抜けていき、最高に気持ちがよい。通り過ぎる人々の話す声、通りを走る車のテールランプのあかり、遠くに見えるスカイツリーの煌めき。
ホテルに戻って部屋で少しだけ休む。
スマホで確認すると1万五千歩以上歩いている。一昨年浅草に泊まった時も同じくらい歩いていた。僕は一人で外泊すると大体一万五千歩くらい歩くようだ。
普段動かないくらい歩いたからか、あるいはアルコールのせいか、そのままベッドに横になり一時間ほど仮眠。
ふと時計をみると九時半。
ドーミーイン名物夜鳴きそばが食べられるのは九時半から十一時の限定である。
むくりと起き上がると風呂の支度をした地下の温泉へ。
流石に人が多かったが、回転も速いのでそれほど混み合う感じも受けずに入浴でき、
サウナもばっちり入って水風呂までキメることができた。
「壺風呂」というのがあって、常連っぽい先客がいたが、ちょうど空いたタイミングだったので
その壺に入ってみた。ちょうど成人男性一人がすっぽり収まるくらいの壺である。
壺にもたれて目を閉じ、目の上にタオルを乗せていると、なんだか、ここ最近頭の中で絡まっていた糸のようなものがするするとほどけていくような感覚になる。
俺は、何をこんなに思い悩んでいたのだろう。何がそんなにつらかったのだろう。
それ自体がわからなくなくなるような感覚である。
眠気を覚えたので、ここで寝たら死んでしまうと壺から出る。恐るべき壺である。
風呂上がりはハーシーズのチョコレートアイスを一本もらう。これが嬉しい。
朝はヤクルトがもらえるようだ。朝も絶対に入りに行こう、と思った。
部屋に戻る途中で食堂に立ち寄る。
人で食堂がびっしりである。一昨年夜鳴きそばを食べに行った時は、広い食堂に三人くらいしかいなかった。それがびっしりである。というか、こっちがもともと正常だったのだろう。
いかに宿泊業界にとってこの3年間ほどが異常事態であったか、ということを実感した。
本当に辛い時期をよく乗り切っていただいたと思う。感謝しかない。
美味しいあっさりとして醤油ラーメン。散々食べたのに、なぜかこんな遅い時間でも食べることができてしまう。不思議だ。
あっという間に平らげて、無料でもらえるドリンクコーナーからホットコーヒーをもらい、
部屋に持ち帰る。
部屋でマックを立ち上げ、もらって帰ってきたホットコーヒーを飲みながら
今この文章を書いている。
このホテルの売りは、朝ごはんだ。
朝ごはんにいくらのかけ方だがあるのである。
これはちょっと楽しみすぎる。フロントでも脅しのように念押しされたが、
朝食は相当混むらしい。朝早い時間が比較的まだ空いているようなので、明日は早起きして
いくらをかけ放題しようと思っている。
押し寄せる睡魔と戦いながら、俺は本当に明日早く起きることができるのか。
それは、明日の俺しかしらないことだ。
孤独のグルメ
最近昼飯は一人で会社2時間くらい抜け出して隣駅まで歩いてはよさげな飲食店に入って飯を食う、と言う行為を繰り返してる。いわゆる孤独のグルメだ。
今日入った町中華、なんてことなかったけどよかった。小汚い外装、期待を裏切らない内装、ジジイが厨房で飯を作りババアがオーダーを取って丼を置く。そうそう、こういうのでいいんだよこういうので。
先客は作業服の二人組と太ったスーツのおっさんのみ。いいねえ。
カウンターに座ってメニューをざっと見る。
ババアがすぐに水を置いてくれる。
特に愛想もいらないけど、こういう基本的なサービスを普通にすぐやってくれる店は基本的に信頼していらので、安パイなランチの定食を諦め、多分オリジナルメニューと思われる変わったラーメンをオーダー。
辛さが調整出来るらしく色々聞かれたがわからたいので全部に対して「普通で」と答えた。
