日記
<インスタントコンロその後>
インスタントコンロで屋上焼肉やったんですけど、
なんか着火剤の匂いがすごくて、気持ち悪くなっちゃいました。とほほ。
<ジムを再開>
ジムを再開した。
テレワーク中の昼休みなども活用し、2月に入ってからはほぼ毎日通っている。
いくつかの時間帯を試して、一番空いている時間帯を見つけたので今は快適。
それでもいつもいる人がいて、今や時々俺とその人しかジムにいない時間帯が一瞬発生したりする。
この人何者?って思っているけど、絶対向こうもそう思ってるだろ。
<家事>
ここんところ毎日毎日皿洗いと洗濯と掃除が俺を動かしているように思う。
生活の中心に家事を据えると、一日が効率的に進むと言うライフハック。
というか、もともと生活ってそういうもんだった。真理。
<漫画アプリ>
漫画が無料で読めるアプリで「闇金ウシジマくん」と「善悪の屑」を交互に読んでるんだけど、滅入ってきちゃった。面白いんだけど。
おまけにこの間Amazonプライムで「岬の兄弟」見ちゃってトドメ刺されたのか今下痢。
心身に影響があるね。ダウナー系作品は。
ハナマサ
ダイソーでインスタントコンロというものを買った。
家の屋上でバーベキューもどきをやるためだ。
自然も苦手で虫もダメ。
車の運転も下手なのでアウトドアやキャンプを本格的にやる度胸や体力はないが
なんとか気軽にそうしたアウトドアっぽい気分を味わえないかといろいろ見ていたところ、
辿り着いたのが「自宅の屋上で肉を焼く」という結論だった。
カセットコンロにフライパンでも載せればいいか、と思っていたのだが、どうにもそれだと気分が出ない。
そこでいつものようにソファに寝っ転がってスマホでYouTubeを眺める、通称廃人タイムを過ごしているときに出会ったのがインスタントコンロだった。
ライターかチャッカマンで火をつければ、そのまま火がついて1時間程度であれば十分火力を維持できる。
網もついているし、そのまま捨てられるから洗い物も掃除の必要もなし。
しかも1つ300円。
これこれ!
これじゃないですか。
これ正解。
すでにネットではだいぶ前から話題になっていたようだが、俺は世の中は本当に便利になった、もはや戦後ではない、とばかりに喜び勇んで近所のダイソーに買いに行ったわけである。
早速買い込んだインスタントコンロをシンク下に潜ませ、子供たちには「そこに楽しいものがあるんだけど」などと匂わせ行為を連発してしまう始末。
俺は今から次の週末、インスタントコンロの上でどんな肉を焼くか、その肉を近所の肉のハナマサに買いに行くことを待ち遠しく思っているのである。かわいいな、俺。
ドブのにおいのする家
俺の家は低層階であり、かつこの辺り一帯が海抜0メートル地帯なので、
雨が降った後は下水が上がって排水溝からドブの匂いが上がってくる。
風呂上がりに妻になんかくせえな、と言われて俺は気がついた。
生まれ育った家に出戻りで暮らしている。
子供の頃からこの環境に慣れていたから、気が付きにくいのかもしれない。
もしかしたら会社でドブくせえジジイだと若い女性社員からは思われていたのかもしれない。
恥ずかしさ、惨めさに襲われる。
半地下、というワードが頭をよぎる。
映画のパラサイトで雨の日にトイレから下水が吹き出して慌てるシーンを思い出して暗い気持ちになる。
家中臭い。気が滅入る。
気圧のせいですよ。
そんなふうに若者のようにどうにもならない外的要因のせいにしてしまいたい。
風呂に入るとまた臭い。
ここも排水溝があるからしょうがない、匂いがあがってきてしまうのだろう。
それにしても、臭い。
完全に公衆便所の匂いがする。なんでだろう、と排水溝を覗き込むと茶色い物体が見える。
嘘だろ、と目を近づける。
うんこだ。
俺の前に入った息子が、この間も風呂場でうんこをした。
いや、正確にはケツにくっついていたうんこが取れて落ちていたようなのだが、
