もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

居抜き

ヤクザと付き合うことの出来ない世の中だが、友達の親父がヤクザだった。彼は中学1年まで仲が良く、学校からの帰り道は必ず話しながら一緒に帰った。趣味嗜好が似ていた記憶も無いが、彼は俺の話を楽しそうに聞いてくれたし、俺も彼の価値観を楽しんでいたので要はウマが合っていたということなんだと思う。彼の父親は子供の俺から見ればやけに歳をとったお父さんだな、くらいの印象で、子供たちと積極的に遊ぶことはほとんど無かったがいつでも縁側でゴロゴロしていて、遊びに行くと「おう、ゆっくりしてって」などとダルそうに呟くおっさんだった。俺も彼も年齢を重ね、やがて俺が一足早くに拗らせた思春期に入り始めた頃、いつもの様に学校からの帰り道、彼と話しながら歩いていると、唐突に彼から童貞喪失の話を切り出された。「精子すげえ飛んだ!オナニーの時と全然違った」などとゲームの攻略法と同レベルのテンションで話し続ける彼に俺は激しく動揺しながら「本当かなあ」などと真偽を疑っていた。相手の女は鈴木蘭々に似ていたと繰り返した。お前も頼めばすぐやらせてくれるよ、俺が頼もうか、と言われてなぜ是非お願いしますとなぜ言わなかったのか。今となれば悔やまれるが13歳の俺にとってそれ以上彼の世界に踏み込むのは怖かったのだ。風の噂で彼に中学を卒業してすぐ同級生との間の子供が生まれたことを知った。数年前に彼は死んだ。共通の友人からの連絡で知った。俺は行かなかった。何年も知らない彼の葬式に今更どんな顔で行っていいかわからなかったし、正直に言えば怖かった。彼の息子はもう彼が親になった時の年齢をとっくに通り越しているはずだ。彼もまた既に親となっているのだろうか。彼の実家は今も俺の家の近くに残っている。彼の親父がまだそこにいるのかはわからない。その隣にあった蕎麦屋は潰れ数年前から中国人の経営する中華料理屋が入っている。店の名前と働く中国人は二、三年に一度変わるが中は居抜きでメニューもほとんど変化は無い。出稼ぎの中国人が日本で自国で店を出すための開店資金を貯める為に使っているのだと聞いた。そうした日本の店舗を中国側に斡旋するブローカーもいるのだという。帰り道店の前を通るたび濃い油の匂いが鼻腔をついて胃がもたれる。俺は彼と二人で話しながら歩いた日のことを思い出す。

唾棄しめる

インターホンを押しても強く拳でノックしても応答はなく、ヘルパーの中年男性は「私は次があるので、あとで連絡します」と言いながらその場を離れた。その途中で息子が欲しいと言うのでトイザらスで買ったのに、結局一度しか使わないまま放置されていたホッピングが彼の脚に当たって倒れ、誰もいないマンションの共用廊下に馬鹿でかい金属音が響き渡った。彼は「すみません、すみません」と言いながら階段の方向へ向かっていったが声をかける人間はいなかった。大家である両親に代わって合鍵を手にして俺は声をかけながらドアを開けた。「開けますよ。すみません、いますか?入りますよ」部屋の中は暗く、他人の生活の匂いがあった。「大丈夫ですか?」声をかけながら俺は進む。奥の部屋が寝室だ。ベッドの上に横たわる人がいる。腕に触れると既に冷たくなっている。今朝の話だ。救急車を呼び、駆けつけた消防隊員に話をし、警察に話をし、両親に話をした。最後に話をしたのは日曜日の夕方だった。俺がまだ子供だった頃、彼女は隣に越してきた。20年以上は住んでいたと思う。その途中で一緒に暮らしていた男性を亡くし、身体を悪くし、訪問介護を受けたりしながらも一人で暮らしていた。毎日大声で喚き走り回る子供達が鬱陶しかっただろうに、玄関先で顔を合わせた際謝罪する俺に向かって「元気でいいわ。子供のことはね、絶対に怒っちゃ駄目。子供はね、怒っちゃ駄目」と繰り返し言った。脚を悪くしていたが俺たち夫婦に「もし何かあったら子供をしばらく預けてくれてもいいんだから」と言ってくれた。「だから、私に何かあったらよろしくね」と続けた。「私、隣に誰もいないの怖かったの。だから、賑やかになってくれるといいわ」煙草をよく吸う人だった。お酒も好きだった。顔を上げるとフロアには俺しかいなかった。事務所の電気を消し、鍵を閉めた。ビルの共有の鍵の管理ボックスに社員証を通しながら朝隣の部屋の鍵を開けて、今日最後に会社の鍵を閉めたのも俺だったな、と思った。夜会社から帰ると妻が警察と電話していた。引き取る身内がいないと言う。区が荼毘に付すだろうという報告だった。遺品は管理会社との話し合いで整理をするのだという。生きていると腹が減る。夕飯は豚肉ときのこの炒め物だった。「チビちゃんの方はお兄ちゃんに似てるよね。上の子はお母さんに似てるのかな」最後に会ったとき子供たちのことをそう言っていた。娘の顔は死んだ父方の祖母によく似ていて俺の父親はその祖母によく似ている。俺の顔も父親に似てくるのだろうか。俺たちは死んだり生まれたり繰り返してるだけだ。