待ってる間にババアが俺のもとにアイスコーヒーを置いてくる。昼は全てのメニューにアイスコーヒーを付けてるらしい。正直、今日は季節外れにクソ寒い上にコロナ対策で開け放たれた入口近くのカウンターに、間違えて半袖を着てきてしまった俺だけど、こういうサービスはありがたく受け取る。
五分程度待ってやってきたラーメンはそこそこ辛くてボリュームのある、これぞ町中華という感じ。何度か水をおかわりして完食すると、先程まで冷えていた体がいい感じに暖まり、自分のチョイスも捨てたもんじゃなかったと確信。
店を出ようと立ち上がると、無愛想に見えたババアが笑顔で「辛かった?」と聞いてくる。
「辛さは調節できるからね」と、ババアなかなかの人懐っこい顔。
「辛いもの食べると暖まるでしょ」と言うので
「今日みたいな寒い日はちょうどいいですね。美味しかったです」
と一丁前に社交性を発揮する俺。会社ではお荷物のうつ病社員のくせに、外では社会人気取りである。
外に出ると先程まで体を震わせていた冷気が火照った身体には逆に気持ち良く、俺は調子に乗ってセブンでアイスコーヒーを買って飲みながら会社に戻った。途中ですぐに身体は冷えて、戻るとすぐにトイレに入った。
子供なんか持つ金ねえよ
そうだよな、本当そうだよと思う。
頭の良い人、先が考えられる人ほど
子供を持つことの怖さと無謀さばかり見えて
とても今ある自分の人生を子育てという数十年がかりの一大プロジェクトに取り組む気になんてならないだろう。
自分が食うだけで精一杯なのか、
自分の遊ぶ金失ってまで子供作ることにメリット感じないなのか、度合いや程度に差はあれど、独身の人の気持ちはよくわかる。
時間も金も体力も精神も、すべて捧げてそれでも足りない。だってそういうものだもの。
頑張らなくていいんだよ。
的な風潮、論調もあるだろう。
そんな、介護じゃ無いんだから。
いや、介護だよ。
子育てって介護と似てるよ。ほとんどイコール。子育て終わる頃に今度は親の介護、本当自分の人生は人のお世話で終わるのかってよくある話。
昔学生の時女性の労働力は生涯で子育てと介護で2回時間取られるからM字型のカーブを描いている、って話聞かされて普通にふーんと思ってたほんの20年前の自分。
いや気づけよ、その地獄みたいなカーブの異常さに。なんで子育てと介護の2大イベント女だけのものになってんだよ。
俺は何も考えてなかった。本気でどうにかなるだろうと思っていた。どうにもならなかった。
共働き世帯が専業主婦世帯の倍以上になったと聞いた。
夫婦が二人で働いて、それで家計を支えていくのが当たり前。
だけど夫婦間での家事と育児のバランス、性差による社会的な位置づけは歪なまま。
日本人が大好きな個々人の努力、忍耐、知恵と工夫で乗り切れと言わんばかりに子育て世帯は苦行の日々。自助。この国は実に美しい。美しい自己犠牲によって成立しているように見えている。
結婚しないの?
子供つくんないの?
そんなわかりやすいクソ発言をするゴミは目に見えるところからは消えた、ように見える。恐らく見えなくなっただけだけど。
既婚者、子持ちから独身へのそうした発言は一時期の苛烈なバッシングもあり消えたけど、一方で独身者が心の底からきっと思っている、悪気など一切ないのであろう「子供なんか持つ金ねえよ」「子供なんか絶対無理だわ」という発言とそれに賛同、共感する声に、そうした風潮に、怯え、疲弊してしまう俺がいる。
自分がよければいいだろ。
子供がいてほしいと思ったから、家族が欲しいと思ったから子供を作ったんだろ。
俺と妻の、俺たち夫婦のエゴだよ。それでいいじゃねえかよ。両親に強制された訳でも無い。
子供持つことにメリットとかデメリットとか考えんなよ。子供を作ったのは将来稼ぎのいい人間になって自分を楽させてほしかったからなのか?自分の老後の面倒を見させるためなのか?