それにしては塊として巨大すぎるし、そうなるのは便秘気味のくせにトイレになかなかいきたがらずに我慢しているからだし、
何より絶対に自分でも気がつくだろ、という状況で知らんぷりしてそのままにしているからだし、
これで二度目、しかも昨日に引き続き、である。
怒りに任せて子供部屋に行き叱ってやろうと思ったが、当たり前のように息子は寝ていて、叩き起こしてまで叱れない自分。
フルチンのまま風呂を出てきてしまったが、そのまま風呂に戻って排水溝の蓋を開けてトイレットペーパーで掴んでトイレに流し、
シャワーで大量にお湯をかけて洗い流す。
公衆便所の匂いが立ち込める風呂場で体を洗っていると、泣きそうになってくる。
風呂を出る。
家中ドブの匂いがする。
俺は今日子供達に言った言葉を自分で思い出す。
こんなクソみたいな街、早く出た方がいい。自立して一人で早くいいところに住んだ方がいい。
本心だ。
言葉通り、クソの匂いのする家で、俺は今日も安っぽいペラペラの毛布にくるまって寝る。
ぺこぱ
Netflixで韓国ドラマをよく見てるんだけど、字幕が「おなかすいた」となってるときに
「ぺごぱあ」
といってるのを聞いて、あ、本当に使うんだ、と思って嬉しかった。
という報告です。
ここ最近ラランドのサーヤ、Aマッソ、ヒコロヒーあたりの女性芸人の台頭が嬉しい。
ちょっと前に友近とゆりやんが一緒にYouTubeやってて、こういう女性芸人がたくさんいると状況が変わるだろうな、
となんとなく思っていたら、そんなに時間もかからず芸人界が変わっていきそうな気がする。
友近とゆりやんの番組はとても面白いのだけど、意地の悪い言い方をすると
「この面白さ、どうせ私たちにしかわからないのだろう」
という、半ば諦めに近い閉じたコミュニティの面白さで、あまり外に向かっていない感じがしてたので
いわゆる第7世代の芸人さんたちが男性芸人と同じ場でしっかりと主張をしているのがとてもよかった。
特に友近は自分があまりにも才能が特化しているだけに同年代の女性芸人とわかりあえることがきっとなかっただけに
同世代の男性芸人とばかりユニットコントをしていたし、
ゆりやんくらいの頭の回転が早く弁の立つ女性芸人が後輩で出てきて、嬉しかったんだろうな、と思った。
そういえば二人とも芸風は少し通ずるところはあるな。自分の世界観を押し通すというか、周りが本人たちのやりたいことをやらせてあげるというか。
もちろん頭がいいので、それなりに周囲と合わせたタレントっぽいこともできるんだろうけど、本人がそれでは自分の本領を発揮できないとわかっているから、自分の芸を100%やりきれる環境にしか身を置かないのだとも思う。
少しそこからは外れるかもしれないけど、その方向性で行くと鳥居みゆきもそうだった。
不思議ちゃんキャラでポップな要素も持っていたけど、演劇的な要素を持っているコントでの演技力を見て、小説も読んでファンになった。
孤高の女芸人という感じもするが、ちゃんとタレント的な活動をこなし、結婚もしていたりして、割と普通な人であるところも好きだ。
バナナマンと一緒に出ていた番組で、珍しく設楽さんが共演した一般人の名前を間違えた時に、小さな声で訂正したのが鳥居みゆきで、
「こういうとこフォローもできるんだ」と思った記憶がある。
サーヤ、ヒコロヒー、Aマッソたちは、今転換期にある女性芸人の最初の世代になっているので、
しばらくの間はまずこの「現状の女芸人を取り巻く状況を否定、喝破する主張が痛快」という部分が面白さになっている。
いつまでも続けられないのはきっと本人もわかっているので、このムーブメントがいい波として動いている時にどんどん活躍の場を広げて、
ネタでも平場でも「ほら、面白いでしょ」というのを見せる機会が増えるといいなと思う。
みかん
悪いことは重なる。
無理をしても楽しい気分にならない時は、じっと時が過ぎるのを待つしかない。
本当にこういうときは何もいいことがない。