あそぼう

誰かを傷つけずに生きることなど基本的には不可能で俺たちはいつでも無自覚な加害者として傷つけたり傷つけられたりして生きている。目の前に革製のキーケースと定期入れとスマホのケースと財布があってかつてそれらを皮膚の一部として生きた牛のことを思う。彼らの一部が今ここにある。俺の足の甲の皮膚がめくれて剥がれている。どこかにぶつけたのか痛みさえ既に感じず治りかけの時期に感じる痛痒さを伴う疼痛のみがある。指で引っ張ると想像よりも弾力のある力強さで簡単には剥がれない。こんなところだけ生命力の強さを見せずにもっと普段の生活の中で生き生きとした生命の輝きみたいなものを感じさせることはないのだろうか。普段の俺は生きながら死んでいる。ライフイズリビングデッド。そんな奴周りに腐るほどいるが。自覚的でありたいとは思う。昔興味本位で見てしまった動画の中で少年たちが人殺しをしていた。ホームビデオのようにのどかな光景でまるでバーベキューをしているようなその景色に違和感がありつつも俺は目を離せなかった。ごついナイフが被害者の顔に食い込んだが思った以上に人間の皮膚は弾力があり切り裂くのに苦戦しやがて諦めた。俺は足の甲の皮膚を引っ張りながらそんなことを思い出した。明日は病院へ検査へ行く。9時の予約票を出して主治医の名前を改めて確認する。新聞で長い間4コマ漫画を描いていた漫画家と同じ苗字だ。俺の4コマにどんなオチを付ければいいのか、まだ決めあぐねているのかもしれない。

お前だよ、犯罪者

俺は数年前傷害事件に巻き込まれて身体に障害が残った。加害者は仕事絡みの知人で賠償責任などの交渉も拗れたりなんやかんやと長引いてしまい結局俺がもうどうでもいいという気持ちで強引に幕引きを図った。恐らく相場よりも大幅に安い額で手打ちしたと思う。家族にも言えず同僚にも言えず一人で弁護士と話し合う毎日に俺の心は少しづつ死んでいった。加害者は今ものうのうと暮らしており恐らく俺を傷付けたことも忘れているに違いない。被害届を出せばよかったのか。裁判を起こせばよかったのか。夜眠る前に何度も何度も何度も考えた。考えても答えは出なかった。何度も病院に通い完治の可能性は無いと言われセカンドオピニオンを受けた。果てしなくひたすら続くリハビリを受けるために評判の高い医者を探して遠くまで通った。老人達に混じり繰り返すトレーニングと積み重なる交通費と治療費。あの頃通った駅前の風景やバスから見た流れる町。絶望に続いていると本気で感じた。あの時から俺の心の一部は死んでしまったままで毎日続くリハビリの度に俺は奥歯を噛み締めている。いざという時、誰も守ってくれない。誰も心には寄り添ってくれない。俺の呪いの声がいつかあの犯罪者に届き奴が苦しみ地獄の底へ落ちるまで続く。犯罪被害者の苦しみは日常を平和にしか暮らしたことの無い人間には想像がつかない。今もこの世界のどこかには蹂躙され尊厳を奪われ苦しみ悲しんでいる人間がいる。命が残っても彼等に今までと同じ生活は二度と戻って来ない。彼等の生活はこれからも死ぬまで加害者によって奪われ続ける。今日も悲惨な犯罪のニュースが流れる。数秒数分の中で数十年生きた人間達の一生が簡単に奪われたことが語られる。後には何も残らない。誰も知らない。彼等の人生は忘れられていく。犯罪者はどこにでもいる。奴等は平然と平凡な人間のふりをして潜む。だから貴方達に言う。逃げて欲しい。犯罪者から。貴方の日常を奪う悪魔から。私達の日常を守るために。

