もうだめかもしれない。

大丈夫ですかと聞かれたら、はい大丈夫ですと言うタイプの人間です。

星野

途切れ途切れに書いているが、俺は結構前から星野源が好きでまあ今でも好きなんだけど、今やこうして押しも押されぬ大スターとなってしまった今言いにくい感じがあるのも確かである。それと彼はやはり若い女性に人気があるわけで、おっさんが好きというのも言いにくいという自意識プラス「若い女の子と話をしやすくするために今人気のある星野源が好きと言っているのでは?」と思われるかもしれない、という思いが一番強い。なのである程度親しくなった人にしか俺はこの事実を打ち明けておらず、先日異動した同僚と行きつけの美容師くらいにしか言っていない。二人は結構イっちゃってるくらいの星野源ファンだったので俺程度の浅いファンがどれだけ星野源のことを語ろうが「ああ…まあね(まだ、そのあたりなのね)」という姿勢があり、俺はそれくらいのストイックさを持つ人しか信用しないので非常に信頼していた。ちなみに同僚の女性は彼が出た番組を全てハードディスクに録画しており、ベストセレクションをDVDに焼いて俺に渡してくれたのだが、電撃的にその一件で思い出したのは、学生時代バイト先で出会った女性が今にして思うとサケロックの大ファンであり、彼女もサケロックのライブをDVDに焼いて俺に渡してきたことがあったのだ。その頃の俺は星野(この際こう呼ばせてもらう)の作曲センス、音楽世界をまだ理解することができず、ろくに見もせずそのDVDをそのままにしてしまった。もったいない。その頃から俺が星野に気づいていれば。というか、なぜ皆DVDを焼いて俺に見せてくるのだ。星野は誰かに見てもらいたい!という欲求を刺激する存在なのかもしれない。さて星野源は本名なので、彼もかつて学校に行っていたわけで、学校で彼のことを呼ぶ友人だってきっといたはずである。その時彼は何と呼ばれていたのだろうか。やはり「星野」だろうか。いや、「源」か。「源ちゃん」もある。絶対ある。「おげんさん」というのも最近キャラとして呼び名が定着しつつあるが、一部そう呼び合う関係性の友人もいただろう。「ホッシー」とか「ほっしゃん」とかもありうる。逆にあえて「星野さん」もしくは「星野氏」と言っていた勢力もあるだろう。「星野くん」と呼んでいた女子も多い。だがしかし。おれは「星野」とあえて呼ぶ。俺が同級生だったら「星野」と呼ぶ。ということで呼び名は「星野」に決まりました。星野、連絡先今度教えてくれよな。サイゼ行こうぜ。

いずれわかる

いいことと悪いことは同じくらいのレベルで同じくらいの量起きると俺は信じ込んでいるので、ここ数ヶ月俺の身にめちゃくちゃ起きている変化(自分としては極めて「よい」変化)を目の当たりにして「はてこれからどれほどひどいことが起きるのだろうか…」と怖くて仕方がない。というか、あくまで俺の個人的な感想としてはポジティブではあるが、周囲の人から見たらここ数が月の俺の状況というのはむしろネガティブなものであったかもしれない。客観的に考えると、実際そうなのだ。だから、もう起きてしまった悪いことの等価交換として、俺の内面の中での「よかった」という実感が手に入れられた、ということなのだろうか…。この辺りは考えても考えてもわからない。答えはないし、見つからない。いぜれにせよ、そのうちわかることだ。

バンド

会社の同僚が昔やっていたバンドを発見してしまった。自分たちで運営していただであろうHPも残っており、そこでは視聴もすることができた。リンク先のyoutubeには何とライブ映像まであるではないか。その粗い画像の中、若いが間違いなく自分のよく知っている人が演奏しながら歌っている。しかも結構ゴリゴリのパンクだった。かっこいい。ブログまでリンク先があったので迷いながらボタンを押したが、当たり前というか、まあリンク切れだった。ほっとした。なんかブログってやっぱり俺の中では一番デリケートであり、日記を盗み読みするような罪悪感を伴う行為でもあったので。HPとyoutubeまで探し出しておいてブログだけそんなことをいうのもなんかおかしな話だが、そう思うんだから仕方ない。俺はその人の歌声をyoutubeで初めて知った。カラオケで聞いた歌声とはだいぶ違うな、と思った。

夢の外へ

この間飲みながら話していたら相手の言った話題に乗っかって別の話題を話したつもりが、今目の前の人が話したことをそのまま繰り返していただけだったらしく、周りの空気が一瞬止まっていた。「今話したよ」「何言い出すのかと思った」「しっかりしろ」など散々突っ込まれ、ほんの少し前まで俺は尻馬に乗っかって人に突っ込んだり茶々を入れる方が役割としてあっていると思っていたから、自分が「いじられキャラ」的役割を演じることになるなんて不思議な気持ちだった。というか、結局多かれ少なかれみんな何らかの役割がいつの間にか出来上がって、それを自分がよしとするかどうかは別としていつの間にか受け入れてその役割を演じているに過ぎないんだろうなとも思う。本当はいじられたいのに誰もいじってくれないからいじり役に回っている人もいるだろうし、本当は全然強くないのに周りから怖がられてしまい無意識的に虚勢をはるようになってしまった人もいるのだろう。俺はどっちの方がいいか。いじられて気持ちよかったからな。でも最近いじり倒すことに快感を知ってしまったからな。君はどっちをいく。僕は真ん中をいく。