こうして文字を打ち込んでいるパソコンが急に壊れることもありうる。
今のうちにできることだけやっておく。
気持ちに余裕がない時は、それまで気にならなかったこと、
どうでもいいと思っていたことまでもが気に触るようになる。
些末なことで自分がイライラしているとわかった時はもうその状態に入り込んでいる。
そこから抜け出すのは俺の場合、かなり根気と時間がかかることだ。
人生をうまく生きている人間は、この自分の機嫌の取り方や自分の理想の状態との距離に置き方、
折り合いの付け方がうまいのだと思う。
永遠に俺は折り合いをつけることができず、万事OKの状態でないと最大の機嫌を取ることができない。
そんな最上級の状態、人生で何度あるかどうかだし、そんな状態はまず続かない。
長男は親の俺から見ても勉強もたいしてできないし、
スポーツもできず、内気ですぐ泣き、いじめられる対象になりそうなタイプなので
ずっと気になっている。
結局子供を持つようになって感じることは、どうして子供がいることによって疲れたり自分の時間が持てないのかと言うと
乳幼児の頃は物理的にもちろん育児で手が離せないわけだけど、盲目的に面倒を見ることで時間が過ぎていくのに対して
子供が就学以降は内面的な成長や子供が社会と接点を持ち融合していく過程を支援できるのは自分しかいないのだ、と言う部分が大きい。
24時間、親は子供の人生のことを考える。
子供は一人の独立した人間で、自分の人生を生きるのは本人の責任であり、そこを親が介入すべきではない、ということももちろん理解している。
それでも成人するまでの子供の人生を心配し、責任を感じるのは親が勝手にやっていることなので、しょうがない。
気になるものは気になるし、幸せな人生を送って欲しいとも思うからだ。
でも、じゃあ幸せの定義って何?みたいな話になるともうめんどくさいので話しかけないで欲しい。
妻は俺とはどこまでいっても他人なので、子供の話でところどころ意見がずれている。
しかたない。わかってはいるが、あなたはそう言うけど、じゃあもし子供が将来自分で生きていけない人間になってしまったときにどうするの?あなたが支えるの?という言葉をいつも寸前で抑えている。言ってしまった方が楽なのでは?と思うし、これを言わないのが俺と妻の夫婦としての欠陥なのだ、と最近では思うようになった。俺たちは仲良し夫婦のふりをして、大事なところは何も話さずに、核心に触れないままだ。
仕事上のパートナーなら、これでもいいのかもしれない。しかし、人生のパートナーとして見た時に、それは果たしてどうなのだろうか。
長い目で見た時に、俺たちはもしかしたらとんでもない過ちを犯しているのではないか、取り返しのつかないことをしているのではないか、と怖くなる。
でも本当のことをお互いで言い始めたとき、残るものは本当にあるのだろうか。
選ぶ道は、このままお互いの核心に触れずにこの関係性を続けるか、別れるかしかないのではないか、そこまで思うほどだ。
両親がスマホの調子が悪いとやってきて、見たことのない症状に悪戦苦闘しながらなんとか対応する。
俺はスマホの便利屋じゃねえぞ、と思うが一緒に暮らすとはそういうことなのだ、と言い聞かせる。
申し訳なさそうな顔をして父親がみかんを持ってくる。黙って受け取り、冷蔵庫に放り込む。
罪悪感。
なんとか日々やり過ごして自分の機嫌をとってきたのに、何もかもが行き詰まり始めている。
俺だけなのだろうか。空白といってもいい1年間の中で、もう元に戻らないのだろうか。
俺は本当に悲しい。こんな世の中になってしまったことが。
こんな世界で子供たちも生きていかなければならないことが。
たまらなく悲しい。
曇天
あっという間に太ってきた。
ジムには行けない。
在宅勤務でただでさえ少なかった運動量がさらに減る。
家にずっといる子供たちの喧嘩でストレスが増える。
子供に怒る。
妻との会話が減る。
食べる量が増す。
悪循環。