目と耳

金原ひとみの「軽薄」を通勤中の総武線の中で読んでると3行ごとにセックスという単語が出て来るので俺の後ろに立ってた女子高生に覗き込まれたら俺が何かの罪で警察に突き出されるんじゃないかと怯えながら過ごした月曜日がもうすぐで終わろうとしている。読書しながら聞く音楽ってのはやっぱりインストの方が相性がいいんだろうか。一時期自分なりに色々試行錯誤して結局日本人の小説読むときは邦楽でかつ目が文字を追うことを邪魔しない(俺にとって)楽曲群を選抜してipodに「小説」というプレイリストを作ってそれを頭から再生して小説を読みながら通勤していた。物語の起伏とセットリストがリンクすると興奮する。映画を見ている感覚に近く、視覚情報から自分の脳内で映写される情景と音楽が衝突して昇華していく様は楽しい。最寄駅を出て家に向かう途中銀行の前で黒人の女が俯いて立っている。韓国語を話しながら過ぎ去るカップルの男の傘が鞄に当たる。中華料理屋から出てきた中年の女は携帯に出ると日本語で話し始める。コンビニの中は店員も客も中国人だった。目の前の情景に合わせてipodをいじる。

甘茶ソウル

アマゾンプライムに入ってあっという間に1年以上経過した。サブスクリプション生活にもすっかり慣れてみると今度は音楽に対しても敷居が低くなり一曲ずつダウンロードで買うなら月々いくらか払っても定額課金の方がいいのかしらなどと思う壺の哀れな消費者。俺はApple Musicに加入してしまった。アマゾンプライム会員ならアマゾンアンリミテッドで音楽もあるのだが、何となく音楽ならAppleの方で、Appleさんの方で、という思いになり決断した次第。だって、なんかかっこいいから。というわけで貧乏性の俺はまずはお試しの三ヶ月の期間の間にできるだけ聞いてみるべくこの土日暇さえあれば音楽を流し続けている。もうDJか俺かってくらい流している。iPhoneから。本当にいろんな曲が古いのから新しいのから配信されているので何も考えずに検索しては再生し類似のサジェストで上がってきたアーティストを聞いてこれもいいね〜って聞いてたらもう1日なんてあっという間。俺は古い日本のヒップホップが好きなんだけど元ネタで使われている曲自体が好きなんだということに気がついてからYouTubeで元ネタの古いソウルとかを聞いてたんだけどApple Musicにはありがたいことにそうした元ネタの古いソウル、R&Bもたくさんあるのでアルバム単位で聞いてるだけでも飽きない。めちゃめちゃ気持ちいい。なんだこの開放感は。ネットではこうした楽曲群が「甘茶ソウル」と言われているそうで確かに聞いてると甘ったるくしっとりねっとり歌い上げてる黒人さんの歌が多いのだけど塩辛くて苦いことばかりの日常なのだから束の間耳くらいは砂糖水のように甘い古いソウルを聞かせてあげたい。