違うだろ?自分の子供を何だと思ってんだよ。お前の子供であって、お前とは他人のひとりの人格じゃねえかよ。
小難しいこと考えんなよ、馬鹿なんだから。
俺の中でそう言う声がする。
わかっていても、日々の生活の中で俺の思考は何度もいったりきたりを繰り返す。
花束みたいな恋をした
映画を見た。
若い時って時間がたくさんあるのにどうして焦っちゃうんだろう、と思った。
菅田将暉演じる彼氏が二人で楽しく、ずっと暮らせるようにとやりたいこと諦めてやりたくもない仕事を始めたり
付き合い始めた頃の二人にとって忌むべき嘲笑の対象であった彼女の両親が言っていた言葉に捉われて仕事にのめり込んだり
その社会人2年目みたいな窮屈さが、呼吸が苦しくなるくらいわかってしまい、とても辛かった。
何から何まで好きなものがあてはまっていた二人にとって違っていたのは
好きなものを楽しむためには好きでもないことを我慢しないといけない、と思っていた男と
二人がよければずっと楽しく好きなものに触れていたいと思っていた女だったってことなんだろうと思った。
あまりにも好きで、好きなものが似過ぎていて、だからこそ決定的に違っている部分が見えるのに時間がかかってしまったんだな。
最後に馴染みのファミレスで向かい合って別れ話をしたときに
男がやっぱり別れたくない、恋愛感情が無くなっても夫婦になってる人たくさんいる、と言った時に
またそうやってハードル下げるの?と言う女。
一緒にいることが目的になっている男と、
それではもはや一緒にいる意味がなくなっている女。
どうしてこんな根本的な大事に思う部分が、最初にわからなかったんだろうと思ってしまう。
思ってしまうけど、最初にそんなこと気がついていたら二人は付き合ってもいなかったわけだから、二人は最初からこうなることが決まって長い時間を過ごしていたんだろうと思った。
昔の自分達を見るように、見知らぬ若いカップルの会話を聞くファミレスのラストシーン、
自分達が積み重ねた時間を思い出して耐えきれずに泣く二人。飛び出たファミレスがジョナサンで嬉しかった。
俺も妻と付き合ってた頃よくジョナサン行ってたから。
ちょっと思い出しただけもそうだったけど、
きっと誰にでもある大事な記憶のどこかに触れてくれるような映画だった。
何の意味も無い時間の積み重ねを、丁寧に、こうやって具体的に形にしてくれてとても嬉しかった。
ありがとう
スシボーイズとpkshampooとパソコン音楽クラブと小林私。
最近よく聞いているのはこの辺り。
自分とひと回り世代の違う人たちが本当にかっこよくて新しい音楽をやっているのが本当に嬉しくて楽しい。おじさん、お金出すから頑張ってね、という感じ。和山やまとか藤本タツキの漫画読んだ時もそう思ったし、芸人で言うと軍艦。うわ、そうだよねそういうの面白いよね、というのをソリッドにやってくれていて頼もしい。面白い、以上に嬉しかった。ある程度の年齢以上の人が創作を生業としようとしている人に必要以上にやさしいのは、自分が成し遂げられなかった、何者にもなれなかった化け物の成れの果ての自己満足なオナニー応援でもあるので、気持ち悪さはありつつも、こう言うオッサンを利用出来るところは利用してぜひ上手いこと残酷でエグい現代日本社会をサバイブしてほしい。軍艦の仁君がYouTubeにアップしてる楽曲はマジで俺の性癖に刺さるので普通にサブスク配信してくれ。面白いし曲も作れるし何なんだよ。ヤマトパンクスもGERAでラジオやってて面白いし、なんなんだよ。世代でくくるとダサいみたいにもうなってきてるけど、Z世代ですか?このあたりの人は。みんな才能豊かで、若くて、達観してる感じあって皮肉でもなんでもなく、本当に羨ましい。ぜひともやりたいことやりつくしてオッサン、ジジイ世代はっ倒してほしい。クソみたいな世の中でも才能は勝手に産まれていく。
才能ある人がきちんと才能を評価される社会でありますように。
親
俺は親になれば自分が何者かになれると思っていた。
はっきり言って、そうだと思う。
無理矢理親を演じ続けて、
病気になって演技も出来なくなって、
子供の前でも親ができなくなってしまった。
抑え込んでいたものがいっきにあふれ出し、
今はいつ栓をするか、蓋を閉じるか、自分でもわからない。
舐めていたんだと思う。
親になることも、子供を育てることも。
よい父親のふりをすることで、世間に自分が、立派な社会人、夫、父親であるとアピールして一人前の扱いをされたかっただけだ。
そんな男の自己満足に、俺の家族は付き合わされているのかと思うと本当に気が滅入る。
こんなもの、暴力自体は存在しなくても、最大級の侮辱であり虐待ではないか。
お前が一番どうしようもない
自分の息子を見ていて
いじめられないだろうか
と心配しているのは
自分が子供だったら息子のような同級生はいじめたくなる、ということだと気がついて
自分の性根のグロテスクさに吐き気がした。
父と息子
テレワーク。
昼休みの時間を前後にほんの少しずつ長く取って家のすぐそばにある
24時間営業のジムへ行く。
平日昼前のジムには誰もいない。
ほぼ貸切状態の事務でNetflixの韓国ドラマ「未成年裁判」を見ながら
無心にマシンのペダルを漕ぐ。