わかってはいるが、ここ数ヶ月解決法が見いだせない悪夢のスパイラルだ。
全世界的にそうなのだろうが、この1年間で積み重なったストレスや不安が
行き場をなくして体中を蝕んできている。
ささいなことが許せなくなり
どうでもいいことが気に掛かる。
怒りっぽくなり、他人に厳しくなり、無気力になってきている。
毎日ビタミン剤を飲んで、プラシーボ効果だろうがなんだろうが、頼れるものはなんでも頼って一日をやりすごす。
乗り切る。
そんな繰り返しで、日々を過ごす。やり過ごす。
そんな雑で、もったいない毎日が今年に入ってもう2週間過ぎてしまった。
大丈夫、たいしたことない、気にしない、と言い聞かせてきた嘘が、少しづつ剥がれていくのがよくわかる。
不安と恐怖が心の奥底でぼんやりとしていたところに、ここ数ヶ月の仕事上の変化やストレスなども重なり、
気持ちのコントロールがうまくいっていないと自分でもわかる。
不安が覚醒し、その輪郭がはっきりしてきているのがわかる。
不安が完全に目を覚ましてしまえば、また何かが元にもどってしまうのではないかと別の不安が生まれる。
キリがない。
換気のために細く開けた窓の向こう側には曇天の空の下、人通りのほとんどない歩道が見えている。
俺はそこに顔を近づけて外の空気を吸う。冷たい外気が肺の中に入り込んできて少しだけ頭がスッキリした気になる。
息苦しさ、閉塞感。檻の中に閉じ込められた動物たちがこんな気分なのかと思うと、たまらない気分になる。
去年の初めに消えた猫のことを思い出して、あいつも外に行きたかったんだなと思う。
ABW
職場がABWというものを導入した。
2ヶ月くらい前に説明されて、なんだかわからないままやることになった。
固定のデスクも電話もなくなって、荷物の置き場所さえない。
どうにもネガティブな印象ばかりもってしまいそうだが、会社からは「前向きに捉えて」と言われている。
確かにこの機会に改装されたオフィスはかなり見た目はよい。
ぱっと見職場に見えないほどだ。どこかのカフェのようにも見える。
ただ、それと働きやすさは別である。
相当な金をかけて改装しているということは、
それだけのリターンを出せ、と会社に言われているのとイコールだ。
生産性を上げて売り上げを伸ばし、コストを削れということに他ならない。
それがこの改装と直接結びつくのかどうか、まだわからないのだけど、もうやるしかない。
今日は10時からチームのメンバーと勉強会。
の予定だったが、新オフィス(フロア移っただけだけど)への引っ越し作業、荷解きなどをしていたためにいつまで経ってもメンバー全員始められず「15分後ろ倒しで」「やっぱり半からで」「11時からで」とどんどん開始時間が後ろに倒れて行って、結局11時過ぎに始まった。
周りがまだバタバタしていてうるさく、一生懸命話していてもどうにも集中できない。
しかし、テレワークも本格化した今、せっかく引っ越し直後の初日にメンバー全員揃っているのだし、と無理矢理進めてしまったのはあまりよくなかったかもしれない。
昼飯を部長、後輩と食べに行く。
昼飯はローテーションでいつも5つくらいの店をぐるぐる回っていて、俺たちは本当に冒険をしていない。少しは違う店に入ってみたい。周囲の同調圧力に屈しない人が以前は一人いて、その人のおかげでいろんなところに行けたのだけど、その人が異動してしまってからはマンネリランチの日々である。
午後、戻ってからは時間があるのでゆっくりと木曜日にある外部の協力会社との打ち合わせの資料への赤入れをする予定だったが、俺の担当する商品事故案件について、急遽集まってミーティングを、という話が入ってきてしまい、中断。
他部署の人と話しているときに思うことは、ある部署にとっては会社や自分の将来を左右するかもしれない一大事でも、他部署の人からすればマジで他人事なので、その必死さ、悲壮さというものはまるで伝わらず、百ある仕事のうちの一つです、という顔と態度で接して来られることの多さである。