ヒーラー

血液検査の結果、肝臓にも腎臓にも膵臓にも胃腸は見当たらず、わかったことは俺は内臓は健康だということだった。そんなわけない。眠る時右半身を下にして眠ろうとして感じるあの重い違和感はなんだ。日中感じるあの鈍痛はなんだ。俺の体の中で確実に何かが起きている。蛭子能収そっくりの医者は「あとは様子を見てみて、胃カメラやるかどうかですね。私が見ます。胃カメラやりましょう」と言われ結局俺は胃カメラをやることになった。「口から入れるとオエってなっちゃうんで」というと「鼻から入れましょう」と即答。鮮やかな切り返し。本家の蛭子にこの医者の爪の垢を飲ませたい。見たか蛭子。太川陽介にもこうやって切り返せるかお前は蛭子。仕事でハウススタジオに行ったときのこと。あまりにもずっと俺が背中を親指で押しながら神妙な顔をしていたため気を使って制作のスタッフが体調を聞いてきた。申し訳ないと思いつつ「実は背中とみぞおちが痛くて…」と吐露すると「わたしヒーリングできるんですよ」と妙齢デザイナーの女性が言い出したとき、おっ、これはやべえなと思いつつ「ホントですか!じゃあちょっとこのあたり見てもらえませんか」と切り返した俺が蛭子顔医師並みに鮮やかに場の空気を切り返したと自負している。あのときの現場の空気感、俺がああでも言わなきゃ絶望的になってた。「うしろ向いてください」と言われるがままに従う。後ろでデザイナー女性は何かをしているらしい。なんだ。何を俺はされてるんだ。「あー腰のあたりがね、やっぱり」などと聞こえて来るが一向に痛みは収まらない。そりゃそうだろ。「今ね、ちょっと気を送ってるんですけど、どうですか」どうもうこうもねえだろ。いてえよ。「あ、やっぱりなんか違う!ちょっと痛いのが引いてきた気がする」うそー、と声をあげる周囲のスタッフ陣。なんだこれ。なんでこいつのヒーリング技術を俺が保証してやんきゃいけないんだよ。耐えかねて振り返るとデザイナー女性は一生懸命広げた手のひらを上下にゆっくり上げ下げしながら「ハンドパワー送ってます」みたいな顔してた。お前が医者行け。

あじさいさがし

梅雨に入り、土日も雨続きで外出するのが億劫になった。大人だけならまだしもまだ小さな子供を二人も連れてだと子供はおろか大人も体力的精神的に不衛生だ。2週連続で1日家で過ごしてしまうのもお互いフラストレーションが溜まるもので、兄と妹の殴り合いの喧嘩も絶えずノイローゼ一歩手前の妻はスマホ片手にベッドの上で倒れ込んだまま動けない。俺も脳味噌が腐りそうな中何とか腰を上げ「散歩でも行くか」と声をかけた。息子は一人でYouTubeを見ることに気を取られていたので娘と2人で家を出ることにした。このとき、既に時刻は20時過ぎ。5歳の娘を連れて出るには不適当だろう。俺も居酒屋に未就学児を連れてくるような親は基本的に軽蔑しているタイプの人間なので遅い時間に子供を連れ歩くことに抵抗はあるのだが、お互いの精神衛生上夜風に当たって少し歩くということが有効だと判断した。それくらい我が家の鬱屈とした空気は差し迫っていたとご理解頂きたい。外に出ると雨はほとんど上がっており、しっとりと濡れたアスファルトが街頭と月明りに照らされてぼんやり白く光っていた。打ち水効果で昼間の蒸し暑さもすっかり引いた中時々吹き抜ける夜風が頰に触れて心地良い。俺は娘の手を引いて、特に目的もなく歩き出した。商店街を抜け、国道沿いに歩き、大きな交差点に着いたら引き返そう。そう思いながら歩き出すと娘が「紫陽花だ!」と指を指した。家から2軒程隣のマンションのエントランス前に紫陽花が咲いていた。何度も通っていたはずなのに、全く気がつかなった。「紫陽花見つけたら1ポイントね」娘がそう言ってキョロキョロと周囲を見渡す。紫陽花は思ったよりもあちこと生えていて、娘は見つけるたびに「これで紫陽花ポイント2ポイントね」などと当初こそカウントしていたものの、そのうち「タンポポ見つけたからこれも1ポイントね」「あの家電気ついてないね。もう寝てる家見つけたから1ポイントね」と紫陽花には関係ないポイントをカウントし始め収拾がつかなくなった。商店街を抜けた先には大きめのブックオフ路面店があったはずだが、いつの間にかドラッグストアに変わっていた。この町は、ドラッグストアと接骨院と美容院で成り立っている。それ以外の店は住民の役に立たないと言わんばかりだ。俺は娘に「ごめん、ブックオフなくなってた」と謝り、引き返した。「こないだいい夢見たんだよ。プール入ってる夢。一度でいいから深いプール入りたいな」次第に強くなり始めた雨の中娘の手を引き歩く。家に着いたらすぐに娘と風呂に入ろう。紫陽花は全部で8箇所あった。