電車

朝から電車の中で臭いおじさんはスーツが臭いということがわかった。彼らとて身体は風呂に入るから朝一からそうそうキツイ臭いは放たない。口臭は多少あるかもしれないが多くは彼らの来ているスーツから放たれている謎の臭い。これが朝の満員電車の臭いの正体である。そう自分で結論を出したところでおじさんの臭いがおさまるわけでもなく今日も俺は臭い電車に乗る。地獄か。そういえばこの間珍しく混んでる路線の混んでる時間帯で空いてる一角がありラッキーと思って近づいたら何らかの液体で思いっきり濡れており「使用禁止」という張り紙がしてあった。なんなんだよ。何をこぼしたんだよ。あるいは何をもらしたんだよ。漏らすものは1種類くらいしかないわけだけど、いや2種類か。もっとあるかもしれない。とにかく、電車の中が臭い。どうなってんだよおい。

サイドチェスト・サマーオレンジ

俺が高校時代にやっていたバンドは「サイドチェスト」という名前だったんだけど今にして考えても全く意味がわからない。俺は本気でその時格好いいと信じて疑わなかったし、何なら俺は音楽に愛されてるとまで考えてたのだから恐ろしい。馬鹿は始末に負えない。馬鹿は強い。無知は強い。若くて馬鹿な無知は最強である。中学生の時は「サマーオレンジ」というバンド名を考えていたが友人に話したところ「夏みかんってなんなんだよ」と言われた。その時俺はちょっとおしゃれ系だろ、サブカル系だろくらいの気持ちで言っていたのだけど、今にして思うと友人が完全に正しい。夏みかんってなんなんだよ。

四ツ谷で女がホームに突っ伏して倒れていた。近くに女性の駅員がいて、ペットボトルの水を差し出していた。女の傍らには盛大にぶちまけられたゲロの跡。意識がない方がきっと彼女にとっては都合がよい。そのまま朝まで目が覚めませんように。ズボンがずり下がってパンツが見えてたし。女性駅員の真剣な横顔は青白く線路沿いの街灯に照らされるアドボードに刷られた大きなアニメの美少女よりも白く現実感がなかった。近所にどんな奴にでも擦り寄るビッチな茶トラの猫がおり、時折子供と公園に行く途中でそいつのもとへ行っては逢瀬を重ねる。そいつのパターンは決まっており声を出さずに何度か口を大きく開けたあとに体をおもむろに立っている人間の脛のあたりに擦り付けて来る。しゃがみこんでやると「これが欲しいんだろ」といわんばかりにごろんと横たわり、挙げ句の果てには腹をむき出しにする仰向けスタイルという破廉恥な格好を取り出す始末。ここまで来たらあとは愚かな人間のすること。やつの体にむしゃぶりつくしかない。そう、俺の手はやつの体を這い回り、愛撫する。呼応する猫の唸り声と俺の、これが本当の猫撫で声。あれは暑い夏の午後。何年も前に潰れて今は雑草が鬱蒼と生い茂るばかりの産婦人科の前の路上。蝉の声だけが俺たちを包んでいた。久しぶりにこの間公園に行った。あいつはおらず、ただそこには夏の抜け殻のように死んだ蝉が何匹も何匹も転がるばかりだった。夏が終わった。俺たちの記憶と後悔を残して。愛してた。

気持ちというのはとても不安定で簡単にも難しくもなるという出来事に遭遇する。自分の身の回りの人間は、これほど近くにたくさんいるのに、その人の気持ちというのは言葉に出さなければ大抵の事柄は伝わらず、伝わったと思うことは大概思い違いであり、伝わったとしてもその中に隠されている気持ちの深い部分の本当の部分は10分の1も伝わらないということはざらにあるのだな、と思わさられるようなことがあった。細かく書けないなら書くなという感じだが、仮に
日記でも本当のことを文章にしたくない日がきっとある。そして、きっと今日がその日なのだ。

オーダー

カジュアルなイタリアンで酒を飲んだ。店員の若い女の子が俺がたくさん注文しているのにどういうわけだか暗記しようとしているのかメモしない。四品目を過ぎたあたりからこちらも意地になり頼む必要のなかった料理を追加してしまった。女の子はきつく唇を結び忘れないように足早に厨房に戻っていった。可愛かった。彼女は注文を通すと着替えてさっさと帰ってしまった。店員に聞くと高校生なので22時には帰らないといけないのだと言う。答え合わせまでいて欲しかったのに。かくしてテーブルには一品として間違わずオーダーした料理が届いた。彼女の通う高校の偏差値は高い。

疫病神

所属する部署のマネージャーが変わる。つい数ヶ月前に直属の上司が変わったばかりだったので流石に堪えた。ウマの合う人物だったので仕事もしやすく環境的にも今がベストだと思っていただけに残念でならない。今更どうしようもないのだけど、俺もこの部署に長くい過ぎたのではないか、という思いがここのところ強い。俺は逆の意味でヒキの強い人間で、早い話「不幸な星のもとに生まれた」とか「疫病神」とか、まあそういう類の人間のようだ。入社して配属された部署は半年で事業撤退に伴い消滅し、その後配属された部署は創業以来の記録的売上不振を叩き出して人員削減。ギリギリの頭数の中むちゃくちゃな残業でなんとか乗り切ったかと思えばあっさり担当を外され、その後売上はまさかのV字回復、異動後の部署は俺が来る直前が絶頂期で、来た途端に売上は落ち込み、結果的に今までその傾向は回復の見込みがない。俺は新しくきたマネージャーに「この部の売上戻すなら、俺を異動させればいいんですよ」と半ば本気で伝えた。俺も疫病神としてこの部の売上を今後も落とし続ける予定だ。ざまあみろ。