若いうちはそれなりにカチンと来てこちらも顔と態度に表していたが、今やそうした他人事として接してもらった方がやりやすく、いつのまにかこちらも他人事として案件の処理にあたれることの楽さに気がついてしまった。これはとても怖いことだな、と思う。その場にいるのは全員当事者のはずなのに、誰一人として当事者の自覚がない。政治と同じだな。と難しそうなことを言ってみたくなる。
ほんの10分程度のつもりが、デスクに戻ると1時間経っている。
そこから本気を出して資料に赤入れ。
途中ちらほらくるメールの対応などをこなしているといつの間にか外は暗くなっていた。
といっても最近は17時には真っ暗なのだけど。
とにかくデスクはないし、PCもノートで持って歩かないといけないし、固定電話はなくてスマホを持たされているし、何もかも初めてのことでいちいちわからないので仲の良い後輩になんでもかんでも聞いて教えてもらう。いつもスマホのことを聞いてきて、わからないとイライラしていた両親に心の底からごめん、と思った。自分がわからないことで、年下に教えを請うことの心細さと言ったらない。気のいい後輩なので根気強く教えてくれて助かった。少しでもイライラされたら立ち直れなかった。
引っ越し作業、通常業務、慣れない初日といくつものストレスが重なって、大した仕事もしていないのにぐったりして帰宅。こう言う日に限って子供は元気でやたらと話しかけてくる。
うわのそらで相槌を打っていたのだけど、それでもめげずに今日の学校の話題を二人で交互に話してくる。
夕飯を食べ終わり、皿を洗いながらようやく脳みそが仕事から家に切り替わってきて、話をしっかり聞けるようになる。2年生の長男はようやく公文で九九の暗唱が合格したらしく、喜んでいた。
娘は「にんげんっていいな」が気に入ったらしくずっと歌っている。
「あったかいおふろにほかほかごはん」を堂々と「あったかいおふろに朝ごはん」と歌っていて笑ってしまった。別に間違ってないんだけど。朝ごはんもほかほかごはんだし。
会社からは昇進試験を受けろ、という連絡がきた。
筆記と、演習試験という謎の試験の2つを受けて、その上自己推薦書を書いて、さらにそれを元に面接を受けなくてはならない。
そこまでやって、落ちる人もいるらしい。厳しくない?
ほんの数年前まで年次でフツーに管理職にしてた会社とは思えない。その時の失敗を繰り返すまい、と思ってるんだろうけど、厳しすぎて管理職に上げられる人が限られてるのでは。
ひどいことに、年明けすぐに試験はあるので、俺はこれから年末年始に課題図書を7〜8冊読む毎日が始まる。急にブログで意識の高いことを書き始めたら、課題図書の影響であると思ってもらって間違いない。
いいね
フォロワー0のTwitterで呟き続ける人、硬派か。
というツイートを見かけてしまったのだけど、これはまさしく俺のことで
俺は4つ持ってるアカウントのうち3つはフォロワー10人以下、そして一番新しいアカウントでついにフォロワー0を達成した。やったね。
Twitterってどんな人でも続けてればそのうちフォロワー増えるものなんじゃないんですか。
どういうわけだかどんだけつぶやいてもフォロワー0。
まあ、フォロワーを得るためにやってるわけじゃないし。
とうそぶいたところで、やっぱり寂しいものは寂しい。
が、硬派な俺は気にせずに呟き続けた。
というのも一番新しいアカウントは読んだ本とか見た映画の感想アカウントなので、
自分の記録代わりという側面が強いのだ。
ところが不思議なもので、このアカウントが4つあるアカウントのうち、一番インプレッションが多い。
リツイートもいいねも、他のアカウントではほとんどないのに、このアカウントは呟くたびにリツイートされる。フォロワー0で拡散力ゼロなのに。
見てみると、俺が読んだ本とか映画の作者や関係者ばかり。