ニューバランス

もう5年くらい前で情報がストップしているのだが、巷でニューバランスが今流行ってるという話を聞いた。俺の実家は靴屋だったので覚えているが俺が子供の頃のニューバランスなんてダサいイメージしかなく、買う人間も中高年が多かったように記憶している。その頃スニーカーと言えばナイキでありアディダスでありコンバースだったと思う。ニューバランスは、プロケッズとかリーボックとかその辺りの二番手のブランドの中の一つだったと思っていた。そんなニューバランスが陽の目を浴びている。そんなに言うならとネットで安いニューバランスを買った。届いたニューバランスは相変わらずダサく、履いてもやっぱりダサかった。しばらくニューバランスを履いて生活していると、職場や街や駅で見かける俺以外のニューバランス野郎たちと何かが違う。調べてみると、同じニューバランスでも型番と言うか、良しとされるモデルが存在し、オシャレを自認する野郎どもはそれを履いているのだった。もちろん価格重視の俺のモデルは、それには該当していない。一番違うのは、俺のは踵の部分が何故かビカビカと光っている、ということだった。日曜娘と公園に行こうと靴を履いたら「パパ靴が光ってるー」と指摘されてしまった。そうなんだよ。パパ靴光ってるんだよ。カッコいいだろ。外に出ると年寄りが目の前を通って、そのジジイの履いてる靴の踵も光っていた。年寄り向けの反射板。車に轢かれないための反射板。俺は今日も踵を光らせて、人気のないモデルのニューバランスで街を闊歩する。

そらのがっこう

上司が異動した。目立った人ではなかったが、静かに部下をサポートしてくれようとする人で、俺はやりやすかったし、有難い存在だった。年齢的には一回り上だったが、子供の年齢は俺とそれほど変わらなかったので、昼飯を食うときには子供の話も時々した。いつだったか二人で商談に出かけた帰りに入った寂れた中華屋でついていたテレビで子供の虐待のニュースが流れていた。五歳の女の子が反省文を強要されていた。暴行され、衰弱し、亡くなった。昼間明るい陽射しが差し込む、常連らしきジジイが眠りそうになりながら麻婆豆腐を食っているような中華屋で、そのニュースだけが白白と流れていた。現実と繋ぎ止める唯一の窓は今時どうやって映っているのか怪しいような油にまみれたアイワの20インチのブラウン管のテレビだった。上司はしばらく黙り込むと水を運んできたカタコトの女に言ってチャンネルを変えさせた。「あの話、聞きたくないんだ」と言った。俺は親にも教師にも周りの大人たちにも裏切られ絶望した中で死んでいった子供たちの魂が、どうか笑顔でいられる場所にたどり着きますようにと願った。空の上には生まれてすぐに命を落とした子供たちの魂が集まる学校があって、そこではきちんと子供たち一人一人と向き合ってくれる教師がいて、友達と楽しく遊び、そして家に帰ると優しく笑顔の両親がいて、彼等は安心感に包まれて眠りにつく。そんな当たり前の毎日を過ごせる場所がある。そらのがっこう、そんな場所がありますように、と願った。上司は土曜日子供のサッカーの練習の付き合いでここ何年も自分が休めるのは日曜日だけなんだよ、と愚痴ったが少しも気にしている様子はなかった。俺は空の上にはサッカーチームもあればいいなと思った。