キム・ヘスという女優さんは日本でもリメイクされた「シグナル」というドラマで最初に見た女優さんで、年齢不詳というか、実年齢よりかなりお若く見える女優さん。
弛まぬお顔のメンテナンスの賜物という感じ。俺はこのドラマとシグナルしか知らないので、またこの人過去のある笑わない強い女やってんな、と思った。日本だと誰だろう。篠原涼子、天海祐季。シグナルのリメイク版では吉瀬美智子だった。顔はあ〜という感じ。
家に戻ってうどんを作る。
冷凍してあるしめじとえのき、油揚げを入れて、残っていた白だし、ごま、刻んだネギを入れて麺を入れて煮るだけ。
今日は冬に戻った様に寒かったので、この煮込みうどん風の何かがやけにうまく感じた。
仕事をするふりをして、子供が帰ってくるのを迎える。
娘は仕事中の俺に構わず話しかけてきて、息子はただいまも言わずにタブレットで動画を見始める。二歳違うだけでも、子供の成長具合は変わってくる。自分も小学校の高学年頃から父親と話すのが億劫で、さっさと食事を済ませると自分の部屋に戻って好きなことをやっていたのを思い出した。俺は父親が自分に関心をあまり持たず、ゴルフだの麻雀だのと自分の好きな趣味にばかり出かけていた記憶しかないが、そもそも俺が父親との接点を持たない様にし始めた時期と、父親が自分の趣味の時間を持ち始めて時期は一致していたのではなかったか。
ここ最近息子と話をしたり、一緒に出かける時間が減っている。
出かける時は娘とばかりで、俺はどうせこんなことができるのも今だけとばかり、娘と二人で「デート」と称してあちこちへ出かけたりしている。妻には冗談めかして「これがほんとのパパ活ってね」などとクソみたいな冗談を言っているが、それについて息子がどのように見ているのかは、正直なところ見ていないふりをしている。彼も俺にどこかに連れて行ってほしいと思っているのかもしれないが、なんとなく今はお互い自分の時間の方を優先させている。
そういえば、ここ最近は友達と遊びに行ってくれたり、家にいるときも子供たちだけで時間がだいぶ潰せる様になってきたため、俺は自分の好きなことをやるようになってきた。
文章を書いたり、PCで音楽を作ったり、学生の頃、子供が生まれる前までやっていたようなことだ。息子が大人になったとき、「親父は俺のことには関心を向けずに、自分の趣味ばかりやっていた」と思う日が来るのだろうか。こんなふうに父親に対する感情は、息子との間でいつもうまくいかずに空回りし、どこまでも噛み合わないままずれていく。
精神科日記
サボりの記録をサボって1ヶ月半経ってしまった。もはや続きを書く気もしない。
俺は年末に人事と産業医と上司に直談判し、晴れて異動となった。管理系の部署で、定年後採用と障害者採用枠と新人と、俺のような心が壊れた経験のある人が集められている部署だった。
今まで営業部門のみを経験してきたので、こうした場所があること自体、たいして大きな会社でもないのに知らなかった。
会社というものが機能するために、いろんな仕組みを誰かがどこかで考えている。
精神科の医師にそのことを話すと
会社があなたが休めるように温情でそうしてくれたのだろう、それもあなたの人徳だ、と言った。
はっきり言って当初異動を希望した部署ではないので、俺は完全な左遷だな、と思った。
おそらくその気になれば30分で終わる仕事を1日かけてこなし、週4日テレワークを行う再雇用の男性社員に作業上わからないことがあったので質問しようと電話をすると、快活な声で応答した彼の声のうしろから、車の走行音と子供達の嬌声が回り込んできた。
人生は短い。彼の一度きりの人生のフィナーレ間近にうるさいことを言うつもりもない。世の中にはそういう場所がある、ということを俺が学んだに過ぎない。
障害者雇用枠の社員は視力が悪いので一日中黙ってパソコンに向かい続けている。会話もなく、最低限の挨拶もあやしい。悪い人ではないのだろうが、心を容易く人に見せるつもりはないのだろう。そういった意味では俺はあまりにも簡単に自分の心を剥き出しにして生きてきてしまったような気がする。取り繕っても丸見えな俺の心をやさしい人は見て見ぬふりをしたり、さりげなく目配せしてくれたが、利用しようとする人間やそれを簡単に踏み潰しても気にしない人間、そもそも俺の心が剥き出しであることに気がつかない人間たちに、少しづつ俺の心は削り取られていたのだろう。
精神科の医師は言った。
私は自分の好きなこと嫌いなことは絶対に言う。
なぜなら病気になりたくないから。
言わないで生きようとすると、自分を強く見せるために自分は凄いんだと自分に自分を洗脳するしかなくなる。
自分の感じたことを言葉にして論理を組み立て人に伝えること。
これがどれほど大事かを、私はあなたに伝えたかったんです。
言うことで俺は今まで起きることを恐れて生きてきた。
だから病気になった。
すぐには全てを伝えられないだろう。
性格や特性や、人間には種類がたくさんある。
その人にあった、病気にならないための方法を自分が見つけなければならないし、そこから先は残酷なようだが、結局は精神科医でも出来ないから、自分で何とかするしかない。
薬はさらに小さくなり、卒業の日を決めなくてはならないね、と医師は言った。