それをみると、創作者の方というのは自分の作品についてこまめに反響をチェックしていて、
こうした草の根の営業活動までされてるんだなあ、という影の努力を感じざるを得ない。
こっちは拡散力ゼロのゴミカスアカウントなので、わざわざリツイートとかいいねとかしなくてもいいのに…と思うんだけど、向こうとしては見つけてしまったら無視もできないし、スルーしてると
「感想書いてやったのにいいねの一つもしないで、この作者はクソだ」
とか言い出す怖い人もいるかもしれない、などと思っていいねしてくれてるだけかもしれない。
とか思うと、フォロワー0のアカウントで作品の感想を言うのはやめた方が全世界中の創作者に対してむしろよいのでは、とも思うのだけど、
やっぱりいいねもフォロワーも欲しいから続ける。
なぜって俺は承認欲求の強い、何者でもない中年だから。
既にやべえやつじゃん。
電車の帰り道
こどものやけどが思っていたよりよくない、とガーゼの交換を毎日してくれていた病院の先生に言われ、紹介状を書いてくれた病院に行った。
電車を乗り継ぐと1時間以上かかるので車で行ったのだけど、それでも30分ほど。
大きい病院なので、紹介状があっても外来の初診であれば少なくとも2時間は待つコースだな、と通院経験だけは豊富な俺は覚悟を決めて仕事を半休した。このあたりはフレキシブルにできる職場でよかったと思う。今の職場の唯一いいところだ。
しかし2時間、大人でも辛いのに息子はよく待った。
流石に後半、少し待合室を抜けてうろついたが、ゴネもせず、癇癪も起こさず、これは本当に助かった。
良くも悪くも我慢強い性格なのだと、実感する機会が増えた。やけどだって、相当痛いだろうに、痛がる素振りもほとんど見せない。あまり心配させないように、我慢しているのだろう。
なんでもないようにしていることに余計に胸が重くなる。
先生は流石に専門家という感じで、やけどの痕を見て即座にこれはきれいに治る、と言ってくれて俺も妻も事故当日以来硬くなっていた表情がやわらいだと思う。ほっとしたり、落ち込んだり。こどもに関することは本当に一喜一憂だ。これくらいのことでこんなふうに気分が上がったり下がったりしていたら、もっと大きな事故や病気になったら、俺はどうなってしまうのだろうと頭の片隅でぼんやり思う。
それこそ妻とも喧嘩になったしお互い態度が剣呑となり、ぎすぎすとした雰囲気のままだったが、先生の一言でだいぶよくなった。
ここ数日兄にかかりきりだったのでほっとかれた形の妹がなんやかんやといつもより自分に構えと絡んでくる。
病院から家に帰るとマックが食べたい、と息子がいうのでハッピーセットを買ってくる。
すみっこぐらしで猫が出て喜んでいた。
食べ終わってから仕事に行って、会社に着くともう15時過ぎ。
余計な雑談をしている暇もないので、パソコンを持って集中できる休憩室の隅でひっそりと仕事に打ち込んだ。本当に集中したい時は時々休憩室でこっそり仕事をしている。電話がならず、同僚や上司に話しかけられることもないので、体感的には作業スピードが倍くらいになる。もちろん行き先をホワイトボードには書いておくが、とがめる人間はいない。仕事をしているのだし、そうしたところに深く干渉しないのも、今の職場の唯一いいところだ。唯一が二つでてしまった。まあ、それ以外のいいところは、それほどない。
3時間ほどで目処をつけることができた。思ったより早く終わらせそうだ。
デスクに戻ると伝言メモがたくさんあるので一件一件コールバックして要件を済ますともう19時。
そこからメールの返信をしていると、長くなりそうな案件を見つけ、電話をすることに。
思った通りの重めの案件で、休み明けの月曜日にどう決着させるか、ああだこうだとアイディアを出すものの結局まとまらないまま、月曜日にまた相談しましょう、と言って電話を切るともう20時。
デスクに戻るとすぐにテレビ電話で育休中の女性社員と繋いでいる同僚がオフィスにいる全員に赤ちゃんを見せて回っていたが、鋭い目つきのまま赤ちゃんをチラリと見て、手をあげて「どうもー」というのがやっとだった。2ヶ月足らずの赤ん坊にまで優しくできないくらい、余裕のない精神状態なのだと今の自分が冷静に分析できるので、少しでも早く帰って休まなければ、と自分の中の危機管理が働く。
その後簡単に資料をまとめて、雑用をこなすと21時。
オフィスには俺と2、3人しかいなくなっていたので、帰ることにした。
帰りがけにトイレに入って用を足していると、疲れたな、と声に出して言ってしまっていた。
慌てて周囲を見渡したが誰もいない。独り言を言う中年になってきたな、と思う。
帰りの電車は空いていて、会社の最寄駅から自宅までずっと座ることができた。
眠りそうで眠らない、一番気持ちのいい半覚醒の状態だった。
電車の帰り道、もしかしたら家で寝ている時より好きかもしれない。
パスワード
テレワークをしていると我が家がどれだけ通販に頼っているかがよくわかる。
しょっちゅうチャイムが鳴り、その度に宅配便の受け取りをする。
この立ったり座ったりの運動だけでも、スクワットがわりにならないだろうか。
息子の火傷の病院には妻が連れて行ったくれたので、
その時間帯に娘をスイミングに迎えに行く。
娘だ、と思った少女に近づくと、見たことがないマフラーをしていて、あ、違うと踵を返した。
怪しい。超怪しい中年男性。
でも、絶対娘だよなーとちらっとみるとちょうど振り返ったところ。
どうみても娘なので手を振って近寄る。
「そんなマフラー持ってたっけ?」
「昨日買ってもらって、今日初めてつける」
それは知らないのよー、という感じだった。
洗濯物を取り込むのが寒い時期になってきた。
乾きも悪い。湿ったままなのか、冷たい外気を含んでいるだけなのかがわかりにくい。
とりあえず取り込んで家で畳みながら念のためチェック。ただ冷たいだけのことが多いが、厚手のズボンはポケット部分が乾いていなかったりして手強い。
夕飯にハーゲンダッツを食べれてリッチな気分になりながら、有吉の壁3時間スペシャルを見るが、途中で子供が飽きてしまい、俺も最後まで見切れなかった。やっぱり1時間でいい。30分でもいいから毎週やってくんないかな。
せっかく買ったリュックが届いたんだけど、でかいしかたいし重いので、返品することにする。
大は小を兼ねるだろ、と買ったサイズなのだけど、やっぱり適材適所って言葉もあるし、無理矢理自分を納得させて使いそうな自分を必死にもう一人の自分が説得した。自分都合なので返送料も自腹だし、馬鹿みたいだけど、しょうがない。
夕飯の後に近所に住んでいる父親がやってきてアプリを入れて欲しい、という。
アプリを入れるのにパスワードがいるのだけど、父親のアプリは友人の息子とか言う人が勝手に変更したらしく、そのパスワードを入れてみたら、違っていた。
一悶着したあとで、俺が設定してあげた初期パスワードを入れたら普通にダウンロードができた。
その人は変更したつもりで変更できていなかったのだ。
どういう神経かわからないが、人のパスワードを勝手に変更するというのが信じられない。
しかもそれで変更もできていない。普通に父親に対して、人にパスワードなんかいじらせてはいけないと怒ると、しおらしく謝るので、きまりが悪くなってしまう。
どういう友人だかしらないが、そう言うやつとは父親といえど、あまり付き合わないで欲しい。
なんか、毎日やることがたくさんあって、生活するのは大変だなと思う機会が増えた。
年齢か、冬季うつか。最近「気圧のせいで」と平気で言う人が増えて、ああ、理由の選択肢が増えて、いいなと素直に思った。それでいいんだ、というか、別に理由なんかなんでもよくて、自分の具合が悪いのは自分のせいではない、とすることが大事なんだなというか。
やることのルーティンが多い人ほど、生きるのがつらい。
周囲の人を見ていると、自分に甘い人ほど文句を言う機会も多いな、と思った。